第5話


「ここが我がラインハート家の屋敷だ」


 十分もしないうちに辿り着いたのは、他の住宅とは一回りも二回りも大きい、木造の屋敷だった。大体この街の中心部辺りである。


「大きいお屋敷ですね」

「王都の貴族街に比べれば、そうでもないさ。王城なんて、これの10倍は下らないな」


 レオナは門兵二人に、「今日もご苦労」と声を掛けて入って行く。

 ソラも二人へ頭を下げ、それに続いた。


「お、姉上お帰り」

「ただいま」


 庭で大剣の素振りをしていた青年が、それを中断し、レオナへ声をかけた。気安い会話から、彼がレオナの弟であるとわかる。


「今日はお客を連れて来たんだ」

「初めまして、ソラです」

「あぁ、僕はライアン。よろし……」


 急にライアンは動きを止め、目を見開く。

 次の瞬間には、屋敷に向かって走り出した。


「大変だ! 姉上がとんでもない美人を連れてきた!! 父上ー! 母上ー!」


 何事かとソラは慌てる。

 レオナは額に手を当て、ため息を吐いていた。


「すまない、どうやらややこしい勘違いをされたようだ」

「ややこしい勘違い?」


 頭の中ではまだあの二人が騒がしい。やれあのライアンという男はよくわかってるだの、男と一つ屋根の下など許してないだの、ソラは完全に無視を決めているのだが、言いたい放題である。お陰で頭痛がしてきた。

 もう早く黙らせて休みたい。泊まらせて貰う身でなんだが、めんどくさいのは勘弁だ。


「私はもう22になるが、未だに結婚相手が決まっていないんだ。お見合いの話が来そうになると、冒険者の身分を使って遠くへ逃げるからな。それに男勝りなこの喋りも相まって、男より女の方が好きなのではないかと噂されたこともあったんだ。弟はそれを思い出し、恋人でも連れてきたと思ったんだろうな」


 火に油を注ぐというのはこのことか。両親はもう叫び声と変わらないくらいの声量になった。

 ソラは思わず顔を顰めてしまう。


「なに、もちろん真実ではないし、キミに迷惑は掛けないよ。勘違いを解くのはすぐに終わる。全くライアンは……。お詫びに、そこらの高いだけの宿より満足させると誓おう。

 おっと、ハイセン、丁度いいところに」


 そこへ、玄関が騒がしいことに気づいたのか執事服に身を包んだ男が様子を見にやって来た。


「お嬢様、お帰りなさいませ。そちらの方はお客様でしょうか?」

「あぁそうだ。この子はソラという。どうやらお疲れのようなので、客室へ案内して差し上げてくれ」

「畏まりました。ソラ様、どうぞこちらへ」


 ちらりとレオナの目を見るソラ。やはり、そこに悪意など見て取れない。それに、貴族の言う高級宿にも負けない待遇というのも気になる。

 結局、ソラは自分の目を信じることにした。


「どうも。お邪魔します……」

「では、私は愚弟に拳骨でも喰らわせてこよう」


 ハイセンに連れられ、ソラはレオナとは逆の方向へと進んでいく。廊下に絵画や骨董品といった品は飾られていなかったが、途中で多くの使用人とすれ違い、この屋敷の財力が伺えた。


 「こちらでお休みください。お湯の用意が出来ましたらこちらまでお呼びしにきますので、それまではごゆっくりお過ごしください。では、失礼します」

「ありがとうございます」


 扉が静かに閉められた瞬間に、ソラはベッドへ仰向けに飛び込んだ。柔らかいベッドが衝撃を吸収し、身体を受け止めてくれる。

 さて、とソラは座り直し、ペンダントを取り出した。


『ソラ! 今からでも遅くない! ほれ、休む場所なら儂が作った! 宿がいいならお小遣いもやる! じゃから考え直せ!』


 天井付近から、赤い雫のような宝石のネックレスと、金貨が三枚ほど落ちてきた。


『そうよ! もし貴族に襲われでもしたら、正当防衛は成り立たないのよ!』


 ソラが一人になった途端、いつの間に創っていたのか、また凄そうなアイテムと大金まで送ってくる始末である。これもまた頭痛の種になりそうだと、ソラはひとまず目を逸らした。


