第23話・そういう絆のかたちもある

 「…あの、お嬢さま何すか?」


 今日の勤務時間が終わり一風呂浴びて今に戻ってきた、まるか食品とヱビスビールをこよなく愛するメイドは、パジャマ姿で首にタオルを引っかけた自分の姿を凝視するお嬢さまの熱心な視線にたじろぎつつ、そう聞いた。


 「ん、麻季ってキレーだな、って思って」

 「藪から棒に何なんですか。褒められて悪い気はしませんけど、スッピン顔をじーと見られてそんなこと言われるのも少し微妙な気分ッスよ」

 「そう?普段からあまり化粧っ気ないじゃない」

 「食べ物をいじることの多い仕事ですからね。あと昔からあんまり馴染みねーですし。あ、ビール飲んでもいーすか?」


 返事を待つ間も無く冷蔵庫に突進。それほど酒量の多い方ではないから、楽しみにしてるとはいっても週に一回、金曜の夜にたしなむ程度である。

 三五〇ミリ缶を一本開けて、あとは寝る前に一服でもすればいー感じに週末の朝を迎えられる、安上がりな体質だ。


 「未成年が家主の家でそうグビグビするのもどうかとは思うけど。あ、わたしも一本もらっていい?」

 「いいわけありますかい。お嬢さま、あたしを前科者にしたいんですか」

 「そういう良識的なところってヤンキーっぽくないわね、麻季も」

 「別にヤンキーだからって無軌道な無法者ってわけじゃねーです。毎日つるむよーな連中もいなかったんで他の奴らのことは知りませんけど、カタギのガキ巻き込むようなバカはあんまいませんでしたねー」

 「ふーん…そういうとこはお苑と一緒なんだ」

 「………ふんっ」


 ほぼひと息でビール缶を空にした。

 苦いこたー苦いが、かといって「これがいーんすよ、これが」と主張するほどに馴染んだわけでもない。まあペヤングとヱビスの組み合わせに至福を覚えるあたり、素質はあるのだろうけど。


 「…聞かないのね」

 「何がです?」


 ふうっ、とげっぷをこらえる麻季に、篠はため息交じりにそう言う。


 「そこでとぼけるのも無理がない?お苑のことに決まってるでしょ。あんなことがあって、わたしも話があるからって会ってきてから、麻季もなにも言わないじゃない。もったいぶってるわけじゃないけど、何も聞かれないっていうのも、わたしに興味がないみたいで面白くない」

 「相変わらず面倒くせーお嬢さまですね。仕える者のたしなみなだけっすよ。お嬢さまが言いたいんであれば、喜んでお話は聞きます。で、今の会話で大体察したんで聞きますけども、お姉さんはどういうひとなんすか?」

 「現役のヤンキー」

 「バッサリっすね」


 中身を洗ってから空き缶を捨てると、麻季はダイニングのテーブルに頬杖をついてた篠の向かいに腰掛けた。

 憂いをたたえた美少女、というよりいろいろ悩みの絶えないお子様、という顔つきの篠を前に、麻季はとうとう堪えきれずにげっぷを一発かます。


 「…麻季、下品」

 「炭酸に逆らえないのは人類の摂理っすよ。で、見たトコそれほど仲が悪いよーには見えませんけど、お嬢さまがお姉様を避ける理由ってのは、なんです?」

 「理由っていうかね…この際だから、知っておいてもらった方がいいけど」

 「うかがいましょ」


 アルコールが回ってテンションが浮遊中の麻季を、篠は特に苦々しくも思わずに話を始めた。


 「…お苑とわたしが腹違いの姉妹っていうのは話したと思うけど」

 「ですね」

 「わたしの実の母親ってさ、父親が手を出してわたしを生ませた家政婦でね。わたしを妊娠してるのが分かると、父親の妻に追い出されて実家に帰ってわたしを産んだのよね。だから別にひとりで悲惨な状況だった、ってわけじゃないけど、それでもわたしを産んで割とすぐに死んでしまったってんじゃ、どちらにしてもハッピーエンドにはなり得ないわけじゃない」

