第27話・九回裏ワンアウトからの攻防

 一度投げ飛ばされてまで耳に入れた話は、体の受けた痛みに比べてだいぶ痛かった話だったように思う。耳が痛い、という意味で。



 「ただいまー。麻季ー、いるー?」


 朝食を共にとり、引き留められつつも篠は麻季の顔が見たくてすぐに実家を出て、部屋についたのはお昼少し前のことだった。

 解錠するのももどかしく扉をひらき、中に声をかけてはみたけれど忠実なるメイドの返事はない。いつもなら…と、思い出すに、そういえば迎え出てくるより先に自分が入っていったんだっけ、と篠は気後れを自覚しながら、いつものようにローファーを脱いで廊下を半駆けしていった。


 「ただいま、ってば。どうして返事してくれないのよ、麻季はもー……あれ?」


 ダイニングには人の気配はなく、帰ったら思い切り予算使った豪勢なご飯をお願いね、乾杯もしようね、と伝えてあったのに何の準備もしてないとはどういうことだ、と身勝手な腹立ちが起こる。


 「麻季ー?あなたの愛しいご主人さまが帰還したんだから顔見せなさいってばー。どこー?」


 なんでそこから探すのか、と誰かが見てたら言われそーだったが、まず自分の部屋から。

 続いて風呂場にトイレに客間、ついでに使う者もいない部屋を探して、最後にメイドの寝起してる部屋の前に立った。


 「結局自分の部屋か。何やってんのあの子は。入るわよー」


 と、返事も待たずに部屋に入ったら、いた。


 「………」

 「…なにしてるの?」


 このフロアの中では決して広いとは言えない部屋の、大部分を占拠してるベッドの、布団の中に。

 なんかこんもり盛り上がったところがあって、もぞもぞとナニかが蠢いていた。


 「ただいまってば。お腹でも痛いの?」


 篠はベッドに飛び乗り、中央の盛り上がったところに這っていく。ゆっくりと、心は大分急きながら。でも、この中に麻季がいると思うと、とか感慨を抱く前に、


 「えい」


 なんかこう、辛抱たまらん、みたいな勢いで飛びついた。


 「まきー、なんかもう恥ずかしいのは分かるけど顔見せて欲しいな。わたし、ちゃんとあなたが叱ってくれた通り、家と話してきたよ?だからもう一度言うけど…麻季、わたしあなたのことがね…?」

 「はい、お嬢さまストップ」

 「わっ」


 覆い被さっていた篠ごと布団を剥いで、住み込みメイドは上半身で起き上がった。勢い余ってお嬢さまはベッドの端まで転がっていったのだが、この勢いで落ちてしまわないベッドというのもどうなのだろうか。


 「おかえりなさいませ、お嬢さま。お元気になられたようで」

 「…ただいま」


 麻季のめくった布団から顔を出しつつ、篠ははにかんだ笑顔を見せる。ついでに布団の麻季の残り香を嗅いでいるよーに見える辺り、まったく見境のないお嬢さまだ、と出迎えメイドは苦笑する。


 「で、首尾はどーでした」

 「ん。わだかまりが全部解けた、ってわけじゃないけど…もっと話をしよう、って。話を聞いてくれるって、わたしにしたい話がいっぱいあるって。だから…うん、なんかスッキリした。麻季のおかげだよね」

 「そすか。良かったですね」

 「…素っ気なさ過ぎない?ていうかさ、その格好…なに?」

 「なに?と言われましても」


 ジャージである。飾り気の無い、紺地に白のアクセントラインが入った程度の。

 アンケートで三つ選ぶ形式でもって、もっさい服装ランキングを作ったら第七位くらいに入りそうなアレである。

 麻季のジャージ姿なぞ見たことがない篠が、仕事ちゅーなのに…、と口を尖らせるのも無理はないが、ジャージはヤンキーにとって定番の服装なのである。麻季が着てたのは、健康体で昼日中から布団に潜り込むのに寝間着では少し罪悪感があったからに過ぎないけれど。


