54.ウミⅣ


「俺に一撃入れられるようになるとは大した成長じゃねぇか」


 折れた柄を握り直し、アザーは構える。足を前後に開き、踏み込むと、掛け声と共に斜めに振り下ろした。

 人間らしい動きだ。リザードマンの体の作りに、全くあっていない。

 膝を軽く曲げる。尾で勢いをつけ、全身で跳躍し、柄を避ける。そのまま空中で体をひねり両手両足の爪を壁にめりこませ張り付くと、頭上からアザーに飛びかかった。


「よお」


 避けようとするその肩を掴み、壁に押し付ける。すかさず、頭から被っていた外套を脱いだ。

 現れる青い鱗、黒い冠羽。

 アザーの目が、大きく見開かれた。


「たく、手間かけさせやがって。攫われるなんてヘマしてんじゃねぇよ」

「まさか、嘘だろ」

「その反応だと、アイツで間違いねぇな。はは、大当たりだぜ」

「く、国を出てきたのか…?」

「なんだよ、もっと嬉しそうにしろよ」

「お前本当に馬鹿だ! こんな死に損ないのためになんてことを!」

「おい! 何をしてる! アザー!」


 リザードマンの言葉で会話を交わす二人に、サラネルが苛立たしげに吠える。


「リザードマンだろうと関係ない! どうせ蛇の手駒だ! 早く殺せ! アザー!」


 しかしアザーは動けない。その目から、戦意は完全に消えていた。

 ただ、信じられないような顔で、目の前に現れた旧い友人の姿を見つめている。


「…役立たずめ!」


 サラネルは舌打ちをして、ウミに背を向け廊下を駆け出した。

 その時だった。窓ガラスが割れるけたたましい音と共にサラネルの体が突然壁に叩きつけられた。

 窓から、サラネルを殴った小さな拳が生えている。拳は窓の外へ一度引っ込むと、嵌められた格子を掴み、ボコンッと外した。

 割れた窓から転がり込んでくる、拳の持ち主。小柄な少女だ。厨房でウミを呼び止めた人物だ。

 警戒してウミは爪を構える。しかし少女はこちらを一瞥するとすぐさまサラネルに向き直り、その顔を勢いよく蹴りつけた。

 瞬間、サラネルの手から何かが射出され、ウミの背後の壁に穴が開き炎が上がる。


「魔法使うのは反則でしょ!」

「卑しい犬風情が…」

「言ったな!?」


 サラネルの顔に、もう一撃厳しい蹴りが叩き込まれる。

 バキッと嫌な音がして、気を失ったのかサラネルはぐったりと動かなくなる。その襟首を掴むと、少女はウミを振り返った。


「ここももう倒壊する! 君たち早く窓から外に逃げて!」


 少女が素早く指示を出したと同時に、大部屋も爆発音と共に倒壊し始める。


「出るぞ」


 アザーの細い腕を掴んだ。


「お、俺は…」


 しかし躊躇うように、首を弱々しく横に振る。


「ワガママな奴だな。死ぬときゃ一緒とは言ったがこんな場所ではごめんだぜ」

「…っ」


 アザーは目を瞑り苦しげに呻いたあと、ようやく小さく頷く。そして窓へ駆け寄り、その隙間から滑り出た。

 ウミもそれに続き、少女が押し込んだサラネルが地面に転がる。最後に、少女が無事に窓から脱したところで、爆発音が轟く。

 煙と埃が噴き上がり、黒い夜空が白く染まった。建物の倒壊に巻き込まれないよう、アザーを支えながら距離を取る。

 運動場では先程はいなかった揃いの甲冑を着た兵士が、サラネルの部下や使用人たちに縄をかけている最中だった。


「王国兵だ」


 アザーが小声で呟いた。

 忙しく動く人々の中に、ふと一際目立つ容姿をした人物が立っていることに気がつく。

 この場に不似合いな派手な赤い服を着た、白くうねる長い髪のエルフの青年だ。兵士たちに指示を出しているところを見ると、この男が騒ぎの中心人物なのだろう。

