32.お人好し


 探索の見落としが無いか確認をしつつ、来た道を戻って一層を目指す。"大通り"を左に見ながら進み、ヒドラのレリーフの扉の前を通ると、上りの階段はすぐそこだ。

 一段一段が高い階段を、体力の無いメンバーにペースを合わせて、手を貸し合いながらゆっくりと登りきる。


「おあー」


 一層へ辿り着いた途端、エンショウがなんともしまりのない声を上げた。


「なんか、めっちゃ明るい。すげぇよく見えるわ」


 二層の深い闇に浸っていた目に、一層の闇は明るく感じられた。闇が明るく感じる、というのも変な話ではあるが。

 初めて迷宮へ入った時の顛末を思えば慣れというのは不思議なものである。


「この調子でどんどん潜っていったらさ、きっと太陽が眩しくて仕方なく感じるようになるだろうね」

「ふふ。いずれひみずのようになってしまうかもしれないわね」

「ひみず?」

「もぐらのことよ」


 もぐら……、とカノウの脳裏にもぐらになった自分たちの姿が浮かぶ。


「職業病とかって、あるでしょ。冒険者って、そういうの多そうだよねぇ。目は間違いなく悪くなるし、寝ても醒めても暗いとこにいるから、生活リズムもおかしくなりそう。……命のこととかも、だんだん、ぼやぼやしてきちゃったりね。そういう精神的なのも、職業病って言うのかな」


 話しているうちにだんだんとヨミチの顔色が悪くなっていく。恐らく、弾けたウミの下顎とちぎれた肩を思い出しているのだろう。

 その場では騒ぐことも無く意外にも冷静だったヨミチだったが、実際はパニックのあまり一周待って思考が滞っているだけだった。

 凍った恐怖は時間が経つにつれて溶けていき、じわじわと全身に浸透すると内側をその淀んだ色に塗り替えていく。

 震える指先を擦り合わせると、ヨミチは恐怖を少しでも逃がすように大きく息を吐いた。


「あのさ。決めるのは今じゃなくてもいいんだけど」


 おずおずとカノウが切り出した。


「これから先、例えばクソオカッパとか…自分たちに敵意を向ける、その、言葉の通じる人と迷宮内で出会った時、どうする?」

「他の冒険者に攻撃された時どうするかって話か」


 エンショウは渋い顔で頷いた。


「正直、あんな奴、次会ったらブッ殺してやる! とか思ってたけどよ。人を殺すって……そう簡単なことじゃないよな」


 エンショウはウミの、砕かれた骨、断たれた血管、ちぎれた筋や肉を思う。あの傷を負っても、ウミは死ななかった。それならば、命を奪うというのは、ただそれだけのために、どれだけのことをやらなければならないのだろうか。


「殺すって行為自体は大したことねェよ。大抵の生き物は首をやりゃ死ぬからなァ」


 殺傷について、ウミの中では明確な答えが出ているのだろう。が、ウミはその答え自体は口にせず、小さくそれだけ呟くと後は黙って歩き始める。その表情は、他の面々の答えを聞きたがっているようにも見えた。

 エンショウは肩を竦めて「物理的な工程の話だけじゃねぇよ」と言った。


「殺すってなると難しいけど…。僕は、あのクソオカッパを好きにできるチャンスが巡ってきたら、どっかこう…小指の骨くらいはぐちゃぐちゃにしたいかなぁ」


「ぐっちゃぐちゃにしたい」とヨミチはもう一度力強く言う。以前、ミッシュルトに手酷く痛めつけられた時のことを思い出しているのだろう。全体的に丸みを帯びている顔のパーツ全てが、きゅっとつり上がっている。


