第6話 ハンド

私が恭子へ投げかけたのは上辺だけの、冷たい言葉。



それが、きっと恭子にも伝わったのだろう。親友だった私たちは、高校卒業と同時にあっという間に他人へと変わった。



高校進学をしなかった私は、すぐに実家の手伝いを始めたため、恭子との別れを惜しむ暇などなかった。



商店街の中の、一番にぎやかなパン屋。



それが、私の家。



中卒という学歴ながら、家の手伝いをするのは簡単だった。



幼い頃から父親と母親の働く姿を見てきたし、私自身何かを作るということは好きだったから。



「見かけない顔だね」



「うちの娘よ。今日から手伝うことになったの」



「へぇ、偉いね。俺ここのパン大好きだから、頑張ってね」



それは、大人の男。



いままで私が見たことのないような、スーツ姿が似合う人。



長身のわりにとても細くて、短い髪の毛が爽やかな印象を強くしている。



加瀬祐樹という名前の男だった。



数年前からの常連客らしいその人は、いつも仕事前と仕事帰りにうちへ訪れた。




「いつもパンだね? 体壊すよ?」



「大丈夫だよ、ここのパンはちゃんと栄養面も考えてるだろ?」



「そうだけど、ご飯とか食べたくならないの?」



「そりゃぁあるけど、なんせ一人身だからね。



夏海ちゃんが、お嫁さん候補として作ってくれるなら別だけど?」



冗談で、子供だましで言われた言葉。



私はそれをわかっていながらも、赤くなる頬を押さえることができなかった。




初恋、だった。



相手は大人で、自分はまだ高校へ通っているような年齢で、相手にされるわけがなかった。



それをわかっていたので、お客さんとして店に顔を出してくれるたびに、その人の妹のようになろうと、頑張った。



「見て見て、新作できたんだよ! これね私がアイディア出したの」



両手で、焼きたての丸いパンが乗っているトレイを持って、祐樹へ駆け寄る。



「夏海ちゃんが? すごいじゃないか」



オーバーに目を丸くして見せた後、祐樹は試食用に切ってあるパンをひとつ取ってかじる。



祐樹がそのパンを飲み込むまでが、緊張で永遠のように長く感じる。



「どう?」



「うん、おいしいよ。とても」



優しい笑顔で、私を撫でてくれた。



それは、妹としてでなく、一人の女としての撫で方だった。



やけに暖かく、その手から愛情が流れ込んでくる感覚に、私は一歩後ずさりする。



「今日はお祝いしようか」



「お祝い?」



「そ。夏海ちゃんの作品がデビューした記念だ」



デートだ。



そう理解した瞬間、嬉しさで胸が一杯になり、それが表情にも現れた。



「そんなに嬉しいの?」



からかってくる祐樹に、私は



「そんなことないもん」



と、嬉しそうな声で言い、すぐに部屋の奥へと引っ込んだ。




嬉しくて嬉しくて、笑顔がぽろぽろとこぼれて隠せなかったから。



しばらくの間部屋から出られなかったくらいだ。

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