2.お散歩気分で


 迷宮へは、都市の中心から森の方へ続く一本道を十五分ほど歩けばたどり着く。

 鬱蒼とした緑の中を進んでいくと広場のように整地された空間にたどり着き、そこが都市の住民や迷宮関係者の中で「前広場」と呼ばれる場所だ。

 前広場では、常に王国の兵士が王家の紋章が描かれた布を張り巡らせてキャンプをしている。キャンプに運び込まれている物資の山を見れば、この迷宮の攻略にあたる王国兵士、また冒険者たちに降りかかる環境の過酷さは言わずもがなといったところか。

 そして、前広場の正面。むき出しの山肌に、石で補強された四角い穴が無造作に空いている。ただの鉱山の入口と言われたらそうにしか見えないだろう。だがそれこそが侵入者の命を奪い続ける、恐ろしき魔物の巣窟、迷宮の入口なのだ。


「ちなみに、前広場の"前"は、迷宮入口前の略。迷宮入口前広場、略して前広場ね」

「それはなんとなくわかるわ」


 ハナコは手にしたノートに何かを書き込みながら、ぴしゃりと答える。

 詳しくは聞いていないが、ハナコはどうやら卒業を控えた現役の学生らしい。国立大学からの紹介で、魔法の研鑽を積むため兄と共にこの街へ来たと話していた。

 出会った時から欠かさず持っているノートにはエンショウにはてんでわからない計算式やメモがビッシリと書き込まれていて、彼女の魔法へ向ける情熱を感じさせられる。


「迷宮内の魔力濃度とか事前に知りたいけど……。入口付近なら入っても大丈夫かしら…………」


 こめかみを指先でとんとんと叩き、何か計算しながらハナコは言う。


「入ったところから動かないなら問題ないんじゃね? なんかあったらすぐ飛び出せばいいし」

「一人だと危ないから、ハナコちゃん入るなら私たちも入るよ。私も、予め空気感とか確かめておきたい気持ちあるし」


 ね、とカノウはウミとハレを振り返る。


「大丈夫と思うヨ」


 ハレは頷き、ウミは「サクッといくかァ」と入口へ足を向ける。

 一人、ヨミチだけは全く気乗りしないようで一番後ろで何やらごねていた。

 だがハナコに「兄貴は来ないの」と言われると渋々といった様子でハナコの横に並び、「危なかったら守ってね……?」とその服の裾を掴む。


「早かったら明日には本格的に潜りだすんだぜ。そんな調子で大丈夫なのかよ」

「僕は最初っから行きたくないって言ってるんだゆ〜……」


 エンショウにからかわれ、ヨミチは不満げに頬を膨らませる。


「うわ、暗」


 迷宮の中を覗き込むと、真暗闇が広がっていた。外の天気は晴れていて日差しも強いのに、その光の一筋をもこの迷宮は拒絶しているようだった。

 闇の中へ腕を伸ばしてみると、冷たい空気に鳥肌がぞわりと立つ。


「お腹冷えて痛くなりそう」


 そう言ってエンショウは、迷宮の中にそろりと足を踏み入れる。


「なんか……生臭いね」


 続いてカノウも中へ入り、しげしげと周囲を見渡す。


「いい匂いがしてもヤダヨ」


 ハレの言葉に、確かに、と笑いながら残りの一行が迷宮の中へぞろぞろと入る。


「まあ、これだけ暗かったら逆に入口がすぐ分かっていいかもしんねぇよな」


 と、エンショウも呑気に軽口を叩いて辺りをうろついた。一番手近な柱に触れ、なんともなしに入口を振り向く。その瞬間だった。

 なんの音も、衝撃も無しに、周囲が暗闇に包まれた。動揺の声、足音。


 入口が、消えた。


 闇を切り抜き白く光っていた四角の門は、まるで幻のように綺麗さっぱり消え去った。

 閉じ込められたのか、どこかに飛ばされたのか。事態を飲み込めないままエンショウは暗闇の中で立ち尽くし……そして、今に至る。


「エンショウくんとウミくんはさぁ、冒険者の"荷物運び人"をしてたんでしょ? 僕らのことパーティーに誘った時、そう言ってたよね? だから迷宮のこと、ある程度詳しいって。出口のこととか、何か知ってるよね……?」