 「…お気に召さないよーなので着替えてくるっすよ。お嬢さまも着替えてリビングで待っててください。お茶いれますから」

 「うん。紅茶がいいなー」


 はい、と微笑しつつ麻季はお嬢さまのオーダーを承った。ジャージ姿でなければ、それなりに絵になる姿だったのだろうが。




 「落ち着きましたか?」

 「落ち着いてはいたわよ、もともと。それより麻季。あなたのお望み通り、わたし逃げないでやることやってきたんだからね。今度こそ、わたしの言葉に返事をしてもらうから。イエスかハイのどちらかでね?」

 「………」


 ダイニングのテーブルを挟んで腰掛けた主従は、対称的な顔をしていた。

 お嬢さまは褒めてもらいたくて仕方が無いワンコのよーに、対してメイドは飼い主げぼくが新しく買ってきたオモチャを品定めしてるネコのよーに。


 で、ワンコ…ではなく篠はいつぞやの続きを、と熱に浮かされた視線を麻季に向けたまま、言った。


 「麻季、わたしね、あなたのことが好きなの。麻季もわたしと同じ気持ちでいてくれるとうれしいな。それで、恋人同士になろ?…イエス、はい、どっち?」


 まあそう来るとは思っていたから、麻季は冷静だった。

 冷静に篠の告白を受け止めて、言った。


 「…お嬢さま。まず確かめておきたいんすけど、お嬢さまがあたしに向けてくれる、忠実な使用人に対するもの以上の感情は…何です?」

 「何って。女の子がここまで言ってるんだから恋に決まってるでしょう?麻季もたしのことが好きでいてくれるって、わたしは確信してるんだから!」

 「あー、まあ好きではありますけどね。でもお嬢さまがあたしに言う『好き』ってのとは似てるようで大分違うと思いますよ?」

 「どういう意味?」

 「どーいうもこーいうも、お嬢さまは恋をしているのでなくて、愛情を欲してる、ってやつなんすよ。あたしも仁麻のアホに言われてようやく気付いたんすけど」

 「仁麻さん?ああ、そういえば昨晩一緒だったわね。…何を言われたの?」

 「あたしがこーもモヤっとしてるのは、お嬢さまが得られてなかった母の愛、ってのをあたしに求めてるから、ってことらしーです。まー思いっきりムカついたんでその時はケンカになりかけましたけど」

 「穏やかじゃないわね。でもそれは間違ってる。わたしは麻季のことが、その、好きなのは間違い無いもの。恋愛的な意味で」

 「じゃあお嬢さま。あたしとキスできますか?」

 「…できるわよ。っていうか、プールでだってそのつもりだったし…」

 「そすか」


 サラッと応じて、麻季は立ち上がる。何をするのかと篠が見ていると、テーブルを回って篠の後ろにまわり、肩から腕を回して背中を抱く格好になった。


 「…じゃあ、お嬢さま。あたしと……セックスできます?」


 自然、篠の耳元で麻季が囁く形になり、その直截的な物言いに篠は思わず肩を震わせた。


 「でき…出来るわよ、もちろん。恋人同士なんだし、当たり前のこと…でしょ?」

 「ふぅん…じゃあ、今からしましょっか。あたしはお嬢さまが好きですよ?愛してます。いつもいつも可愛い言動にやられっぱなしです。実は夜はお嬢さまの顔や仕草を思い出して、ベッドで…ひとりでシてたりしますよ?」

 「そ、そう…それはその…ありがと、なんか嬉しい…かも…何をしてるのかはよく分かんないけど…」

 「ふふ、お嬢さま…かわいいですね…んっ」

 「ひんっ?!」


 篠が身を固くしてけったいな悲鳴を上げたのは、麻季が耳を甘噛みしたからである。そして、これはもう愛撫だろう、と我ながら呆れつつ麻季の指先は行動をエスカレートさせる。


 「ん、お嬢さまぁ…もっと、佳い声…聞かせてくださいね…?」


 もうどこまでが演技か本気か分からないが、とりあえずお嬢さまの前で組み合わさっていた手を解き、右の手は上へ。左の手は下へ。それぞれに篠のお腹の表面を這って向かいたい場所へ向かう。


