37.不可能?

「血」


 玄関に立ったウミを弾き飛ばしかねない勢いで内側から戸を開いたアザーは、その姿を見た途端、低い声でそう呟いた。


「……後で話すからよォ…先に飯……」


 呻くウミの口に、抱えていた皿から蒸した芋を一つとって突っ込むと、アザーは「信じられない…なんでこんなに血が出る事態になるんだ…」と愕然とした表情で帯を解き、袖のちぎれた汚れた服を乱暴にむしり取った。


「ひんふぁいふぁふぇへわりぃふぇどよぉ…」

「お前の心配をしてるんじゃない。洗濯が面倒だって話だ! 血液はなかなか落ちないんだぞ!」


 ぷりぷりと怒りながらアザーは、服を片手に外に汲み置いてある洗濯用の桶へと向かう。

 玄関先で丸裸のまま取り残されたウミは、咀嚼した芋を数回に分けて飲み下しつつ家の中へ入った。


 二人の暮らす家は、アザーが、働き先である貸し馬車屋の老主人から譲り受けたものだ。

 小さな二階建ての家で、一階にはキッチンとリビングがあり、二階には個室が二つと大きな物置がある。

 元々は老主人の息子夫婦が建て、彼らの子供と三人で暮らしていた家だ。しかし、何かをきっかけにして息子夫婦は大きな街へ越し、そのまま老主人とは疎遠になってしまったらしく、空き家になっていたところを管理を兼ねて老主人がアザーへ託したのだ。


「腹減った……」


 家賃の分を食費に回せるというのは大きい。何せこの街は、他の田舎町と比べると幾分、家賃が高い傾向にある。

 首都やその他の大都市と比べれば慎ましやかだが、それでも王国が直接管理していて、何より迷宮という希少な施設が鎮座している街である。

 迷宮と、その周りで動く金を目当てにやってくる人々は多い。通りの隅で寝起きしている人々も少なくないし、貧しい労働者向けの安アパートはいつも満室だ。

 そんな中、仕事があり、家があり、食事にも困っていない。


「悪くねェな」


 食卓に並ぶ、いつも以上に豪華な夕食を眺めながらウミは口の端から滴るよだれを拭った。

 ウミはここでのアザーとの生活を、大いに気に入っていた。それこそ、望郷の念を失うほどに。


「飯は服を着てからにしろ」


 戻ってきたアザーが、真っ裸でフォークを手にするウミに向けて言い放った。

 限界を超えた空腹に、更に待てをかけられたウミは、


「ったく、人間どもみてェなこと言うんだからよ」


 と小さくぼやいた。

 ぼやいてから、しまった、と思った。


「……仕方がないだろう。俺は、人間に育てられたのだから」


 少しの間の後、深く沈んだ声。

 ウミは「あー…」と唸った後、反省の意味を込めて両手を上げ、アザーを振り向く。


「口が滑った。今のァ無しだ。悪かった。飯食おうぜ、お前も腹減ってンだろ」


 ぶすくれた顔をしつつも、こくん、と頷き、アザーは替えの服をウミへ手渡すとその向かいへと座る。

 渡された服を大人しく羽織ると、ようやくウミは、待ち侘びた食事へとありついた。


「疲労回復や筋力増強に効くらしい薬草を少しずつ入れてある。おまじない程度だとは思うが、酒場の料理人が勧めていたんでな。もちろんお前のためじゃない。俺の体作りの一環だ。俺だってリザードマンの端くれだ。体は鍛えておきたいからな」

「そうかィ」


 話半分に聞きながら大皿に乗った料理をもりもり食べつつ、よくもここまで様々な料理を作れるものだとウミは感心する。

 しかも、そのどれもが美味い。人間がアザーに仕込んだ料理の腕は、実際のところ大したものだと心の中でしみじみと思った。


「弁当、アイツらと食ったがよォ。うめェって評判だったぞ」

「そうか」

「エンショウとカノウが今度食いに来たいって騒いでたぜ」

「断る。あいつらはうるさすぎる」

「そういやハナコには会ったことあったか?」

「会っていないな。ヨミチとかいう人間のことは覚えている。それの妹だったか」

「まァ紹介くれェは今度しとくか」

「うるさい奴はお断りだぞ」

「ハレと気が合うような女だよ。酒飲ませなきゃ概ね静か…。……いやどうだかなァ…」


 そんな話をしながら、ウミはどんどんと食事を進める。


「……今日の体調ァ、どうだったよ」


 その向かいで、小ぶりのパンを一つ、肉を数切れ、サラダを数口食べてフォークを置いたアザーに、ウミは問いかけた。

 線が細く、華奢なリザードマン。他種族には評判の見目だが、同族であるウミからすると…不健康に痩せているようにしか見えなかった。

 若返りの煙をエンショウと共に複数回使用したため、ウミの体は現在、実年齢より五つ程若い。年齢でいえば十五歳ほどの体格だ。アザーとウミは同い年である。それでも、アザーの体はウミと比べて、細く、薄く、頼りない。

 ウミの視線に追われるように、肉をもう一切れ口に含んだアザーは、不器用に小さく笑ってみせる。


「目眩は相変わらずだが…。他は問題ない。…店主殿には、少しぼんやりしていると言われたが、あの方も結構な年齢だ。ぼんやりしているのはあの方もだろう? 客にも何も指摘されない。だから、大丈夫だ」

「少し休んでもよォ、いいんだぜ。迷宮探索もそこそこ順調でよ、実入りも悪くねェしな」

「ふん。いつまで休めって言うんだ。この目眩が治まるまでか? もう、ずっとなんだぞ。他は何も問題ないんだ。心配は無用だ」


 額に手を当て、アザーは俯いた。色素の薄い冠羽がさらりと一本落ち、白く細い頬を飾った。


「どうせ治らないんだ。お前ももう、気にしてくれるな」

「原因も解決方法も分かってンだ。治らねェとは言わねェだろ」

「解決方法が実現不可能ならば無いのと同じだ」

「不可能じゃねェだろ別に」

「不可能だろう! 故郷でも希少な石なんだ、あれの確保のために血なまぐさい口減らしの儀式を行うくらいに! 手に入るわけがない!」


 腰を浮かせ声を荒らげたアザーの前で、ウミはつまらなそうに顔を顰める。


「あァ、うるせェな。俺がどうにかしてやるっつってんだからよォ。不可能なことねェだろ」

「でも」

「俺ァ、約束を違えねェ男だぜ。信じろよ」


 くく、と喉で笑うウミの顔は自信に満ち満ちていた。全て上手くいくと、無条件で信じられるような。そんな堂々とした態度。


「なんだよその顔。帰るって言って、飲んで帰ってくることたまにあるだろ。約束なんて、違えまくりじゃないか」


 強ばっていた表情をゆるめ、アザーはつられて小さく笑う。


「……信じるよ。ただ、無茶だけはするな」

「しねェよ。俺ァ強いからな」


 強気に言ってのけると、ウミは食卓に残った最後の一口を勢いよく頬張った。


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