 「………まあ、そうですね」

 「…母の実家はそれほど裕福だったわけじゃなくて、数年はそこで育てられてたんだけど、母が死んだってことを聞き及んだ父親は、わたしを引き取るって申し出て、母の実家も悪い話じゃない、って浅居の家に来て、ちゃんと認知もしてくれた。でもね、父親はそれでいいことをしたつもりにはなれても、家族まではいそうですか、って受け入れられるわけじゃない。一番ショック受けたのがお苑だったんでしょうね。わたしが引き取られてすぐに家を出てっちゃった。それでなんかグレて。素行もアレで、何かいろいろと悪名轟かせちゃって。今はちゃんと教師なんかやってて結婚もしてるけど…」

 「ええっ?!」

 「なっ、なに?!」


 思わず立ち上がって驚きの声をあげる麻季。

 向かいの篠も大きな音を立てて椅子ごと身を引いたのだが、さてフローリングの床についた傷にお掃除メイドが気付くのは明日のことなのだろう。


 「お、お姉さん結婚してたんすか…」

 「驚くとこそこなの?分からないでもないけど。まあ普通に大学の時に出来た恋人と卒業してすぐ結婚してそこそこ幸せみたいよ。子供はまだって聞いた」

 「…あー、いや驚いたとゆーか意外とゆーか」


 まああの振る舞いで既婚者と言われたら驚かれても不思議ではないのだろうが、麻季は驚かせてすません、と軽く頭を下げて腰を下ろす。


 「…で、そういうわけだからさ、お苑がわたしに含むところがあっても仕方ないとは思うの。でもわたしも子供だから、頭では分かっても感情が追いつかない。わたしだって好きでこうしてるわけじゃないし、悪いと思ってるから家を出てひとりで暮らして……麻季?」


 自嘲気味に笑いながら話を続けてた篠は、身を乗り出した麻季に頭を抱かれて戸惑いの声を上げる。

 風呂上がりでパジャマ姿の麻季の胸元からは、篠を安心させる香りがしていた。


 「…まあ、よくある話っちゃーよくある話ですけどね。でも本人にしてみりゃそれで片付けられるもんでもねーですよ。お嬢さま、ご実家との折り合いは?」

 「……うん、わたしになんか興味無いだろうって思ってるけど、それはわたしの好きにさせてくれてるから、っていつかお苑は言ってた。それではいそうですか、って納得なんか出来やしないけど、いつかは分かりたいとも思ってる。だからね、麻季…」

 「あーはいはい。今はあたしがお嬢さまの側にいてあげますから。まーあたしだって人生経験ほーふなオトナってわけじゃねーんで不十分かもしれませんけど、縋られても突き放したりはしませんから。好きなようにしてください」


 給料分までは、ですけどね、とおかしそうに笑う麻季の腕の中で、篠は「うん。ありがと」と小さく頷くのだった。


 「…よし、じゃあそろそろ遅いので寝ましょうか。明日は学校お休みでしたっけ。お昼は何か手の込んだものを作りますよ。何かリクエストあります?」

 「あ、うん、それは麻季に任せる。っていうか楽しみにしてる。それから、さ…」

 「はい、何でしょ?」

 「……あのね、今日は…一緒に寝てもらっても、いい?」


 早速かい、とツッコミをいれたくなくもなかったが、今日のところは仕方ないか、と思った。


 「三度目ですねー。ま、仏の顔も三度まで、といいますし構いませんよ」

 「三度目の正直、じゃないかしら。でも、ありがと。あとで行くから」

 「はいはい」


 正直、と言うのであればなんともどきどきはする。

 それが、他人と臥所を共にするという経験が幼い頃の親と一緒だった時を除けば皆無であるが故の緊張なのか、それとも他の理由によるのかは分からないが、せいぜい今晩はお嬢さまのいい枕くらいにはなってやろうと思う麻季だった。




 そしてその晩。


 麻季に頭を抱かれて眠る篠が、眠りながらこぼしていた涙と共に「…おかあさん」と呟いていたことは、しばらくの間麻季の心の重荷になったのだった。

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