「レオナさんはいい人だよ。悪意の無い人だとすぐわかる」

『でもソラは可愛い娘じゃし……』

『そうよ? ソラはソラが思ってるよりすっごく可愛いのよ! 何かあってからじゃ遅いのよ?』


 この親バカは……とソラはため息を隠せないでいる。だがそれでも強い言い方をしないのは、この過剰な心配をほんの少しだけでも好意的に捉えているからなのかもしれない。


「二人とも、大丈夫。俺の目を信じてくれ。それに、なんでも危ないかもしれないって避けてたら、俺はずっと一人で生きていくことになるだろ?」

『う、うむぅ……』

『それは……そうだけれど』


 あともう一押しで納得しそうな様子を感じ、ソラは頬をほんのりと朱に染めながら、覚悟を決めた。


「もう一度言うぞ? 俺を信じてくれないか? そ、その……父さん、母さん」

『そ、ソラ! わかった、信じよう! 聞いたか! ソラが儂らのことを父さん、母さんって呼んだぞ!』

『えぇ、聞いたわ! 聞いたわ! 初めてね! 初めて呼んでくれたわね!! 今日は記念日だわ!』


 静かになって欲しかったのだが、また両親たちはきゃいきゃいと騒ぎ始めた。ソラはそのことに仕方ないなぁとため息を溢す。ものすごく照れ臭いが、認めてもらえた上に、喜んで貰えた。

 

 ソラの頬はしばらく赤いままだった。


『ところでソラよ、儂らもずっと無視され続けるのは流石に辛いものがあるぞ? なんでもいいから返事してもらえるとよかったのじゃが……』

「ん、仕方ないだろう。人前でこうやって喋り出すわけにもいかない」

『心の中で念じるだけでもいいんじゃが……ダメかの?』

「なんだって?」

『心の中で私たちに伝えたいと思うことを考えるだけでいいのよ?』

『あー、このことはそういえば伝えてなかったのう……』

「……マジか」


 ぱたりとソラはベッドへ再び身体を預けた。

 ぎゃいぎゃいと頭の中で騒がれ続けた挙句にやって来た頭痛は、要らない頭痛だったのだ……。


『これ、伝わってるか?』

『うむ、うむ! バッチリじゃ!』

『私にもちゃんと伝わってるわよ!』

『そうか……長い間無視し続けて悪かったな』

『よいよい、この伝え方を言ってなかった儂らも悪い』


 お互いに悪かったということになり、この話は終息を迎える。

 そしてソラは、ついにそれと向き合わなくてはならなくなった。


『で、これは何?』


 金貨の方は見てわかる。SIOでも使っていた、一枚で十万円として使える硬貨だ。それが三枚と、十分大金であるのだが、この両親にしては控えめである。

 その分、この赤い雫が気になるのだが。


『よくぞ聞いてくれた! そういう類の物は初めて創る故、ずいぶん時間がかかったぞ! それはな、魔力を込めることで展開するマジックハウスじゃ!』

『内装のデザインは勿論私よ! とは言っても、地球の物件の中からこれが便利でオシャレっていうのを選んで、お父さんに渡しただけだけれどね』

「へぇ……ありがとう」


 ソラの目が、だんだん遠くなっていく。


『見た目のデザインも母さんじゃ! よく似合うと思うぞ!』


 やはり桁外れのぶっ壊れアイテムらしい。使えるかどうかは別として。


『展開した後どうなるんだ? 目立つなら使えないけど?』

『ふむ! そういうと思って、対策は出来ておる! なんとこれは、見た目は扉が一枚出てくるだけなのだが、その扉を開けると中は地球の家を元にした部屋に繋がっておるのじゃ! 扉さえ上手く隠すことが出来れば、使えるであろう?』

