プロジェクトD~D計画

高麗楼*鶏林書笈

第1話

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。

コーヒーカップを片手に画面を眺めていた細江会長は、苦笑する。

今年の初め、とあるIT長者がSNSを通じてキャンペーンを始めた。題して「世界の終わり、君は何をする?」。    

もし半年後、この世界が終わってしまうとしたら君は何をするのか。残り時間が限られた時、人間は自分のしたいこと、すべきことが分かるのではないか。日々の暮らしに追われるなか、私たちはこうしたことを忘れがちである。そして、そのまま過ごし、悔いを残す人生を送ることになる。そうなる前にここで、一度、自分自身を振り返ってみるのもいいのではないか。そして、自分すべきこと、したいことが分かったら、それを実行してみよう。その結果を6月末までに画像付きのレポート、あるいは動画にして「世界の終わり私はこれをした」というタグを付けてSNSに投稿してほしい。この中で一番主催者(IT長者)を感動させた人に一億円を贈呈する。次点には五千万円、また応募者の中から抽選で百名に百万円づつ贈呈する。

このような趣旨のイベントだった。

 金持ちは面白いことを考えるものだと彼は思った。だが、自分たちもこのイベントに便乗することになろうとは、この時は夢にも思わなかった。


 細江が会長を務める特定失踪者問題研究会は、その名の通り“北朝鮮に拉致された可能性が濃厚だが政府認定されない拉致被害者”たちについて調査・研究したり、彼らの家族の活動を支援する組織である。

 当初は、家族や友人知人から寄せられた被害者情報を纏めることが主な業務だったが、そのうち現地調査、取材も手掛けるようになった。多芸多才のスタッフが何人もいるためだった。そして、これらを続けているうちに、北朝鮮についても知る必要があると感じるようになり、こちらああ調査研究も行うようになった。その間に、様々な分野の人々や在日韓国・朝鮮人、脱北者、韓国を始めとする海外の朝鮮半島研究者とも繋がりが出来た。お蔭で研究会には北関係の膨大な資料が集まっている。

 事務所では時々、スタッフ~すべてボランティアである~が集まり、これら資料を整理している。ある時、スタッフの一人が何気なく

「これらを見ていると、被害者を奪還する計画が出来そうだなぁ」

とつぶやいた。すると別のスタッフが

「ああ、だが、肝心のターゲットの居場所が分からないから駄目だよ」

と応じる。そして付け加えるように会長が

「何よりも先立つものがない」

と言って締め括ったのだった。

 ただ、自分たちでは出来なくても、もっと大きな組織、そう政府ならば計画を立て、それを実行するのは可能ではないかと会長は時折、思うことがある。

 実際、日本より国力も面積も小さい国が、様々な手練手管を使って拉致被害者を取り戻している。日本だってその気になれば拉致された人々はもちろんのこと、帰還事業で北へ行った日本人配偶者の一時帰国だって可能だろう。

 また、2000年代初め数名の被害者が帰国した際、これを突破口として他の被害者も取り戻すことが出来たのではないだろうか。

 結局、政府が消極なためなのだろう。

 いつもここにたどり着くのだった。

 

 物事というのは突然動くものである。

 昨年末、韓国の情報機関関係者から研究会に大変な資料がもたらされた。

 平壌市内の住民登録簿だった。市内に住む人々の住所氏名、勤務地、在学校そして本貫がハングル文字で記されていた。

 会長はハングル文字が読めないが、研究会には朝鮮・韓国語を始めとして英語、中国語、ロシア語等々、各国語に堪能な人々が集まっていた。

 朝鮮語が堪能なスタッフが冊子にさっと目を通した。そして、

「この内容は信用できるのでしょうか?」

と誰に向けることなく訊ねた。

「先方は信憑性があると言っているが…」

会長が応じた。

「だとしたら、拉致被害者の居場所が分かるかも知れません」

「どういうことですか?」

 会長の問いにスタッフは冊子をテーブルの上に開くと指さしながら説明を始めた。

「この“本貫”の欄に興味深い記述のある人が何名かいるのです」

 本貫とは、朝鮮半島では一族の発祥地を示す。かつて韓国では“同姓同本”は結婚出来なかった。

「この人の本貫はイルボンすなわち日本になっています。あと、この人とこの人も日本ですね。すべて朝鮮式の名前になっています」

「在日帰還者の日本人配偶者ではないですか」

 1959年末から80年代初に渡って10万人近くの在日朝鮮人及びその配偶者たちが“祖国でない祖国”に“帰って”行った。彼らの大半は朝鮮半島南部の出身者だったのである。

「その可能性ももちろんあります。ただ配偶者の大部分が女性なのに対し、ここに記されているのは明らかに男性名ばかりです」

「そうですか…。でも調べてみる価値はありそうですね」

 会長はこう締め括ると、北朝鮮帰還者家族会や帰還事業研究者及び在日脱北者たちと連絡を取り調査を依頼した。

 ほどなく、結果が判明した。帰還事業関連の資料その他を調べたところ、この名簿に記載されていた本貫日本(イルボン)の人々は帰還者の配偶者である可能性は薄いとのことだった。

 彼らが拉致されてこの地に連れて来られた日本人である確率は高まった。しかし、彼らを迎えに行くのは現状では無理だった。

 残念な思いで数日過ごしていたところ、予想外のことが起こった。とんでもない金額が研究会の口座に振り込まれたのである。“田禹治(チョンウチ)”と名乗る定期的に寄付を振り込んでくれる匿名の人物からだった。

「これだけあれば平壌にいる拉致被害者を連れ戻せるのではないか」

 そう考えた会長はスタッフを招集した。

「先立つものが手に入り、ターゲットの居場所もほぼ判明しました。これは天が我らに実行せよと命じているようなものですね」

 スタッフの一人がこう言うと

「ええ。さっそく、計画を立てましょう」

と別のスタッフが応じ、皆がこれまで集めた資料を卓上に広げた。

 そして、議論を重ね、検討を繰り返した末に、一つのプロジェクトを立ち上げた。

「プロジェクトD」~D計画すなわち奪還計画である。



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