 「ふ、ふふ……」


 それでいて唇は耳を離れ、紅潮し微かに震えてる篠の顔に沿って蠢き、頬に当てられる。唇の隙間からチョロッと覗いた麻季の舌先が、篠の真っ赤に染まった肌を撫ぜた。


 「ア…ん、ま、きぃ…まっ、て……や、あ……」


 三カ所を同時に攻められてもうどうしていいのか分からなくなった篠は、力なく拒絶の声を洩らし、けれどそんな抵抗はかえって麻季の嗜虐心を刺激するのみだ。


 「お嬢さま……セックス、しましょ…?」


 これでトドメ。

 そんなタイミングでかけられた蠱惑的な声に篠は。


 「……っ?!やだっ!やだって言ってるでしょ麻季ぃ…っ?!」


 我に返って、力任せに麻季の拘束を振り解いて立ち上がると、真っ赤な顔と荒い息のまま麻季を睨んだのだった。


 「…なんでいきなりこんなことするのよっ…わたしは麻季が好きなだけなのに、こんなことしたいわけじゃないっ!」

 「こんなことて。好き合う二人なら当たり前のことじゃないすか?」

 「でっ、でも女の子同士でそんな…っ、…っていうかこんな真似どこで覚えたのよっ!まさか昔付き合ってた男の子とかと…」

 「あー、ハタチ過ぎた女としては若干心苦しいトコありますけど、あたしは今まで誰とも付き合ったことなんかねーですよ?あとどこで覚えたかってーと…お嬢さま、レディコミって読んだことあります?こーいう時はいい勉強になりますよ」

 「ないわよあんなふしだらなマンガなんかっ!…って、あれ麻季?あなた付き合ったこと…ないの?ヤンキーなのに?」

 「お嬢さま、ヤンキーをなんだと思ってんすか。狭い知り合いの例しか知りませんけど、ツッパってる若い娘って結構純情なヤツ多いですよ?それで騙されるかわいそーなコも多いですが」

 「そ、そう…じゃなくて!とにかくどういうつもり?!」

 「だから言ったじゃないですか。お嬢さまがあたしに向かって好きだのなんだの言うのは、恋人になりたいとかいうんじゃなくってただ単に、母親の愛情を求めてるからだって。それであたしにそれを求められても、あたしはお嬢さまの母親でもなんでもねーんですから」

 「…決めつけなくてもいーじゃない」

 「でもあたしはご免こーむります。好きなひとがいたら、あたしだってこーして体くっつけて気持ちいいことしたいです。まあこういう風に思ったのは今回が初めてですけど」

 「…?あのそれ、どういう……」

 「それとですね、お嬢さま」


 思わず漏れ出た本音に篠が引っかかってることに慌てて、麻季は指と言葉を突き付け言う。


 「仮に、お嬢さまとあたしがそういう関係になったら…あたしはこの部屋を出て行かないといけなくなります。まるで同棲みたいになるじゃないすか。そういう線引きがちゃんとしてない関係は好きじゃないので。そこんとことか、お嬢さまの実の母親のこととか、いろいろ考えて結論出してください。言いたいことはそれだけです」

 「……プールの時に考えろって言われたこと、考えて答え出したのに」

 「延長戦ですね。わりーですけど。九回裏に同点ホームランくらったんですよ。あたしもある意味残念ですけど、まだしばらくはこーしていましょ?それが今のお嬢さまとあたしには丁度良い距離、ってヤツです」

 「………むー」


 ぶんむくれの上目遣いで篠が睨んでいる。

 けれど、麻季はなんだかこういうお嬢さまの顔が好きだったから、にっこり笑って乱れた金髪を掻き上げると、「ずるい」とあひる口で言われてしまった。それはそれで、麻季にとっては眼福だ。


 「はい、じゃあ改めて。おかえりなさいませ、お嬢さま。今日はお嬢さまのご要望通り、お好み焼きの支度をしてありますから。あたしが焼きますか?それともご自分でやってみますか?」

 「………自分でやる」


 だからまあ、拗ねて部屋を出て行くお嬢さまのやりたいことくらいはかなえてあげようと、そう思うのだった。

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