■歯車オーヴァードライヴ□天使の絶叫■ (C)Copyrights 2021 中村尚裕 All Rights Reserved.

中村尚裕

1.最後の勝ち目

 クラッチを切るなりギアを叩き落として2段。

 身体が覚えたアクセル・ワーク、エンジンの回転をきっちり上げてクラッチを繋ぐ。

 違和感ゼロでクランク型のシケインへ。エンジン・ブレーキまで駆使して猛減速、インへ切り込む。

 そこでエンジンが活かして真価。

 軽量にしてコンパクト、だが一般的な4ストローク・エンジンに比しては1.8倍とも評される燃焼能力――ロータリィ・エンジン。

 その軽さが活きてまずコーナ。

 車重を極限まで削れば、最後はエンジンの質量が物を言う。質量に比例する遠心力は悩みの種――しかしエンジンが軽ければ、コーナを速く抜けられる。

 ここで1台、競争相手のV12が脱落した。

 独特のキレで抜けてシケイン、さらにギアを叩き落として回転数をかち上げる。

 主軸に刻まれた歯車を噛んで、三角形のロータが唸りを上げる。それが4連。

 他車のエンジンに倍して高い駆動音。誰が授けたか、誉れの呼び名は〝天使の絶叫〟。クラッチを繋ぐ。タイアが地を噛む。

 慣性は平等に襲いくる。質量に比例して加速は鈍る。だが逆手に取れば――軽さは加速に味方する。

 抜き去ってまた1台。ホーム・ストレート、眼前に翻ってチェッカ・フラグ――。


「撤退ィ!?」

 ヘルメットを脱ぐなり、駿は監督へ噛み付いた。

「ぶん回してナンボのエンジンは売れんとよ」

「レースで勝てるエンジンなんだぜ!?」詰め寄る駿。

「ピット泣かせのな」眉一つで監督。「燃料食らいで大騒音、熱は籠もるわデリケートだわ」

「そこが腕の見せ所ってもんだろう!」駿の勢いは衰えない。「監督だって『性能じゃ最高のエンジンだ』って!」

「相手がエンジンならな」そこは監督も頷きつつ、「だがモータが相手になったら?」

 理論上、モータは無限のトルクを叩き出す――大電流に耐え切れさえすれば。

「……来るのか?」駿の声に怪訝の念。「クソ重いバッテリィぶら下げて?」

 従来型の化学バッテリィが抱える弱点はその素材――つまりは重い。

「キャパシタ電池の噂は?」監督が呈する。

 分子単位の凹凸に電子を直接吸着するキャパシタ電池は、充放電に極めて優れる――全容量を充電するのにわずか数秒、その気になれば同様の放電能力さえ発揮する。そして何よりその利点は――。

