30.迷宮、記念すべき二層


 歩き慣れた暗闇を進み、現れる敵を倒し、細心の注意を払って宝箱を開け、くだらない雑談をしながらまた進む。日常と化したルーチンの先、その階段はぽっかりと口を開いて新たな冒険者の訪れを待っている。


「ついに俺達も二層か」


 一時の見るからに弱っていた様子から幾分回復し、くまの取れたすっきりとした顔に戻ったエンショウが、感慨深そうに口にした。その手には、先日見事に完成させた、一層の地図が握られている。


「アザまるのおかげでお腹いっぱいだし、全員ここまで怪我もなし。いい感じだね」


 腹を擦りながら二層へ降りる階段を覗きこみ、カノウは力強く頷く。

 全員の腹が些か膨れ過ぎな程に満たされている理由は、ウミが抱えて持ってきた巨大弁当のためだ。

 アザーが二層へ挑むウミのために張り切って作った弁当だったが、流石に持ち込める量でもウミ一人で食べ切れる量でもないため、前広場で先に皆で食べることにしたのだ。

 車座になり、ピクニックのような雰囲気で笑いながら呑気に弁当を頬張る一行を、出入りする冒険者たちは「バカ丸出しの初心者」と隠すことも無く笑っていた。

 彼らもまさか、そのバカ丸出しの一行が、鏡の回収を目指しこれから二層へ向かおうとするパーティーだとは、思わなかっただろう。

 知ったところで、「やはりバカか」と更に笑うだけかもしれないが。


「確認だァ。今回はエンショウの地図の進捗見つつ、キリのいいとこで切り上げる。俺の腹ァ減るの待ってたらいつまでも帰れねェからなァ。切り上げる判断は状況見て決めてくぞ。二層も死人無しだ。いいなァ?」


「おー!」という返事と、突き上げられる拳。新人から抜け出そうとするウミ隊の、記念すべき二層探索が幕を開けた。


 -


 階段を降りた先には、一層より更に濃い暗闇が待ち受けていた。


「松明、一応持ってきたわよ」


 早々の予想外の出来事に足を止めた一行の前で、ハナコが小ぶりの松明を腰から引き抜き差し出す。


「いや、火はつけねェ。二層入口は迷宮盗賊が活発らしいからなァ。松明持って歩いて初心者ヅラしてっとすぐ狙われる。俺とエンショウの目が慣れたらすぐに動くぞ。ハナコとハレは魔力の流れ見とけ。何が出てくっかわかンねェからなァ。チビ共は歩きながら慣らせ。俺が先を行く」