 話を聞くためにアザーを後ろに隠しつつ近づく。青年はウミに気がつくと、真っ赤な瞳を僅かに見開き小首を傾げた。


「…あれ? リザードマン、二人……? 報告と違うな」

「お前が蛇か」

「ふふ。いきなりなぁに? 失礼な子だね…。そう呼ぶ人もいるけど、僕はそれ、全く気に入ってないんだ」


 青年の目が細まる。白いまつ毛の影の下、爛々とした赤い目がウミを静かに睨む。


「お前ェ、ここで何してんだ。何が目的だ、盗賊か?」

「ふふ。そっちがそれを言うの? この場では君の方がよっぽどよそ者だけど。僕はサクロ=センフィールド。盗賊じゃないよ、サラネルの義理の弟さ。で、君は一体誰なのかな…?」

「ウミ。こいつの友人。こいつを助けに来た」

「ああ……。なるほどね」


 ニィ…とサクロは唇を歪めて笑う。


「新しいリザードマンが補充されてないから、誘拐に失敗したんだろうとは思ってたけど…。盗賊くんたち、場所を吐いてリザードマンの侵入を許しちゃうとは。随分安い仕事をするもんだ…」


 ウミの脳裏に、イグイの情けない顔が浮かぶ。


「しかし君…良かったねぇ。攫われたリザードマンはその子以外、みんな死んじゃったらしいよ。たまたま一人生き延びたのがお友達だなんて…幸運だねぇ。ふふ。せっかく助けに来たのに、死んじゃってたらガッカリだものねぇ…」

「てめェ…」

「サクロ様!」


 にわかに緊迫した空気を壊すように、弾んだ声が飛び込んだ。振り向けば、サラネルを片手で引きずった少女がにこにこと笑いながら立っている。


「無事にサラネルを捕まえてきました!」


 煤で汚れた真黒い顔で、少女は元気に言う。

 サクロも、それに合わせて淡く微笑んだ。


「ありがとう。流石カノウだねぇ。えらいえらい」

「とんでもないです…!」

「君を連れてきて良かったなぁ、やっぱりカノウこそが僕の騎士だね」

「それほどでも…」

「ところで…頑張り屋さんなカノウにひとつ聞きたいんだけど」

「はい!」

「僕…君に、サラネルを捕まえろって言ったっけ?」


 カノウの笑顔がぴしりと凍りつく。


「…あ、それは…えっと…」

「一番に優先するのは、リザードマン。サラネルは一旦放っておいていいって言ったよね。なんでアザーくんは、カノウじゃなく知らないリザードマンに連れられてるのかな……?」

「…も、申し訳ございません…。でも、その、このリザードマンくんと実質協力したというか…」


 サクロがくるりとウミの方を向く。


「ねぇ、どうやら救出はうちのカノウとの共同作業らしいし、その子のこと、こっちに渡してくれる…?」

「ダメに決まってンだろ」

「あれれ…困っちゃうなぁ…」


 即答を受け、サクロは再びカノウを見る。


「うっ、すいませんすいません…」

「やだなぁ…そんな泣きそうな顔をしないでよ、僕が虐めてるみたいじゃない。わかってるよ、足が遅くてあんまり強くない上にお馬鹿さんなカノウは、ここへの入口もなかなか見つけられなくて、ウミくんに追いつけなかったんだよね…?」

「うぅ…」


 小さくなってカノウはペコペコと頭を下げる。その度に掴んでいるサラネルの首がぐいぐいと締まり、やがてサラネルは唸りながら意識を取り戻した。


「許さんぞ…父上が黙っていると思うな、醜い出来損ないめ…」


 近くに立つサクロに気が付き、サラネルはぱんぱんに腫らした顔のままもごもごと呟いた。

 耳ざとくそれを聞き取ると、サクロはパッと笑い、サラネルを見下ろす。


「おや…今回の騒動とヴィオラヴェッタ御当主様になんの関係が? むしろ今回僕らは被害者ですよ…? 敬愛する義兄様のところへ遊びに行ったら寝込みを襲われて殺されかけるなんて…酷い話だよ…。ねぇ? カノウ」

