4.先祖返り


 暗闇に慣れきった目は、もうなんの支障もなく辺りが見えている。苔の生えた湿った石壁、骨片らしきものが隅に吹き溜まった床、スライムだったもののシミと……


「あった」


 宝箱。モンスターを倒した後に辺りを探すと、時折見つかるもの。

 そんなものがなぜあるのか? それはエンショウにもわからない。仕事で知り合った先輩冒険者が言うには、何か、モンスターの本能に関係があるらしかった。得たものを隠そうとするとか、なんとかの……。説明はされたが、エンショウはいまいち、理解できていない。

 迷宮も、宝箱も、よくわからないことばかりだ。だが、わからなくてもやるべきことはできるので、エンショウは宝箱の前にしゃがみこむ。

 宝箱の匂いを嗅いだり、軽く振って音を確かめたりする。首に巻いたスカーフの中に仕込んでおいた針金を用いて、罠がかかってないという最終判断を下すと、ゆっくりと蓋を開けた。


「クソ、スクロールか」


 スクロール。魔法が封じ込められた特別な巻物で、素質がない者でもこれを用いれば一回こっきり封じ込められた魔法が使える。

 とても便利で、使い勝手のいいものだが……効果を知らなければ使用できないという欠点があった。

 効果を知るには、「識別」と呼ばれる特殊な技術が必要で、識別は基本的に商店でしか行っていない。

 つまり、今見つけて持っていても仕方がない代物なのだ。ヨミチに渡した棍棒のように、すぐに手にできるものが見つかったら良かったが……。そううまくはいかないのが現実か。

 肩を落として、スクロールを雑にベルトに挟み込む。

 さて、向こうも話が終わった頃かな、と体を起こして振り向くと、何やら異様な雰囲気に包まれている。ウミを取り囲み、皆が深刻そうな面持ちだ。


「ウミ、大丈夫? それ……」


 カノウの低い声。何かあったのか、と輪に加わると、中心に座り込んだウミが滅多と表情の変わらない端正な顔を、珍しく歪めている。


「痛ェ」


 力なく揺れるウミの尾は、鱗と皮膚が剥がれ、赤い肉が剥き出しになっていた。さらにその肉も火傷のように爛れ、見るだけで顔を顰めるような、痛々しい有様になっている。


「まさか、スライム?」

「うん。飲み込んだものを溶かす性質があるみたい」


 カノウは、先程スライムを殴り付けた時に使った自身の上着を広げる。彼女が気に入ってよく羽織っていた深緑色の厚手のポンチョは、溶けて穴が空き、とても身につけられそうにもない状態になっていた。よく見れば、スライムを殴り付けたカノウの右手も、赤くなり水泡が出来ている。

 もしウミを助けるのが遅くなっていたら。もし、生身の状態でスライムに飲み込まれていたら。

 改めて自分たちが、薄氷の上を歩いているのだと思い知る。

 きちんと装備を整えた冒険者たちが馬鹿みたいに死んでいる迷宮に、着の身着のまま手ぶらで入っているのだ。普通に考えれば自殺志願者か狂人だ。自分が友人に、手ぶらで迷宮に入って遭難したなどと話されたら、かなり真剣に付き合い方を改める。本気で友達でいたくない。やばすぎる。

 だが、違うのだ。勘違いしないでほしい。あくまで……事故だったんだ。まさか遭難するなんて思いもしなかった。少し入って、すぐに出てくるつもりだったんだ。

 でも、軽装で山に入って遭難する都育ちの浮かれた若者もみんなそう言うんだよな、とエンショウは苦い表情を浮べる。

 山村育ちを買われて山で遭難者を探す仕事をしてた時期があったが、シーズンごとに現れるそういう連中を毎回毎回バッッッッカだな〜! と笑っていた。もうわざとだろ! と。わかるだろ、こうなることくらいよ〜! 山舐めてっからだよ! と。

 わかんなかった。わかんなかったよ。まさかこうなるなんて、マジでわかんなかった。迷宮を舐めた馬鹿だったぜ。猛省する。

 遭難してから体感で一時間経ったくらいだが、まだ誰も欠かさずこうしているのは幸運としか言いようがない。山の神ならぬ、迷宮の神に様子を見られている気がする。どうか、どうかこれ以上何も起こらず、無事に外へ出させてください。ウミの痛ましい傷跡を見つめながら、心の中で膝をつき、本気で祈った。


「……ハレ、ウミのこと治してやってくれない」


 カノウが、端で膝を抱え俯いているハレに声をかけた。


「エッ……」


 ハレは、ビクッと小さな肩を震わせ、驚いたように声を上げる。黄金色の鱗粉が、迷宮の暗闇に幻想的に散る。


 フェアリー。美しい蝶の羽を持つ、森と共に生きる神秘的な種族。狭いコミュニティに受け継がれる儀式的な生活は、彼らの中に深い信仰心を宿し、それゆえに治癒を得意とする僧侶の適性を持つ個体が多いとされている。


