逃げていいよ。逃避してなんぼだよ。だって心が死んだら身体も死ぬ。それで終わっちゃうじゃん!
逃げるのってほんと大事。
自問自答してしんどくなったら『また今度考えよう』と後回しにする(逃げる)もん。
逃げるのはカッコ悪くない。生き残る為に必須の行為。弱いわけじゃない。
だって
人生は生き残ったもん勝ち!
だもん。
作者からの返信
三十六計逃げるに如かず、でしたでしょうか、そんな言葉もあったりしますよね。
まぁ自らの力不足を認識せずに特攻するよりはよっぽど大事な行為だと思います。ただ、その行為をし続けないようにと自戒してはいるのですが。
生き残って勝ったとして…と話を進めると、少し暗くなりそうなのでここで留めておきます。
こんばんわです!またまた書きますね?しつこくてすみませんです😵😵💧
私の思う強さとは、自分の感情や気持ちに素直になる勇気を持つことが出来る人が
強いと思います😃😃💕
好きなのに。好きと言えないのは、傷だらけになることから逃げてます!
その逃げは、あらゆる面で
表面化してきます!
素直になると傷付くけど。一旦乗り越えてしまえば。強さが身に付きます。
隠すことは本来の自分を
偽ることです。それは弱さです。合わせておけば、何も
文句は言われないですから。
作者からの返信
またまただなんてとんでもないです。返信、ありがたい限りです。
自らの感情に向き合うこと、中々私も苦手なものでして。なんというか、他人の目を気にしているというか、人への迷惑に敏感になってるとか。そんなところだと思っておりますが、やはり傷つきたくないというのも否定できないですね。
私には少し強くなるのに時間がかかりそうです。
コメントありがとうございました。
私が強いと思うときは、自分の考えがぶれない人や、弱さを素直に認めて他人に頼ることが出来る人かな。
集団の空気に流されずおかしいものはおかしいと言える。
その結果みんなに無視されたとしても、「無視されちゃった」と素直に認められる。
そこからだったらどうすれば空気を変えられるか考えて実行していく。
私が過去に言った発言として、ヤンキーに絡まれたときに、
「喧嘩したら自分は負けるよ。でも怒りはするからね」
と言ってみたら、そこから絡まれなくなりました。
どこか芯の強さみたいなものを感じとってくれたのかなと良いふうに考えたりもしますが、
相手からしたら「自分で負けるって言う奴ダセー」で相手にされなくなっただけかもですね(笑)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
わたしもそんな強い人を見てきました。自分と違い愚直で鋼のような姿を見せる人間に憧れを抱いたものです。そのような割り切ることのできる人たちは、私のような人間を見てどのようなことを思うのか、なんとも気になりますね。
あなたのその強さはとても良いものだと思います、これからも持ち続けてくださいな。
『コメントが欲しい人達の集い』から来ました。
根本的に人間は社会的な生物です。
群れを作らなければ生存していけない動物なのです。
故に他人同士と協調する、協力し合う必要が有ります。
他人の為に行動する事に意義を見出したり、それによって幸福を感じる事も有るでしょう。
生物としてその様に在るのです。
又、協力しあって生活し合えるように価値観が作られており、我々は幼いころからその価値観を学んでいるのです。
他人の為に何かする事が善良であるとか高尚であると考える必要はありません。
生きて行くための行動の一つだからです。
とまあ。
とりあえずパッと思ったのはそんなところですよー。
ではでは。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
生きていくための行動の一つとして存在すること、という考えはいいなぁと思いました。どこか他人への行為に固執してしまっている部分があるのかもしれないですね。自分の中での生活にも生かすべき考えだなぁと思いました。
ご意見いただき嬉しいです、ありがとうございます。
コメント失礼します。
反論ではないんですが、読ませていただき、強いことと弱いことの二極で捉えられていることに自分としてはちょっとひっかかりを覚えました。
何に強く、何に弱いか…それが曖昧な気がしたんです。
というのも、誰しも強い部分と弱い部分を持っていると思うんですね。
で、こちらで言う「強い人」というのは、自分が何に「弱い」かをしっかり認識し、それを受け入れられる人のことを言うのでしょうか?
つまり、自己肯定感の強い人ですね。
捉え間違ってたらすみません^^;
作者からの返信
コメントありがとうございます。
こんばんは、波ノ音流斗です。
この文章は、私がだいぶ参っていた時に書いていたものですので、だいぶ曖昧で乱雑な部分が多かったと思います。読みにくい文章ではなかったでしょうか?
今の私が参っていないかと言うと決してそうではないのですが、少し俯瞰的に見れるようになった私からすると、この話はもう少し概念的なものなのかもしれないと思っています。
数年前に私の周りにいた人間で、私には弱みを見せることなく笑顔だったり何事もないかのように振る舞たりして、私の知らないところで泣いている、みたいな人が割と多く存在していてですね。
そう言う方々を見て、そう言う負の感情を曝け出せる信頼関係を持つのもすごいと思ったし、もっと根底の部分から、「あ、そんな振る舞いができるってすごいな」って思っていたりしていたわけです。
まぁあまり本文と言ってることが変わらないのは申し訳ないです。昔の私は、なんと言うか、「自分ができなくて、他人のできること」それに対する一種の羨望みたいなものを綴りたかったのだと思います。
長くなりました、拙い日本語ですので掴みにくいところが多かったと思います。私も言語化するのが下手ですので。
最後に、この文を手に取っていただき、ありがとうございます。