「はい! どこをとっても、正当防衛です。宿泊中、突然武装した男たちに襲われたため、身を守るために応戦しただけです」

「白々しい! 王国兵まで呼んでおいて! 元より、ここのことを明るみにして私を失脚させることが目的のくせに!」

「ふふ。リザードマンを使った私設部隊…いいねぇ…。見目麗しく、武勇に優れ、知能があり、子沢山。でもそれ…王国や父上からの承認は得てるのかなぁ…」


 絡めとるように、サクロはサラネルに言葉をかけていく。サラネルの赤く腫れた頬をサクロの白い指が宥めるようにするりと撫ぜた。


「…っ! 不気味なヤツめ! こんなことをして、お前になんの得がある! まさかヴィオラヴェッタの兄弟に名を連ねることをまだ考えているのか!?」

「ふふ。やだなぁ…僕はただ…愛する兄さんの"兄弟"に、相応しくない奴が混ざるのはどうなのかなぁって…ただ…それだけだよ」


 言葉とは裏腹に、サクロの表情はひどく歪んでいた。憎悪とも呼べるような…そこにない、誰かの背中を睨むような顔。

 しかしそれも一瞬のことで、サクロはすぐに元の人形のような微笑みを浮かべ、赤く塗られた口を開く。


「王国への反逆罪、極刑は免れるといいねぇ」

「証拠が無ければ罪になどならん!」

「そうだね。仲間を切り捨ててまで派手に隠蔽工作してくれたもんねぇ…。でもね、そうするだろうなぁって僕が想像してないと思った?」

「…なんだと」


 サラネルの顔が、青ざめる。


「証拠なんて一ヶ月前には全部集め終わってるよ。ヴィオラヴェッタご当主様への不満を書き綴った手紙から、見返り欲しさに出資した貴族の名簿まで全部ね。ま、肝心のリザードマンの育成に失敗してるのが笑いどころだけど…ふふふ。今日は、可哀想な生き残りのリザードマンくんを持ち帰りに来ただけよ。義兄様は安心して、お祈りでもしていてね」


 体を起こしたサクロが、アザーへ手を差し伸べる。


「さ、行こうか」

「はァ? 渡さねェっつったろ」

「君の意見なんて聞いてないよ。僕は、彼を誘ってるの。ねぇ、僕と一緒に来たら、毎日美味しいものを食べさせてあげるよ。暖かくて清潔なベッドに、綺麗なお洋服も用意してあげる。大事に大事にしてあげるから、ねぇ、僕とおいで」


 ウミがサクロを睨みながら一歩踏み出す。その腕を掴み、アザーはウミを引き止めた。


「いい。お前といても…迷惑になる。これ以上、お前の足を引っ張りたくない」

「んだよ」

「さっき聞いただろ。攫われてきた子達は俺以外みんな病死した。俺の兄弟も、全員だ。多分…神岩の欠片を飲み込んでないせいだ。俺も同じ症状が出てる。恐らく長くはない」

「はいはい。泣くな泣くな。仕方ない奴だな」

「泣いてないだろ! こっちは真面目な話してるんだぞ!」

「ったく、うるせぇな…」


 面倒くさそうに、ウミは大きくため息をついた。

 アザーは、唇を噛んで俯く。


「だからもう、俺の事なんて…」

「ンなら、神岩手に入れる方法探すだけだろ。泣き虫チビちゃん」


 絞り出すように呟かれた言葉を、あっけらかんとウミは遮った。


「俺が、お前が生き延びられる道を見つけてやる」


 ウミは小指を立てると、アザーへと向けた。


「約束だ。破ったら首チョンパで構わねぇぜ」

「…俺は約束を破ったのに…」

「あーもーうるせぇうるせぇ。おら、どうすんだよ!」


 居場所のないひとりぼっちの少年を、自分のただ一人の友人にしてしまった、光のような傍若無人さ。

 アザーの目が潤む。

 黒い鱗の細い小指がおずおずと伸びる。そして、ウミの小指へと、縋るように絡まった。

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