「あー……ね」


 不意にかけられたヨミチの言葉に、エンショウはぎくりと体を強ばらせる。


「荷物運び人っつーか……荷物を運ぶ仕事は、してたぜ…………。な、ウミ?」

「あァ、してたな。迷宮から出てきた連中の荷物を、前広場で受け取って店や宿に運ぶやつなァ」


 ヨミチはその言葉に眉をひそめる。


「"前広場で受け取って"?」

「そう……」

「……迷宮に入ったことは?」


 しばしの沈黙。

 エンショウは視線をあちらこちらへ向け、下唇を嫌という程舐めると、やがて観念したように膝をつき頭を地面へすりつけた。


「ごめんなさい……無いです…………」


 すぅ、と息を吸い込む音がした。


「優良誤認じゃん!!!!!!!!!!!」


 暗闇にヨミチの怒号が反響した。

 その声量は、妹のハナコですらこれまでの人生の中で一度も聞いたことのないもので、切れ長の目をぱちくりとさせて驚いている。

 ヨミチはそのまま、ウゥーッ! と泣き崩れたかと思うと、おもむろにエンショウの腰につかみかかった。その勢いでエンショウは尻もちを着く。


「嘘つき! 嘘つきぃー!」

「だって魔法使いと戦士の二人組、俺ら四人と兼ね合いが良かったんだもん! 絶対組みたかったんだもん! 本当にゴメンネ! でも嘘はついてねぇよ! 迷宮に入ったことないの黙ってただけで!」

「"荷物運び人"っていったら、迷宮の中についていって荷物を運ぶ人のことじゃん!」

「俺ら荷物運び人なんて一言も言ってねぇもん! 荷物を運ぶ仕事してたって言っただけで!」

「詐欺だよそんなの!」

「勝手に勘違いしたのそっちだろ!?」

「逆ギレするのー!? なんだよ! 俺らめっちゃ迷宮詳しいですみたいな顔してたくせに!!」

「どんな顔だよ! そんな顔してない!」

「してたもん! もう! ……このーっ!」


 ヨミチの手が拳を作り、振り上げられる。だがその手はエンショウに届く前に、白く細い指に止められた。


「兄貴」

「……ハナちゃん」


 妹の静止を受け決まり悪そうに口をつぐむと、ヨミチは腕を下ろす。ハナコはヨミチの腕を放すと、割って入るようにエンショウの前に立った。一行の中に、緊張した空気が流れる。

 ハナコは表情の読み取りづらい美しい顔でエンショウを見据えると、静かに口を開いた。


「まず、兄に代わって、仲間に手をあげようとしたこと、謝るわ。ごめんなさい」

「ハナちゃん! ……違うよ、僕が冷静じゃなかった。自分で謝るよ。エンショウくん、ごめんね」


 しょぼんと肩を落とすヨミチに「いや、俺も悪かったし」と笑いかける。右手をヒラヒラと振りながら、もし本当にヨミチが殴りかかってきたら応戦のために使おうと左手に握りこんでいた小石を、そっと転がして捨てる。


「それから、貴方たちの迷宮行の有無について。私がパーティーのメンバーに求めたのは職能のバランスだけだったから、私は貴方たちの迷宮経験について深く追求する気は無いわ。嘘をつかれたとも思ってない。もちろん、紛らわしい言い方じゃない? とは思うけど。でも、迷宮に関わったことの無い私たちみたいな余所者に比べたら、貴方たちの方が迷宮に詳しいのは間違いないしね」


 冷静なハナコの言葉に、エンショウはおずおずと「いや、意図的に若干盛ったのは事実だから、ゴメン」と再度謝る。


「そして、そもそもの話になるのだけど。みんなに一番謝るべきなのは、私よ。軽率に迷宮に入ることを提案したのは私だから。みんなを巻き込んでしまって悪かったと思ってる」