「軽いのか?」

「相手は炭素の塊だぞ」監督に苦い声。「金属製のエンジンに勝ち目が……」

「勝ち目はあるわ」割り込んで知的な声。

 いつの間に立ち入ったのか、パンツ・スーツで決めた妙齢の女が颯爽と腕を組んでいた。

「あんたは?」

 言いつつ駿の眼が女の胸元に認めてパドック・パス――『川島麗』。

「よろしく」にこやかに麗が右手を差し出す。「私がこのチームのオーナよ――今から」


「買い取ったァ!?」休憩室を貫く駿の声。

「愛好家を舐めないことね」涼しげな顔で麗。「今じゃカンパ感覚から投機目的まで、フィンテックと仮想通貨で資金は集まるのよ」

「チームはよくとも」監督が顎を掻く。「開発費はどうする?」

「メーカと折半」打ち返して麗。「エンジンの販売利益も折半よ」

「そこまでする理由は?」監督に怪訝の声。

「クルマのニーズは」麗が指を2本立てて、「これから二極化するわ。道具としての利便性と、ロマンとしての性能ね」

「道具、ね」監督に苦い声。

「効率と整備性じゃ、モータの圧勝」冷徹に麗。「だから道具としてのクルマにはモータしかないわ」

「ロマンは?」訊いて駿。

「問題はそこよ」麗に頷き一つ。「絶対性能でモータに勝てれば、エンジンにも目はあるわ」

「なんか引っかかるな」駿の眉に軽く影。

「じゃ、単刀直入に」麗が駿の眼を見据えた。「来季に参入してくるモータ車に勝ちなさい。でないとロマンはそこまでよ」


「具体的には?」監督から助け舟。

「ロマンで心と資金を動かして、」麗は指を一本立てて、「エンジン車のレース・カテゴリィを立ち上げるの」

「そんなにうまい話が?」声を低めて駿。

「楽とは言わないわよ」麗が携帯端末へ、出資ファンドのページを全面表示。「出資達成率の目標は100%、未達ならこのプランは流れるわ」

「逆に、」駿が腕組み、「出資が集まったら?」

「集めるのよ」不敵に麗。「エンジンで、ファンを沸かせてね」


「モータの弱点は!?」駿が睨んでスペック表。

「軽くてシンプルで高効率」涼しげに麗。「いいことづくめね」

「いや、構造はデリケートなはずだぜ?」駿が挟んで疑問の声。「昔はモータ弄って遊んだんだ。パワー稼ぐのにコイル巻き直したり」

「ご明察」麗の声に感心の色。「狙いはそこよ」

「てことは……」駿がしかめて眉。

「そう、徹底的に競ってモータをいじめ抜くの」麗に悪い笑み。「他にいい案があるなら聞くけど?」

 ――沈黙。

「なら、あとは質量を絞るわよ」にこやかに麗。「グラムを稼ぎに行くから覚悟なさい」


「エンジンを?!」

「そう」淡然と麗。「安全係数はギリギリまで削るわ」

「使い捨てるつもりかよ!?」噛み付く駿。

「その通り」麗が指を鳴らす。「モータ車に勝てるんならエンジンの一つや二つ使い捨てるわよ。ゴールまで保てばそれでいいわ」


「ギアを?!」

「削げる肉は徹底して削ぐわ」麗には涼しい顔。「馬力勝負じゃないんだからトップ・ギアの出番は少ないもの。ギア減らして最終減速比も思い切って落とすわよ」

「直線で泣くぞ」監督に苦い声。

「『ぶん回してナンボ』なんでしょ?」麗に微笑。「最高速度はぶん回して稼ぐのよ」


「計器も?!」

 試作車のダッシュボードはもぬけの殻。

「代わりにこれ」笑顔の麗からフル・フェイスのヘルメット。「被ってみて」

 炭素繊維ベースの素材を剥き出した感触は明らかに軽い。その軽さに心許なさすらを覚えつつ、駿は被って――息を呑む。

 視界に計器が浮いていた。

「拡張現実で計器を映すの」

「いいけどさ」駿に鼻息。「計器の位置は元通りで頼む。視界の邪魔だ」

「ミラーは?」監督から声。

「――まさか?!」駿が睨んでヘルメット。

「そのまさか」麗がさも当然と腕を組む。「今やカメラの方が軽いのよ?」


「減量?!」

 駿に日課を上回る走り込み。

「そ」追う自転車から麗。「余計な筋肉はただの邪魔」

「贅肉どころか筋肉って!」走る駿に反論。「体力削ってどうすんだよ!?」

「だから遅筋を鍛えるの!」追い討つ麗。「食事制限も覚悟して!」


「髪まで?!」駿の眼にバリカンの冷たい光。

「ロマンと髪と、」淡然と麗が笑んでみせる。「どっちが大事?」


「で、」呆れたように監督。「また可愛くなったもんだ」

 完成した車体はコンパクトにまとまった。レギュレーション一杯まで詰めたフレームを覆う外装は、カーボン地剥き出しの黒一色。

「ゴキブリって仇名があったな」禿頭の駿につい軽口。

「あら、レトロなゲームね」眉を開いて麗。

「あんた歳いくつだよ!?」すかさず駿。「せめて〝クロ〟にしとこうぜ」

「名作は名作、ゲームもエンジンもね」涼しげに麗。「玄人の〝クロ〟、いいじゃない。ぽっと出の新顔に貫禄を見せてやりましょ」


「貫禄、ね」スタート・グリッドで独り駿。

 3秒前――。

 眼前、ポール・ポジションにはモータ車。白いはずの外装を電機大手と新興企業のロゴが埋める。

 駿は2番手――旋回性能で稼いだ結果は、力任せのV12を軒並み背後に従える。

 2秒前――。

「さて、鬼と出るか蛇と出るか」駿が口の端、舐めて舌。

 1秒前――。

「やってやろうじゃないの」

 ――ゼロ。

 叫ぶ。のっけから本領発揮。

 高回転域を存分に活かしてスタート・ダッシュ。モータ車を外から追い越し、第1コーナへ殴り込む。

『ペースを引っ張れ!』無線に監督。『相手に息もつかせるな!』

 後方視界、コーナを攻めるモータ車。

「負荷は怖いはずだよな」駿に悪い笑み。

 コーナ出口、アクセル全開。馳せるクロ。直後にモータ車、追いすがる。


「とにかく相手に加減速の負荷をかけるの」麗の声に確信の響き。「その分モータは発熱するわ。冷却機構を追い込めば」

「モータの弱点は熱、か」監督が顎をしごく。「たった150℃で永久磁石がお亡くなり、インバータだって保って100℃。だが車重じゃこっちは不利だ。賭け目は攻めの一点だな」

「勝負は」麗に眼に自信の光。「エンジンをどこまで引っ張るか」

「そいつは駿の仕事ってわけだ」監督が睨んでモニタ――遥か先頭、凌ぎ合うモータ車とクロ。「いいか駿、この際2位はないと思え。優勝するか破滅かだ!」

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