淑女としての嗜み(恋人の正位置)

 昔道徳の授業で、『フィンガーボウル』というタイトルの物語を読んだことがある。

 とある国の女王の食事の会に訪れた男性が、緊張のあまりフィンガーボウルに入った水を飲み干してしまう。本来フィンガーボウルは、汚れた手を洗う為に用意されたもので、飲むものではない。当然正しい使い方を知っている女王や他のものからすれば、奇妙に見えるだろう。

 ところがその様子を見た女王は、男性と同じようにフィンガーボウルの水を飲み干し、男性に恥を欠かせないように配慮したという話だ。


「あの話……懐かしいなぁ」

「何を懐かしんでいるの?」

「あ、恋人さんこんにちは。昔読んだ物語を思い出していたの」


 当時の私はこの物語に非常に感銘を受けた。女王という立場でありながら、一人の男性を救う為に礼儀に反する行動を起こし、男性を救った彼女の強さと優しさに惹かれたのだ。


「そう、そんな話があったのね」

「女王としてのイメージもあるだろうに、それをも顧みず行動したのがカッコイイなぁって思って」

「礼儀というものは、自分を正しく魅せるためのものなのよ。特に淑女としては一番身に付けておくべきものだわ」


 恋愛のエキスパートで知られる彼女にとっても、礼儀は重視するべき点なのだという。誰に対してでも通用し、きっちり出来ていれば評価も高くなる。知らないよりは知っている方がいいのだろう。


「ただ、その礼儀にばかり気を取られてはいけないわね。礼儀は従うものじゃない、使いこなしてこそなんだから」

「使いこなす……うーん難しいわね」

「ねぇ主、貴女が思う女性に必要なものって何だと思う?」


 彼女の質問に唸っていると、呆れたように溜息を一つつき、言葉を続けた。


「ほんの少しの強さよ。他にも挙げればキリがないけれど」

「ほんの少しの強さ……?」

「そう、女性は男性と比べれば体力も無く弱い。だから男性に護ってもらうことが多いと思うの。特に女王には警護も付くから余計でしょうね。彼女は常に誰かに護られながら生き、傷つく事がないから美しさを保ち、気品に満ちている……けれど今回の彼女の行動はどうかしら? 女王らしからぬ行動、お付の人が止めても可笑しくは無いはずよ? 今後の女王のイメージにも傷がつく可能性だってある」


彼女に言われてはっとした。通常女王がこのような行動に出れば、真っ先に周りにいる者が止めるはずだ。だが、描写には止めたという表現は無かった。それだけ勢いのある行動だったのだろうか。


「主の話では、その後女王もその男性も、誰からも咎められていないでしょう? 特に女王にはそれなりのお咎めがあってもいいと思うけれど、それをも言わせない女王の強さにお付の人達は惹かれたんじゃないかしら? 女王としての立場を優先したのではなく、その場の男性の事を優先し、行動を起こしたんだもの。それがほんの少しの強さだと、私は思うわ。普段出さないから、ここぞという時に発揮されるのよ」


 凛と話す彼女に、私は納得した。確かに物語の女王は好感が持てる。これなら市民達からの支持も上がるだろうし、家臣達からの支持も上がるだろう。


「仮に女王の計算だったとしたなら、相当頭の冴える人物ね。敵に回すと怖いものよ?」

「そう考えればそうだけど、私は女王の性格だと思うわ」

「ふふ、どうかしらね。女性は賢い生き物だから、侮れないわ……貴女も騙される女じゃなくて黙らせる女になりなさい」


 謎の決め台詞を吐き、彼女は颯爽と去っていった。彼女が座っていた椅子の上には、『いい女の伝授方法~スパルタ式~』と書かれたタイトルの本が置去りにされており、思わず身震いしたのは言うまでもない。

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