「それは違う!」


 カノウがすぐさま、ハナコの言葉を否定する。それに対してハレもエンショウも頷いた。


「同意した時点で連帯責任だヨ」

「そーそー! 誰も反対してねんだから、おあいこ!」


 ヨミチが、自分は反対したのに、という表情を一瞬浮かべるが、流石に空気を読んでか何も言わない。

 ハナコは皆の励ましに「ありがとう」と返す。怜悧な顔に、細い月のような笑みがすっと咲いた。


「……じゃあ、仲直りってことでぇ……。ウミくんとエンショウくんは出口のことは知らないみたいだったけど、カノウさんとハレさんはヒントになること、何か知らないかなぁ? ここら辺の出身って言ってたよね♡」


 いつもの調子を取り戻すように、朗らかな笑顔と明るい声音で、ヨミチはカノウとハレに尋ねる。

 二人はそれぞれ唸り声をあげて考えるが、やがて諦めたように首を振った。


「普通に生きてたら迷宮入ったりしないヨ。分かんないネ」

「うーん……。そりゃ、迷宮の話はたくさん聞いたことあるよ。酒場とか、仕事で一緒になった冒険者とかから。たとえば、首を刎ねるうさぎがいるとか、落とし穴があるとか、深い場所にはすごく強い魔力生命体がいるらしいとか、そういう話はね。でも、迷宮からの"出方"は聞いたことないかも」

「つまり、兵士や冒険者の中じゃわざわざ話すまでもない当たり前のことなのね……」


 顎に手を当て、ハナコは何か考え込む。


「……あァ」


 不意に、今までずっと話し合いに参加せず黙っていたウミが、気の抜けた声をあげた。

 どうした? と聞く声は、しなる尾が地面に叩きつけられた激しい音で掻き消される。

 暗闇に慣れた目が、俊敏に動き鉤爪の生えた腕を振り下ろすリザードマンと、その足元で蠢くドブネズミほどの大きさの生き物を捉える。

 ウミは尾を鞭のように使いその生き物を吹き飛ばし、飛び掛ってくるそれを両腕の鉤爪で引き裂いていく。


「下がって! 巻き込まれる!」


 カノウの声に一同は慌てて下がるが、その頃にはウミの動きは緩慢になっていて、裂かれて半分になっている死にかけのそれを足で潰しながら、己の爪に串刺しになっている何かをしげしげと眺め回していた。


「蟻かァ? でけェな」


 体液を垂れ流し、まだ足をぴくぴくと動かしているそれは確かに形は蟻にしか見えない。その、異様な大きさを抜けば。


「おめェらが話し合ってる最中よォ、ずっと睨み合ってたんだが……痺れ切らして突っ込んできやがったなァ」


 巨大蟻の死骸を放り投げると、ウミは服の袖で顔の鱗についた虫の体液を拭う。


「まァー蟻で良かったけどよォ。もっとデカいのきたら普通に死ぬのあんぞ」


 死ぬ。

 エンショウは急に胸の当たりがグッと重くなり感覚がした。

横目に、落ちている虫の死骸を見る。とんでもない顎と尻の針だ。噛まれたら肉が削られ、刺されれば大穴が開くだろう。

 もしウミがこいつらに気がついていなかったら、生身の無防備な状態でこれをお見舞されていたのか。


「俺が一歩前で先頭張っから、カノウ左脇。小せェの、後ろ守りながら右手見とけ。尾っぽの動線だけは遮んなよ」


 テキパキとしたウミの指示に従い、順に並ぶ。形としては、訓練場で言われた推奨の形……前に戦士が三人、後ろに魔法使い、僧侶、盗賊の後衛がいる形だ。


「とりあえず、武器無し、防具無しの手ぶらで遭難したって現実受け止めるとっから始めっかなァ」


 いやに冷静なウミの声が、既に絶望的な空気の中、重くのしかかった。

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