 一番先に暗闇に慣れたのはエンショウだった。皆が四苦八苦している中、悠々と周辺を歩き地図を書き始める。


「迷宮潜り出してから秘められしホビットの血がますます活発化してる気がすんだよな」

「足の毛は増えた?」

「待てよ、確認すっから…」


 エンショウが、カノウとくだらなくふざけてる間に、ウミも全員の顔を把握できるまでになる。


「魔力の動きはない…気がするよ、なんとなくだけど」


 魔力の流れを感じようと暗闇の中で巨体を大の字に広げるハレの言葉に、ハナコは頷く。魔力測定器から飛んだ光球がふわふわと闇の中で朧気に光った。


「よし。行くかァ。後ろ警戒でエンショウ真ン中、最後尾歩け」


 エンショウがぎくりと動きを止めた。最後尾というのは、後ろから不意打ちを受けた時の抑え役で、同時に前の敵から逃げる際の先導を受け持つ重要な位置だ。

 危機察知能力と俊敏さが求められるため、盗賊であるエンショウには適役だろう。

 が、体格に恵まれているとは言い難いエンショウである。


「いや、自分後ろ歩くよ。エンショウだと不意打ちで即死する」


 エンショウの不安を見抜くようにハレが名乗り出た。ハレ程の体格であれば、同じ攻撃を受けるにしてもエンショウより傷が深くはならないだろう。が、


「ダメだ。僧侶は砦、盗賊は防衛線。盗賊と代わるなら魔法使い」


 ウミはすげなくそう言って、エンショウとハナコを交互に見て、最後にハレに視線を向けた。

 エンショウが大人しく最後尾についたのを見て、ハレは反論のために開いていた口をぴたりと閉じた。


「行くぞ」


 その言葉を合図に一行は指示通りの陣形を作り、歩き始めた。


 -


 一層と比べ、二層は人工的に作られた空間という雰囲気が強かった。壁は積まれた石で出来ていて、足元にも石畳が敷かれている。

 なかなか暗闇に慣れないヨミチ、ハナコに合わせてゆっくりと歩いていると、ウミはふと足を止める。

 後続の面々が覗き込むと、壁に扉が誂えてあるのが見えた。一層にあったような石の扉ではなく、重厚で分厚い木のドアだった。ドアノブまでしっかりとついている。

 訝しみながらウミはそのドアノブを握り、左右に捻る。が、どういうわけか扉は開かなかった。


「なんだこれ…蛇か?」


 エンショウが、目を細めて扉の中程を見る。そこには金属のプレートが付いていて、首が複数ある蛇のような生き物のレリーフが彫られていた。


「ヒドラね」


 ハナコが前衛の頭越しにレリーフを指でなぞりながら呟いた。

「ふーん?」とよく分かっていない顔で、エンショウは地図に扉のマークと、下手くそな蛇の絵を描きこむ。

 ウミは暫く扉を強く押したり引いたりしていたが、扉がピクリともしないことが分かると首を小さく傾けて手を離す。

 木でできているに見えるが、その実、もっと頑丈な素材で出来ているようだ。


「ここは後回しだね」


 カノウの言葉にウミは頷き、扉の前を通過してさらに先へと進む。

 少し歩くと、大通り、としか表現出来ないような真っ直ぐに続く広い道がどんと通っている場所に出た。今まで通ってきた道と比べると、異様なまでに広い。


「一旦、無視すンぞ。手前の探索を先に終わらす」


 それから一行は、一層でもしょっちゅう出会う馴染みのモンスター、巨大ネズミと邂逅し二度の戦闘をする。

 一層では既に大したことの無い敵の一つとなっていたそれらだったが、流石二層で生きている個体は一味違うらしい。一つ一つの攻撃が想像より重く、素早い。

 戦闘から感じる手応えに、二層に降りたのだという実感が深まる。


「宝箱の罠もなんとなく解きづらいように感じるぜ」


 そう言ってエンショウは、無事に開けた箱から、今前衛がつけている物と比べると幾分か立派な小手を拾い上げる。


「売る? 使う?」


 エンショウが小手を掲げるとハナコがそれをちらと見て「売っても二束三文よ、いただいちゃいましょう」と言った。

 魔法具の開発を大学で行っていたハナコは、迷宮で身につけるような鎧や武器にも詳しいらしく、所謂「鑑定」というものができた。

 そのお陰で商店でも買い叩かされることが無く、恐らく新人パーティーにしては悪くない金回りで冒険を行えている。

 小手は、自然な流れでヨミチが身につけることになり、休憩を終えた一行は更に探索を続ける。


 二層の端に当たるかという場所まで歩いた頃、隅に先程見つけたものと同じような扉を見つけた。木でできた扉。先程の扉とは違い、レリーフはついていない。

 ウミが取っ手を掴み捻ると、なんの引っ掛かりもなく扉は開いた。

 中を覗くと、明かり一つ無い真っ暗な小さな部屋だった。奥の壁まで十歩もないだろう。


「なんもねェか…」


 いつものようにウミが先頭で、部屋へ踏み込んだ。

 その瞬間、風を切る音がしてウミが右の壁に叩きつけられた。一瞬、体が壁に張り付いたようになり、それからゆっくりと崩れ落ちる。


「ウミ!」


 室内へ飛び込もうとしたカノウの腕をエンショウが掴んだ。


「待て! 全員その場で動くな! 多分、トラップだぜ!」


 エンショウは素早く辺りに視線を走らせる。まずウミの血液が飛び散った右の壁。ちょうど人の顔と、首の辺りになるだろう高さの位置の石が砕け、穴が空いている。反対の壁を見る。人工的に空けたと思しき、綺麗な細長い四角い穴が縦に二つ空いていた。

