第1話 追放された老魔術師 

 

 かつての英雄ロア・ダンガロアは、他者を生贄に不死を得る禁術に手を染めた。

 若き皇帝ヘリオガバルスは怒り、ロアを帝都から追放した。

 だが、ロアを危険視した宰相セラピスが、ロアの義弟カール・ヘリオス・クーと4人の騎士をロアの討伐に向かわせていた。


人里からわずかに離れたその森は、異様に深かった。

「ねえ、この辺で一度、休まない?」

馬を走らす4人の騎士は、それぞれが得意とする得物と奇抜な甲冑を見に付けていた。男3人と女1人。キャロル・ベルナドット・トールは、敵地に赴く前に一度、休む事を提案した。日が昇る前から、ほぼ休みなしで馬を飛ばしているのだ。朝日を拝んだ頃に、防具を身に付ける為だけの、休みと呼べないような休みを取ってから、もうどれくらい経ったであろうか。それからは、馬上で、水を飲み、汗の臭いが染み込んだ携帯食のパンに齧りついて、早めの昼食を取った。

「同意しかねる。体力だけが取り柄の若造よ。疲れたわけではあるまい」

ナット・ターナー・アレスは、目で仲間2人に同意を促した。

疲れたから、休憩したいのだと言い返したかったが、仲間はナットと同意見なのだとキャロルは察した。

「ここで休んでいたら、抜け駆けの意味がなくなってしまいます。喉が渇いたなら、私の水筒をお貸ししましょう」

「そうだぞ、キャロル。救国の英雄カール・ヘリオス・クー公爵。ソニービーンを打ち取った戦士の晩年に友を討たせたくはない。例え、俺達の敵が禁術を極めた魔法使いのロアだとしても、俺達4人で対処できるはずだ」

キャロルを除けば、最も若い魔法剣士オッタルの言葉には張り詰めたものがあった。それは魔法使いロアに対して、恐怖と畏敬の念を抱いているからだとキャロルは見抜いていた。

4人の中での、年長者であるナットの呼吸は乱れていない。歳は、中年で通常の倍の厚さはあるプレートアーマーを身に着けているにも関わらず、疲労の色は一切、見えない。

去年16歳になった、成人したばかりのキャロルだけが疲労で今にも馬から落ちそうになっている。やはり、訓練や経験の差が大きすぎるのだ。

ナット達3人は、屈強なギルド上がりの騎士だ。ギルドとは、かつてこの国に存在した一攫千金を夢見る冒険者の組織の事である。

 元々は、洪水を生き延びた人類の作った自警団が報酬目当てに遠くの開拓地まで遠征するようになって生まれた組織でメンバーの多くは、半神とその子孫達だった。

神の子孫達は、祖先神から超常的な力を受け継ぐ。ナットの場合は、軍神アレスの持つ超人的な筋力と体力を受け継いでいた。他の2人もそれぞれ祖先神を持ち、その力を受け継いでいる。キャロルもそれは同じだ。軍神であり、雷神でもあるトールの血を兄弟で最も濃く受け継いだキャロルは、樹齢数百年の大木を倒せる雷撃の魔法を使える。だが、それだけだ。ベルナドット家は、代々の騎士の家であるが、神の血が薄い。むしろ、本当に強い戦士は、騎士よりもかつてはギルドに存在していた。

50年前に起きた『亜人王ソニービーン』との12年にも及ぶ戦争で活躍した、カールとロアも始めはギルドの戦士だった。

ヘリオス・クーにロアを討たせてはいけない。

経歴も年齢もバラバラな4人の考えは一致していた。そこでヘリオス・クーが寝ている間に宿を抜け出し、馬を休ませずにここまで走ってきた。途中で馬が動けなくなっても、構わない、その時はその時で、馬を買うつもりだった。

 「申し訳ないのだけど、本当にへとへとなの。馬だってもう限界よ。こんな森の奥で馬が過労死したら、代わりの馬なんか手に入らない」

 「そうしたら歩くしかないなあ。歩いても、大したぁあ」

 オッタルは馬から振り落とされた。オッタルの馬は数歩よろめくと倒れ、木のくぼみに溜まった雨水を舌で舐めだした。

「雌馬はこれだから、安い馬なんて買わなきゃ良かったぜ」

オッタルは、栗色の髪についた泥を手で取りながら愚痴った。

「馬のせいにしてはいけません。強行軍を強いた我々が悪いのです。この辺りで馬を降りて、全員歩いていきませんか? どうせ大した距離じゃないのでしょう」

白いロープを着た魔術師ヘルム・ナブーは、自慢の渦状の銀杖を手にして、もう準備を終えていた。ナブーが持っていくのは、銀杖と腰につけた水筒だけのようだ。まるでピクニックに行く子どものような軽い足取りで森の小道を1人で進んでいく。ローブの内側にチェーンメイルを着ているとは思えない軽い足取りだ。

「賛成だ。俺の馬も少し休ませてやりたい」

ナブーの後を追う、ナットにオッタルが待ったをかけた。

「おい、ちょっと待ってやれよ。お嬢さんが付いていけないぞ。それに方角が違うだろう」

オッタルは、実戦経験こそあれ、今日みたいな強行軍は初めてだ。勝手が分からないでいる。準備に手間取っているのをキャロルのせいにするつもりだ。

 「方角は合っているはずだ。あれを見ろ」

 ナットは、小道に残る足跡を指差した。足跡は1人分。道の向こうに転がっている小型の亜人種の焼死体を越えて足跡は続いていた。

 「ゴブリン型亜人のものですね」

 キャロルに対して、オッタルが答える。

 「多分な、鋼鉄の皮膚が溶けて、内臓まで完全に炭化している、日数もかなり経っているから何とも言えないけど。俺はナットやナブー程の場数を踏んではいないが、こんなにこんがりの焼死体は見た事ないぜ」