 ハレは、カノウの幼なじみだ。同じ孤児院で育った一番の仲良しだと話していた。

 迷宮へ潜ることを本格的に決めた頃、カノウは僧侶の枠としてハレにも声をかけた。元々四人で交流もあったため、エンショウもウミも、ハレが加わることになんの反論も無かった。

 数日後、待ち合わせ場所に現れた彼は、エンショウの知っている彼とはすっかり違う姿だった。

「先祖返り」が起こり見た目が変わったのだと、カノウはエンショウ、ウミに説明した。「先祖返り」という言葉の響き、何やら深刻そうな雰囲気に、エンショウもウミも詳しくは突っ込めなかった。


「治癒、得意だったよねハレ。ウミが満足に動けないと、私たちも危ういから。恥ずかしいけど、この状況だとウミに頼らざるを得ない場面も増えるし」

「ち、治癒……その、治すのネ…………えっと……」

「ハレ?」


 しどろもどろ。様子のおかしいハレは、何か言い淀みながら小さな手で眼鏡の位置を忙しなく直す。その度に背中の黄色い羽がぱたぱたと動いた。

 ハレの羽はモンシロチョウなんだよ、と酔っ払ったカノウがニコニコしながら話したのを覚えている。それを聞いて、似合わねー! と笑った。あの頃のハレは、本当に蝶の羽が似合わなかった。何せ、図体が異様に大きかったから。

 エンショウが笑ったせいなのか、ハレは羽を服の下に隠し絶対にエンショウにだけは見せなかった。ウミも確実に笑っていたのに、顔に出ないせいかウミはハレの羽を見せてもらっている。「ムダ毛みたいだったぜ」と意味のわからない感想を言っていた。

 そいや、モンシロチョウの羽って、黄色かったか?


「どうした、調子悪い?」

「調子……その、治癒がネ…………ワタシ……治癒……」

「治癒が、一度しか使えないことかしら?」


 流れる黒髪をさらりとかきあげながら、ハナコは首を傾げた。


「私も、迷宮の中の魔力を上手く練れなくて、魔法があまり使えなさそうなの。撃てて、きっと一回ね。学園の人工の魔力とはやっぱり違うわ。僧侶の行う治癒も少なからず魔力を扱うものだから、地上と勝手が違ってもおかしくないと思うのだけれど」

「そうなの? ハレ」


 優しい声音でカノウが訊ねても、ハレは答えられない。顔を青くして体を震わせている。

 迷宮の中は外と全く理の違う世界だ。普段できることができなくても、おかしいことじゃない。そう気に病むこともないと思うのだが。

「先祖返り」とやらで体格がひどく変わってから、どういうわけか性格も明るくなったハレだが、元々は引っ込み思案なところのある男だ。

 そうか。環境の違いに動揺してしまう性質なのか、とエンショウは同情する。


「まだいけっから。やばくなったら頼むわ」


 ウミが、ハレからふいと顔を逸らして言う。

 大丈夫なようには見えないが、ウミは頑固なためもうこれ以上は何を言っても無駄だろう。


「……わかった。無茶はしないでね」


 とカノウが言うと、


「あァ」


 と頷いた。


「よし! じゃあ、そろそろ出発しよう。出口付近に戻るため……右手の法則を使ってこうと思う」


 気を取り直したように明るくカノウは言う。


「右手の法則? なに、下ネタ?」


 へらりと笑いながら聞き返すと、その頭にカノウのチョップが落ちてくる。


「壁に右手をつけたまま離さず迷路を歩くと、一周ぐるりとまわれるっていう攻略法。これで道に迷うことは無いよ。ハナちゃんの見立てだと入口があった場所の壁に触るだけで外に出られるはずだから、壁から手さえ離さなければどっかで出られる!」


 おお! と素直な賞賛の声があがる。

 やはり、終わりが見えてくるとやる気もわくものだ。互いに顔を見合わせて頷き合う。


「ヨミチさん、棍棒あるから場所変わろう。私が右手で壁触って歩く。戦闘入ったら手離しちゃうから、後ろでハレも壁触ってて。離しちゃダメだよ」

「う、ウン……」

「ありがとう。じゃあみんな。生きて帰ろう!」


 おー! と拳を突き上げる。先程より幾分か強い足取りで一行は再び歩き出した。エンショウも、周囲を警戒しながらも、死の淵自体は脱したような気楽さでいた。

 あと数回、しのげばいいだけだ。戦闘からの逃走自体はこれまで悪くない回数成功している。敵に気づいたらすぐに走って、逃げる。それを繰り返していけばきっと問題なく外に出られる。


 ……ただ。

 エンショウは隣の小さな影を横目に見る。

 浮かない顔でじっと俯き黙りこくっているハレと、彼の纏う違和感。エンショウはそれがどうにも気になって、仕方がなかった。

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