第五章-4

 世ノ河に沿って、三人と一頭は山を登る。

 やがて、高い崖の前までやってきた。崖には巨大な裂け目があり、そこから水が流れている。男は、その裂け目に入っていった。リエ達も後に続く。

 裂け目の中は真っ暗で、じとじとしている。壁に手を当て、ジャブジャブと前へ行く。水はとても冷たい。足の感覚が無くなってくる。

 やがて、遠くに眩い光が見えた。出口だ。光はみるみるうちに大きくなる。光の中に出ると、男は足を止めた。

「着いたぞ」

 世ノ河の源流、それは湖だった。

 水はとても澄みきっていて、足元の様子がよく見える。水草も魚もいない。黒い岩の上に、リエ達は立っている。

 湖の周りは、ぐるりと高い崖に囲まれている。崖には穴がいくつもある。形からして、窓や戸のようだ。窓の周りに花が飾られ、戸と戸の間に、細い橋がかかっている。

 だが、橋を使っている者は誰もいない。全員、羽根が生えているからだ。戸から宙へ飛びだし、背中の翼を大きく羽ばたかせ、別の戸へ飛んでいく。空中にとどまり、お喋りをしている者もいる。

 彼らのことを何と呼べば良いか、リエには分からない。心の中で、羽根人間とあだ名をつける。

 羽根人間は、離れたところから、じっとリエ達を見つめている。視線を向けると、さっと隠れてしまった。

「こっちだ」

 案内人は一番近くの穴の中に入る。細い階段が上へ上へと伸びている。階段を登った先は、大きな回廊だ。湖の周りを、らせんを描くようにぐるぐると囲みながら、上へ上へと続いている。等間隔に明かり取りの窓が作られているので、中は明るい。この太い回廊から、細い廊下が枝分かれしていて、その先から、物音や羽根人間の声がする。

「どうやって作ったの?」

 ヒナリが尋ねた。

「元々ここは洞窟があった。それをご先祖さまが少しずつ広げていき、この里ができた。今も、新しい道を掘っている」

 カン、カン、という音が聞こえてきた。筋骨隆々の羽根人間が、ツルハシを使って、壁を削っている。ああやって少しずつ、洞窟を広げていくのだ。

「水は枯れないんですか? 世ノ河ってすごく大きいのに、水は足りるんですか?」

 リエは尋ねた。

「枯れない。湖の底に巨大な裂け目があり、そこから水が湧きだしている。だから水が無くなることはない」

「俺達はどこへ向かっているんだ?」

 今度はソラが尋ねる。

「長老のところだ。長老があなた方の願いを叶える」

 螺旋の回廊を、延々と歩く。歩いているのはリエ達だけで、すれ違うひとはいない。窓の外では羽根人間がそばを飛んでいる。窓の外からリエ達をまじまじと見て、またどこかへ飛んでいく。

「どうしてここの人は羽根が生えてるんです?」

「知らん。生まれつきだ。逆になぜ下界の者は羽根が生えていないんだ?」

「……うーん、分からないです」

 長い時間をかけて、ようやく階段を上りきる。そこは崖の上だ。草原が広がっていて、強い風がふいている。

 ここから、世界が一望できる。

 苦労して登ってきた荒地の斜面。悪霊と戦った、広大な森。そして、青く輝く世ノ河。河のそばに広がる薄い茶色い模様は、田んぼだろうか。遥か遠くには煌めく海がある。

 右に顔を向けると、知らない山、知らない川がある。左に顔を向けると、これも知らない山や川がある。

 長かった旅路も、ここから見れば、本当に短いものだ。

「何をぼうっとしている。早く来い」

 案内人に急かされ、リエ達は渋々景色に背を向けた。

 草原の小道の先には、ポツンと石造りの屋敷がたっていた。屋敷の門の両隣に、大きな松明が掲げられ、炎が燃えている。

 屋敷に近づくと、音もなく、勝手に戸が開いた。

「長老様。お連れしました」

 案内人は、恭しく礼をした。

 赤い絨毯を敷きつめた広間の奥に、三人の老爺が座っている。

 左右の二人は黒地に銀色の模様、中央の一人は、黒地に金の模様の衣を着ている。全員白い髭をはやし、柔和な顔で、リエ達を見ている。

「ようこそ、火守の里へ。入り口に立ってないで、そこの椅子に座りなさい」

 中央の老爺が笑顔を浮かべる。リエとヒナリは長老の前に置かれた椅子に座った。

「さて、ここに来る人は、大抵、何か私達に叶えてほしい願いがある。貴方もそうだろう」

「はい。私にかけられた呪いを解いて、里の人を助けてください」

「どのような呪いだ?」

 リエは腕に刻まれた烙印を見せ、今までのことを話した。故郷に伝わる伝承と流し神子の話、常闇で知った真実、竜宮で竜王に助言をもらい、火守の里を目指したこと。

「なるほどな。事情は分かった」

 全て話し終えた時、老爺の優しい雰囲気は消え、厳しい顔をしていた。

「まず、常闇のものが近づくと、身体が石化するという現象だが。これは今すぐ解決できる」

 長老は椅子から立つと、リエの両手に手をかざした。その手から光があふれ、リエの中に何か温かいものが流れてくる。冬の朝に、熱い汁を飲んだ時のことを、リエは思いだす。身体の芯が温まり、ほっとするあの感覚に似ている。

 老爺の手から光が消えた。

「これで、もう石化することはない。化け物が近くにいても身体は自由に動くだろう。また、この里に化け物は入ってこれない。安心して夜眠るといい」

 言われたことの意味を、ゆっくり噛み砕く。リエは満面の笑みを浮かべた。

「ありがとうございます!」

 勢いよくお辞儀するリエ。ヒナリもやったね、と笑った。

「しかし」

 長老は厳しい顔つきのまま、椅子に座り直す。

「根本的な解決は難しい。その呪いは、土地にかけられた呪いだ」

「土地に?」

「そうだ。里で生まれ育った者、全てにかかる呪いだ。烙印を押されているはそなただけではない。見えないだけで、他の里の人間にもある。そなた一人の烙印を消しさったところで、新たな流し神子が一人、生まれるだけだろう……そういえば、里の様子が分からないと言っていたな」

 老爺は奥の棚から、大きな丸いお盆を持ってきた。その中に枝を数本入れ、火をつける。火が大きくなると、粉を振りかけた。火の色が、青く変わる。

「故郷のことを考えながら、火を見つめなさい」

 リエはバア様や、お宮で会った里の人達のことをしっかりと思いだす。

 青白い火の中に、景色が見える。広がる田んぼ、小さな家。奥に見えるこんもりとした森は、瑞木の森だろうか。

 人の姿も見える。だが遠くてよく分からない。もっとよく見ようと、リエは顔を近づけた。

 木陰で誰かが休んでいる。だが、その肌は灰色だった。

 田んぼで稲刈りをしていたであろう農夫。道ばたで母親と一緒にいる子ども。全員、石化している。恐怖と混乱で、表情は歪み、カッと見開かれたままの目が、リエを見つめる。

 リエは目の前が暗くなった。思わず後ずさる。

「嘘だ! こんなの……」

 そう呟くが、火の中には、現実がありありと映っている。

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