『うーん』


 どうやら使うと突然でかでかと家が建つというのは避けられたようだ。とは言え、やはり他人に見せられるような物ではない。何せ神ですら初めて作ったという代物なのだ。使うとしても、かなり限定的になるだろう。


 それに、魔力の使い方がわからない。


『たしかに便利そうだが、魔力を込める方法がわからないな』

『なに、それは簡単じゃ。吸血鬼は魔力の扱いに優れた種族。目を瞑って身体の内側に意識を向けてみるといい』

『身体の、内側に……』


 言われた通りにしてみると、まるで血液の流れが理解できるかのように、身体の中を流れる何かの存在が掴み取れた。


「これは……」

『うむ、感じ取れたようじゃな。それが魔力じゃ。一度魔力の流れを知覚出来れば、あとは早い。力を入れるように意識すればそこに集まり、放出するようイメージすれば放つことも出来よう』

「おぉー!」


 試しに、掌に力を入れて見ればそこに集まる。


『放出は……そうじゃな、そのネックレスで試してみてはどうじゃ?』


 創造神の声色からは、そわそわしている様子が伝わってくる。どうやら、自分が作ったアイテムをソラに早く使って欲しいようだ。


 仕方ない、検証も兼ねて一度やってみよう。ソラは苦笑いしつつ、赤い宝石部分に魔力を流してみる。すると、赤い宝石部分がじんわりと光を放ったかと思うと、目の前にソラの身長と同程度の大きさの扉が現れた。

 ちなみに、ソラの身長は149cmである。


 中を覗いて見ると……


「すげぇ……」


 そこで不自由なく暮らせるであろう、1LDKの部屋が広がっていた。

 靴を脱ぎ、恐る恐る中に入ってみる。

 入ってすぐの右手にはトイレがあり、さらにもう一つ奥の扉には一人用には少し広めの風呂がある。さらにはご丁寧にシャンプー、ボディーソープ、リンス一式まで用意してあった。


「これはなんだ?」


 ソラが指を差しているのはシャワーヘッドに付いている窪み。


『それは魔石を入れるところじゃ。小さな魔物の魔石でも一度の利用くらいなら問題ないと思うぞ』

「なるほど」


 魔石はSIOでは武具のレベルを上げるための強化アイテムだったが、これは需要が広がっていそうだとソラは思案する。


 さらに創造神によると、こういった魔法具は魔石が無くとも魔力を込めることで代用も可能なそうだ。


「すごいな」


 簡単に出てくるシャワーの水に、ソラは感嘆の声を漏らした。創造神はそれを聞いて御満悦の様子だ。


 キッチンのコンロもそれと同様で、これは良いものを貰ったとソラはつい、ニヤリと笑みを浮かべた。


 ――コンコン。


「ソラ様、お迎えに上がりました。」


 びくんとソラの肩が跳ね上がる。

 夢中になってしまい、時間を忘れていたが迎えが来るんだった。ソラは慌ててマジックハウスから飛び出た。


「今行きます!」


『こ、これどうやって消すんだ!?』

『慌てるでない。扉の前で消えろと念じれば消えるよ』


 パッと何事もなかったかのように消えた扉に安心し、ソラはハンセンの元へと向かう。

 ふふふっと、美の神が笑いを溢したのがソラには聞こえた。


 ……実はソラの慌てる様子を見て、微笑ましく思ったのではない。

 これからの出来事を楽しみにして、つい笑みが溢れてしまったのだ。


 ソラはすぐにそれを理解することになる。

 忘れていた、今日一番の難題がこれからやってくるのだ。


「この扉の向こうが脱衣所です。奥に浴室がございます。メイドを一人控えさせておきますので、何かあればお申し付けください。では」


 そう、女体になって初めてのお風呂である。

 


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