第二章-4

 海藻の一本も生えない、果てしなく広がる岩の地面。そこに三つの、巨大な門がそびえ立っている。縦も横も、桁外れに大きい。見上げても門の天辺が見えない。門の前では、クジラのヒナリも小魚同然だ。

 門はそれぞれ、左が黒、中央が赤、右が白に塗られている。それぞれの二本の門柱には、巨大な白い蛇が巻きついている。頭も尻尾も見えないが、時々動いている。背中には色とりどりのサンゴが根をおろし、森を作っている。サンゴの周りは無数の生き物と光が集まっている。

「すごいな……」

 ソラは感嘆する。

「陸から来た霊は、みんなそう言うね」

「霊? 霊って?」

 リエは尋ねた。

「リエちゃんみたいに、常闇に呪われてるひとは違うんだけどね。全ての生き物は、死ぬと、魂は世ノ河を流れて、ここに着くんだよ。門を潜って、安息の地へ行くの」

「どの門?」

「真ん中の門だよ。一日二回開くの。門番の海蛇の背中に、光が集まってるでしょ? あれが霊よ。あそこで開門を待ってるの」

 言われてみれば、真ん中の門の海蛇には、一際たくさんの光が集まっている。あれが霊なのだ。

「他の門は?」

「右は竜宮へつながる門よ。今から向かうのはそっちね。左は常闇へつながる門。あれはきっちり閉ざされてるの。開いたことなんか無いし、これからも無いよ」

 ヒナリは白い門をくぐった。その先は左右に高い崖がたつ、谷のような場所だった。半透明のキノコみたいな海藻が、道を案内するかのように、点々と奥へ奥へ続く。

 やがて、青白い光を放つ、巨大な洞窟が見えてきた。きのこは洞窟へ続いている。中へ入ると、すべすべした白い壁が奥へ続いている。ヒナリが通ると、泳いでいた魚達は次々と左右へ泳ぎ、道を譲った。

「ヒナリ、お前って実はとても偉いのか?」

「まあね。私のお父様、竜王なんだ」

 ソラが絶句する。リエは「リュウオウって?」と尋ねる。だがソラが答える前に、左右の壁が消え、開けた場所に出た。暗い海がどこまでも広がっている。

「お父様、お話があるの! 新しいお友達ができたんだけどね、その子、常闇の烙印が押されてるの!」

 ヒナリが深海へ呼びかける。すると、停滞していた水にわずかな流れが生まれた。そして、ドン、と下から水が突き上げる。リエとソラは吹き飛ばされないよう、懸命に耐える。

 渦の向こうに、巨大な影が見える。その影はみるみる近づき、リエ達の前に姿を現す。

「陸のものか。珍しいな」

 一眼見た瞬間、リエはピンと背筋を伸ばした。その目を見た瞬間、そうしないといけないと感じた。暗がりから現れた、このクジラは、リエの心の奥底まで見通している気がする。ヒナリが言った『リュウオウ』の意味を、身をもって知る。竜宮の王様であり、海の王様であり、神様だ。

「お父様、リエちゃんとソラくんよ。リエちゃんはね、常闇の化け物に烙印を押されちゃったんだよ。何とかできない?」

「ふむ見せてみなさい」

 リエはおずおずと両手を前に掲げた。ヒナリの父親──竜王はリエに近づいた。人の頭ほどもある、大きな黒い目で、リエの手首をじっと見る。

「そなたの肉体と魂にがっちりと刻まれているな。一体どんな化け物に遭ったのだ?」

「オボロっていいます。魚みたいな姿をしていて、里に昔やってきて」

 リエは里でかつて流行った石化病と、流し神子の風習、そしてリエ自身が見たものを話した。

 話を聞き終えた竜王は、ふうむと唸る。

「その化け物の存在は、以前も聞いたことがある。子どもの肉と魂を好んで貪る化け物だ。オボロは、そなたの故郷に呪いをかけ、子どもを世ノ河に流すよう仕組んだのだろう」

 分かっていた事実を改めて突きつけられ、リエの心が沈む。

「奴は確実にそなたを捕らえようとする。そなたの故郷の人間も、危ないかもしれん」

 リエははっとした。バア様や里の人のことを、今の今まですっかり忘れていた。そのことを、リエは恥ずかしく思いながら、慌てて尋ねる。

「み、みんなは、里の人は大丈夫なんでしょうか? 怒って石化させたり、してませんよね……」

「どうするかは分からん。腹ごなしに喰うのか、石化させるのか、はたまたそなたを誘き寄せるために、生かしておくのか。」

 バア様が喰われているのかもしれない。リエの背筋を寒気が走る。

「何とかできないの、お父様? 昔、呪いを解いたってひと、いたよね?」

 ヒナリは尋ねた。

「常闇の術は非常に強力で、異質だ。この子の魂もろとも烙印を破壊することはできても、我々の力では解くことはできぬ。どうしようもない」

 リエの脳裏に、常闇の光景が蘇る。あの泡。水面にボコボコと現れた、人の顔をした泡。あの中にリエも加わることになるのだ。

「だが、助かる道がないわけではない」

 リエは弾かれたように顔を上げる。

「世ノ河の源流へ行きなさい」

「世ノ河の、源流?」

 リエは呟く。以前、小屋で見た掛け軸を思いだす。あの絵では、世ノ河は、始原の山脈から始まっていた。

「源流には火守の里という、特別な里がある。そこに住む者達は、河の水と、山の火、大空の風、三つの特別な力を持つのだ。彼らならば、そなたを殺さずに、烙印を消すことができるだろう」

「本当に?」

「本当だ、人間よ。ただし、里に入るためには、彼らが課す試練を乗りこえねばならない。山の中で幻を見るだろうが、決して惑わされてはならん。それにうち勝たないことには、決して中には入れないし、呪いも解けない」

 リエはぎゅっと拳を作る。

「分かりました。絶対にその里に行きます。どうやって行けばいいんですか?」

「世ノ河をさかのぼれば良い。ただし、霊道は通ってはならない。化け物は霊道を通ってそなたを追いかけるだろう。そなたが霊道に入れば、すぐに見つかってしまう。それから、夜も気をつけなさい。日の光がない間は、化け物が活動しやすい」

 竜王の言葉を、しっかり頭に叩きこむ。

「霊道が使えないのか。マズイな」

 ソラが言った。

「ソラ、どうして?」

「源流に行くなら、途中の森を通らなければならないんだが、今、森は危険なんだ。獣の悪霊がうろついている。奴は森の生き物を手当たり次第に殺している。俺は奴と戦ったが、負けて、命からがら逃げた。無我夢中で逃げて、お前が住んでた森で力尽きたんだ」

 リエはソラと初めて会った時のことを思いだす。いくつもの深い傷を負い、真っ白な毛が真っ赤に染まっていた。

「森を避けるとなると、とんでもない遠回りになる。かといって、全速力で森を突っきるのも厳しい。今、山へ向かうのは……」

 その時、ヒナリが「ねえ」とリエ達に呼びかける。

「私もついていっていい?」

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