「自分は、仲間を傷つけられたら、やっぱり抑えられる自信はないかな」

「ええ。仲間の…私たちの尊厳を傷つけられるようなことは…あら、お客さんね」


 ハナコは、会敵の気配を感じ話を断つと得意の氷魔法を周囲に展開する。視線の先に、立ちはだかるように現れた二足で歩く植物の群れ。


「援護は?」

「要らないわ」


 言葉と同時にハナコの放つ超低温の空気が植物にまとわりつき一瞬にしてその体を凍りつかせる。


「体内の水分が多い敵にはやっぱりよく聞くわね、無機物系だとあまりきかなくて困るのよ」

「お見事」


 言葉と共にカノウは立ったまま凍りついているモンスターをしゃくしゃくと踏み潰す。


「霜柱みてぇ〜」


 カノウに続いてモンスターを踏みしだきながらエンショウは楽しげに笑い声をあげた。


「モンスターに対してはつい残酷なことしちゃうよね」


 ハレが、どこか遠い目をして言う。


「くだんねェことしてねェで行くぞ。腹減った」

「あ! 待てよ、宝箱漁るわ。老化の煙あっかもよ」

「…あァ」


 ウミとエンショウは意味深に目を合わせニヤリと笑う。


「またなんか下らないこと考えてる」


 呆れたようにハレは口をへの字にしてため息をついた。


 -


 結局宝箱からウミとエンショウお目当ての老化の煙は出ず、一行はその後も出口へ向けて、手馴れた動きで一層の敵を蹴散らしながら進む。

 そして、間もなく、見慣れた迷宮出口の階段というところへたどり着いた時だった。「あァ…?」と低く唸ってウミは足を止めた。


「どうしたの」


 ウミの左右から顔を覗かせる小柄な前衛二人は、ウミにならって前方へ目を向けると「あっ?」と声を上げる。

 数メートル先、通路からはみ出すように人の手が見えた。誰かが倒れているようだ。


「おいおい、しかも生きてるっぽいぞ」


 前衛の頭を押さえつけその上からエンショウが目を凝らすと、倒れているその指先がピクピクと動いているのが見えた。

 怪我をしているのかもしれないし、スタナーか何かにかかっているのかもしれない。だがそれならば、倒れている人物の他の仲間はどうしたのだろう。まさか一人で潜ったということはあるまい。

 もしあの通路の先で手の主の仲間たちも倒れているようならばそれは異常事態だ。パーティー一つを潰してしまうような何かがいるということになる。


「罠かもしンねェしな」


 迷宮において、お人好しは、そう書いてカモと読まれる。冒険者の中だと比較的「お人好し」の部類にあたるパーティーであるが他のお人好しと違うのは、自分たちがお人好しだという自覚があることだ。

 疑う姿勢を常に取り続けるのが、カモがネギまではしょわないコツである。


「哀れっぽく助けてなんて言われなくて良かったぜ」


 助けたくなっちまうからな、とエンショウが眉を下げて苦笑した。

 その瞬間、


「くそ、おい! やめろ! だれか! 助けてくれー!!」


 と、野太い悲鳴が突如として響いた。

 ウミとカノウがまず顔を見合わせ、それからエンショウを見る。


「俺のせい?」

「そうじゃなくって…。地図!」

「あぁ。えーと。出入り口の方から聞こえたな? そっちなら、ここ通らず迂回して行けるぜ」

「様子を見に行こう」


 今にも駆け出しそうなカノウと引き替え、ウミは乗り気じゃなさそうに小さく鼻を鳴らす。


「もっかい言うぜ。罠かもしンねェぞ」

「でも、ほっとけないよ」

「あーあ、ほらな。助けてくれって言われると、ちっと弱いんだよ。俺たちって奴はさ」


「まずは内広場の兵士に報告しない?」とヨミチが意見する。

 が、ハレとハナコが「どうせ地上に戻るわけだし、ひとまず様子だけ見に行ってみよう」と提案したため、多数決は可決される。

 地図を広げたエンショウの提案に従い、腕の見えている通路を回避して違う道から悲鳴の聞こえる出入口へ向かった。


 -


 出来る限り物音を立てないよう通路を進み、出入り口に程近い柱の陰に六人は身を潜めると、背の順で顔を覗かせた。

 一層から地上へは僅か数段の階段があり、その出入り口は一行が初手で遭難した経緯からわかるように、触れると現れる隠し扉になっている。

 その隠し扉の前に、人物が二人いる。一人は、鼻まで隠れるハイネックの黒いコートを着込み、フードを被った人物。もう一人は、その人物に首を捕まれ壁に押し付けられている齢三十程の男。首に食い込む指を掴み、苦しげに呻くその男に、一行は見覚えがあった。


「あ! 前に内広場で私たちの荷物を狙った迷宮盗賊じゃん!」


 以前、内広場を初めて訪れた際に、出会った。親しげに声をかけてきてその隙にハナコのカバンの魔法具を盗もうとした男だ。

 兎口に、坊主頭の特徴的な外見をしているので、間違えようがない。


「た、助けてくれ…! 悪かった…!」


 男は呻きながらもがくが、そう体格がいいように見えない掴んでいる人物はぴくりとも動かない。


「…あの人から何か盗もうとして、返り討ちにあったのかな」


 カノウがコソッと小声で呟く。

 恐らく、それが正解なのだろう。あの通路で倒れていたのは、盗賊の仲間たちに違いない。


「とりあえず、あの人が離れるの待ってから行こうか」

「あァ」


 あの人物が何者かは分からないが、二層、三層へ潜るような冒険者を襲い、その戦利品を身につけているような盗賊を一捻りにしてしまうのだ。手練なのは間違いないだろう。

 無用な波風を立てたいわけではない。盗賊たちに関しては自業自得としか言えないだろう。ご愁傷さま、と言ったところだ。

 人物からここまでは少し距離がある。このまま気配を消していればバレることもない。

 静かにしていよう、とお互いに目配せした瞬間だった。

 しゃがんでいたカノウが、バランスを崩した。


「うわ!?」


 盛大に尻もちを着き、更にころころと数回転がったカノウが通路の真ん中へ躍り出る形に出る。


「やると思った」


 エンショウがぼそりと言った。

 距離が離れているとは言え、その登場の仕方で気づかないはずはない。

 人物は、盗賊へ何か耳打ちをしてから手を離すと、カノウへ向き直りそのフードを少しあげた。


「待っていた」


 存外高い、若い声だった。


「お前たちには、暫く迷宮に留まってもらう」


 男が懐から取り出した弓の弦が、不気味に光って見せた。

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