 それから地面を見る。廊下と同じ石畳の床だ。そのうちの一つ、扉に程近い石が…不自然に浮いている。


「あの石、踏むな。多分あれがトリガーだ。でも確証はねぇから一応、ウミより前出ねぇで、頭下げて……。うん、俺が行く」


 ドジを踏んで二次被害が出そうなカノウを抑えて、代表としてエンショウが腰を屈めて恐る恐る室内へ踏み込む。

 壁沿いにウミに近づき、ぐったりと動かないその長駆の脇の下に腕を入れると、渾身の力を振り絞って部屋の外へ引きずり出した。

 ハナコが火をつけ差し出した松明でウミの顔が照らされる。その姿に、全員が息を飲む。

 左肩の一部と、下顎が吹き飛ばされ、無くなっていた。


「ウミ。…ウミ」


 ハレが呼びかけると、赤い瞳が弱々しく動き、ハレを捉えた。

 生きている。

 柘榴のように割れた下顎の、引きちぎれた筋や皮の中に何かが埋まっている。石の杭だ。鋭利に尖った石が、骨に突き刺さっている。リザードマンの強靭な顎を貫通し、見事に破壊せしめたもの。

 徐々に意識がはっきりしてきたらしいウミが、憎々しげに肩の杭を引き抜き放り投げる。「ちょっと!」と声を荒らげ慌ててハレが吹き出る血を手で抑えた。


「ああもう、重症だ。ちょっと長めの治癒に入るから、カバーお願い」


 そう言ってハレがウミを横たえその脇にしゃがんだ。


「……俺らだったら即死だったな…」


 部屋の中に目を凝らしながらエンショウがぽつりと呟いた。

 身長のあるウミだから被弾が下顎と肩で済んだが、もし他のメンバーであれば頭蓋が砕け中身が飛び散るか、首がもげるような事態になっていただろう。


「それどころか罠の種類によっては最悪、全滅だったわよ。もし杭が向かいから複数飛んでくるタイプだったら?」


 前衛の平均身長が異様に低いこのパーティーである。被害は間違いなく後衛にまで至るだろう。ハレなどいい的だ。

 エンショウはゾッとしながら地図に「危険」を意味する赤いマークを丁寧に書き込んだ。


「ちょっと一旦今日は上がろう」


 ハレが提案する。その横では治癒を終えたウミが体を起こして頭を抑えながら荒い息を繰り返していた。薄い灰色で作られた衣が真っ赤に染まっている。


「おう、それがいいと思うぜ。俺、やべぇことに気づいちまった」


 気遣わしげにウミを見つめる面々の中、エンショウが部屋の中をまじまじと覗き込みながら言った。


「罠がある。壁がこれだけ抉れてるのに、死体どころか血の跡すらねぇ。つまり?」


 エンショウの視線の先、石壁の隙間から、芋虫ほどはあるウジのような虫がモゾモゾと現れた。それらは壁を彩っていたウミの血へ一直線に集るとその血を端から舐めとっていく。血を舐める度に、虫の半透明の体が赤くなっていき、なんともおぞましい光景だった。

 その直後、部屋の隅から手のひらほどの大きさのゴキブリが大量に現れウジのような虫を食らっていく。


「……エンショウ、いい仕事するじゃん」


 ゴキブリがどこからか現れた例の巨大ネズミに食われ、更に大きな影が部屋の隅の暗闇で動いた瞬間、カノウは部屋のドアを閉めそう言った。


「よし、帰ろう! ね! すぐに帰ろう! 今すぐ帰ろう!」


 扉が開かないようにドアノブをしかと掴んだヨミチは、そう言って強ばった笑顔をうかべた。

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