 数刻立たない内に、森の奥にある一軒家が見えてきた。

 「何か普通の家ね。帝都にある良い感じの2階建ての家って感じの」

 「キャロルさん、魔法使いの家が洞窟か何かだと勝手にイメージしていません? そんなのは、おとぎ話の悪い魔法使いだけですよ。そんな事よりも僥倖です」

 一階の角部屋の窓から、湯気が漏れている事に全員が気づく。

 「日も暮れていないのに、風呂とは相当、暇な爺さんだな。丸腰の今なら俺達でもやれる」

 「挟み撃ちで勝負を決める。俺は、窓側からいく。オッタル、お前は玄関から突入で良いか?」

 「全然、構わないねえ。ナブー、突撃前に炎除けの防護魔法を頼む。あの焼死体見てからだと、正直、怖いわ」

 「全然、構いませんよ」

 オッタルの体が一瞬、水色になり、すぐに戻った。

 「標的が外へ逃げだした場合は、ナブーとキャロルが始末しろ」

 「なるべく早く、一瞬で終わらせてくる」

 そう言い残すとナットとオッタルは、半ば強引に決めた配置へと駆けだしていく。ここから先は、誰がロアの首級をあげるかの競争だと言わんばかりの行動だった。

 「キャロルさんは、私の補助をしてくださいね。あなたの力は噂程度には聞いていますよ。なかなかに強い雷撃の持ち主だと伺っております」

 「あっうううあっ!」

 ナットの悲鳴だ。キャロルの位置からは何が起こっているか見えないが、ナットの身に何か起きたのは明白だった。

 ギィー、扉が開かれるとオッタルが掛け出てきた。だが、様子がおかしい。

 髪も皮膚も色を失い、灰色へ変色していた。

 「しくじった。逃げろ、勝てる相手じゃねえ!」

オッタルの頭に亀裂が入り、よろめきながら扉の数歩先で倒れてしまった。左の足首が砕けていた。体中に広がった亀裂から、出ているのは赤い血ではない。黒い粘質性の液体だ。それも僅かな量が滴り落ちるだけだ。

 「きっ、禁術、あれが禁術!」

 「えっ」

 「私達はロアに殺される!」

 2人の目の前には、白髪の老人が立っていた。黄色く変色した目は、まるで爬虫類のようであり、2人を敵ではなく、獲物として見ているかのようだった。

 それだけでも不気味だが、奇妙な事に老人の顔がみるみると変化していく。段々と若返っていくのだ。七十を当に超えているロアの顔は、今や皺一つない青年のものとなっていた。

 突然の熱風。ナブーの銀杖から、拳大の炎の塊が何発も発射されていた。

 『小火球』と呼ばれる炎の魔法だ。素早く何度も撃てる魔術ではあるが、魔法使い同士の戦闘では役に立たない。ナブーは、パニックを起こしていた。

 「来るな! 寄るな! 近づくな! じじい!」

全ての炎はロアの目の前で方向を変えて、明後日の方角へ飛んでいく。その内の一発がキャロルの足元に落ちた、逃げようとしたキャロルはバランスを崩して転んでしまう。

 ナブーの出す炎が青く変化し、形も銀の杖と同じ渦巻き状に変わる。10人を一撃で焼き殺せるナブーの最大魔法だった。炎はロアの体を包み込むかに思えたが、ロアの広げた掌にたちまち吸い込まれてしまった。余りの格の違いだった。

 「うっああっ、ぎゃあああ」

 ナブーの足から白い煙が生じ、足が溶けて太ももの骨がむき出しになっていた。

 魔法で水筒の中身を強酸性の液体に変えられたのだ。真水を薬に変える魔術師は聞いた事があるが、こんな残虐な使い方は見た事がなかった。

キャロルは、雷撃魔術の構えを取っていた。例え、無駄でも何もせずに殺されたくはない!

「帰れ」

「はっ」

「帰れと言っている。俺と関わって、命を粗末にするな。お嬢ちゃん。どうしても、戦いたいのなら、その黄色いのを王水に変えるがね」

キャロルは自分が失禁している事に、ようやく気づいた。

「はわわわあ」

踵を返して、逃げようとしたキャロルの体が硬直する。ロアの魔術だった。

「ヘリオガバルスに伝えて欲しい。不死の魔術は、決して成功しない。故にあなたの野望の役に立たないだけでなく、脅威にもならない。研究の成果は口外せず墓場まで持っていきますと。返事は?」

「はっ、はい」

「よろしい」

硬直が解けた。走れ! 走るのだ! 殺される!

まだ助かったわけじゃない。ロアの気が変われば、殺される位置にいると、キャロルは理解している。走れ! どこまで? まずは森を抜けろ。隣の町まで行け。それまでは絶対に止まってなるものか!

森の中で一陣の風とすれ違った。風? いや人とすれ違ったような?

最初に背に受けたのは光だった。次に森の木が全て倒れたかのような轟音と爆風に巻き込まれたキャロルは、地面と木の根に体を散々、打ちつけて気を失った。

こうして『レフトハンドの兄弟決闘』と語り継がれるこの闘いの目撃者は、誰もいなかったのだ。ただ半径数百メートルに渡って倒された森の木々と森の中に生まれた焼き野原が決闘の凄まじさを物語っている。また二人の英雄の遺体が発見されなかった事で二人はまだどこかで生きているのでは? そう長い間、囁かれる事になった。

         

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