19 水と油


「水と油って、どうやったら混ざるんだろう」


 ナギの作ったペペロンチーノをつまみ食いしながら、ヒダリが言う。


「混ざらないから水と油の関係って言うんでしょう。あと人のメシ食うな」


「ドレッシングにはどちらも使われてるよ」


「知らないわよ」


 ナギは出来たペペロンチーノを皿に盛り、パソコンの前に座った。画面には、ミキサーが表示されている。これが視界に入るたびに、ナギはげんなりした。


「どうしても混ざらないものはある」


「たとえば?」


「ドラムとギターの音域」


「混ざらないの」


「プロはうまく混ぜてるのに……ちっともうまくいかないのよ」


 作曲をしているとぶつかる壁、ミキシング——入力した音を加工する段階である。

 料理で言えば、食材に下味を付けたり下茹でしたり、味を整えたりする。


 音のエフェクト、音量、音域などを調節する。

 ナギは弾けるギターにはなにも苦労しない。

 しかし音楽とは、様々な楽器を使用する。

 ナギのバンドサウンドは、ギター3本とベース、ドラム、ボーカル。

 この6つを、上手く混ぜなければならない。

 料理で言えば、豚肉、牛肉、鶏肉、羊肉、馬肉、ジンギスカンを同時に調理するようなものである。

 それなら焼肉が最も楽ではあるが、そうは言えないのが音楽。

 毎食焼肉では胃もたれしてしまう。


「うまく混ざらないものかね」


「このペペロンチーノ、おいしいね」


「簡単だから。あと人のもの」


 ちゅるちゅると音を立ててすするヒダリ。

 ソースがノートパソコンの裏に飛んでくる。

 ナギは何も言わずティッシュで拭いた。


「おいしければなんだっていいよ」


「だとしても、おいしくなければならないでしょう」


「素材の味だよ」


「でた。みんなそれ言うけど、素材でしか生きる価値がない」


「産地にはこだわりたいね」


「なんの話よ……」


 ドラムの音域を調節するも、先ほどよりも耳が痛くなる。かといってハイ・ゲインを落としても、今度は聞き応えがないし、リードギターが浮いてしまう。では全てミドルに合わせるか? それも平坦すぎる。

 いったい何が正しいのか、わからなくなってくる。


「むぅ……」


 空腹も忘れ、画面と格闘すること1時間。


「ダメだぁ……」


 結局、投げ出した。

 生き急いでもいいことは、この世にあまりない。


「あっ、全部食べた!」


 ナギが気付いた頃には、皿は空になっていた。


「おいしかったよ。ごちそうさまでした」


「お粗末、とでも言うと思ったか」


「粗末なんて言葉、使わない方がいいよ。言葉のしわが残っちゃうよ」


「怒ってないわよ」


 空腹と作曲で、怒る元気もないのである。


「海、きれいだよ」


 食後の風を浴びるヒダリ。呑気なものだ。


「いつも見てるけど」


「空もきれいだ」


「いつも」


「海と空は交わらないんだね」


「そりゃあ、別々のものだから——あ?」


 そう言ってナギは跳ね起きる。

 別々のもの。


「そうか……!」


 もともと別々なのだから、混ぜる必要は、ない。

 別々のままでいいのだ。


「うおおっ」


 音域を調整し、少し迷いもあったが、これでいいと思った。

 そう、これでいい。

 混ぜなくていい。


「……できた」


「おめでとう」


「あんた、たまには役に立つじゃあないの」


「見直してくれたかい」


「ちっとも」


「ひどいなぁ」


 そういえば、とナギは思い出す。


 水と油は、混ざる。

 混ぜるには、当たり前だが、撹拌すればいい。

 何もしなければ混ざらないが、エネルギーを加えることで、分子同士が一定に混ざり合う。と言っても、時間が経てば結局は元に戻るのだが。

 音楽で言えば、「こだわり」もしくは「諦め」がエネルギーとなって混ざり、時間が経てば「冷静」になって元に戻る。

 空と海で言えば、「人の想い」や「想像力」と言ったところだろうか。


「混ざらない、ねぇ……」


 もしかしたら、この世で混ざらない物など、存在しないのかもしれない。


「ぼくたちも、水と油のような関係だね」


 ヒダリが突拍子もないことを言った。

 今回ばかりは、冗談を返すエネルギーもなかった。


「……そうね」


 混ざり合っては、また元に戻る。

 心の中でヒダリを肯定してしまったナギの気持ちも、結局はまた元に戻るのだろうか?

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