第22話 境島署のいちばん長い日20

「おいおいおい! 嘘だろ!?」


 足柄の声が夕闇の下に響く。飛竜は依然としてユリウスを離す気配はなく、悠然と大空を羽ばたいている。

 だが、ここで逃せば、永遠に機会を逸してしまうだろう。

 パトカーが丁度、飛竜の後ろに来ている。

 足柄に選択の余地はなかった。

 すぐに拡声器のスイッチを入れ、向かってくるパトカーに向けて叫んだ。


「犬飼!! 俺達がこいつを使ったら、ユリウスを受け止めろ!! 分かったな!!」


 そしてすぐに後ろに並ぶトラックの一団に向けて言い放った。

 足柄は此処にいる全員を信じ、一世一代の賭けに出たのだ。


『いいか!! あの光を狙え!! 発射用意……撃て!!』


 ばしゅ、と鋭く空気を切り裂く音と共に、大きな矢弾が放たれた。


 三本の縄のついた矢弾が飛竜の両脇と上を通り過ぎた。飛竜は翼を器用に使いくるりと避けたのだ。

 操者のエルフが緊張した面持ちで飛竜を追尾する為の操作に入った。繊細な魔力操作が必要なため、かなりの精神力を要するようだ。

 しかし、あと矢弾は残っている。


『第二段!! 撃て!!』


 もう三本の矢弾が発射される。しかしそれも躱された。

 飛竜が怒りを滲ませた唸り声を発している。


『最後! 撃て!!』


 最後の二本が放たれる。躱される、かと思いきや、飛竜の動きが鈍くなったように見える。


「頼む……ボイレコ作戦成功してくれ!」


 運転席の肥後がその光景を見上げながら祈るように言った。

 飛竜の機動力は非常に高い。足柄たちも躱される事は想定していた。

 なので、彼等は一か八かの賭けに出た。最後に発射される二本の矢弾に、仔竜の鳴き声を録音したボイスレコーダーを括り付けたのだ。音声を流しながら発射される矢弾に飛竜が気づくのかという意見も出たが、飛竜の聴覚は竜種の中でも極めて優れているのと、資材も人材も時間も限られた中では一番の対応策だと結論付けた。


 二本の矢弾が飛竜の間を抜ける。

 外したわけではない。

 いたずらに傷つけず、無傷に近い方法で捕獲するためである。


『よし! 囲め!!』


 足柄の最後の指示が響き渡る。

 夕空に、幾つもの縄と矢弾が意志を持ったかのように複雑に絡み合い、結界の如く飛竜を囲んだ。



「はあああ!? おい、嘘だろ!!!」


 犬飼が拡声器から放たれた言葉を聞いて叫ぶ。


「くそ! おい!もうやるしかねえ!! 犬飼、誘導しろ!!」


『撃て!』という声と同時に毒島が限界いっぱいにアクセルを踏み抜いた。最後の咆哮というようにエンジンが唸りを上げる。

 犬飼は了解!と助手席と運転席に掴まり、立ち上がって飛竜の真下へ来るように毒島に指示を出し始めた。


「もうちょい左!! ちょい前!!」


 犬飼の指示にパトカーがじりじりと飛竜の真下に近づく。

 スピードメーターは八十キロ。満身創痍の車両ではこれ以上は限界だ。

 その間にも第二陣の矢が放たれた。

 毒島が焦りに悪態を吐きながらハンドルを操る。

 犬飼も今にも落ちそうなくらいに身を乗り出して、飛竜の行方を眼で追っていた。


「やべえ!!!」


 犬飼の叫び声と同時に、第三陣の矢が放たれた。

 飛竜の動きが鈍り、矢弾と縄の渦が出来た時。

 その周りを囲い込むように、縄の結界が完成した。


『捕獲!!』


 縄の結界が一気に収縮し、飛竜を拘束した。

 その弾みで、足に掴んでいたユリウスがおもちゃのように放り投げられる。

 チカチカと小さな光を点滅させながら、猛スピードで落下してくる。


「落ちるぞ!!!」


 毒島が悲鳴のような声で言った。放り出されたはずみで、ユリウスの落下地点は少し距離がある。

 犬飼が何かを思いついたように眼を見開き、後部座席で立ち上がった。


「先輩! 俺が跳びます! スピード上げて急制動(急ブレーキ)かけてください!」


 毒島はその真意を即座に汲み取り、了解!と返答すると同時にもう一度アクセルを強く踏んだ。

 ぐん、と最期の嘶きを上げてエンジンが回る。

 犬飼が左脚を助手席に掛ける。

 まるで今にも獲物に喰らい付こうとする狼のような体勢になった。


「行くぞ!3、2、1……跳べ!」


 百キロ近い速度からの急ブレーキに、タイヤと車体が悲鳴を上げる。砂ぼこりが舞う中、黒い弾丸が一直線に飛び出した。


 ユリウスは縄の結界がまるで意志を持ったかのように飛竜を拘束するのを下から見た。

 成功した!と歓喜に震える前に、ユリウスの身体は空中に放り出されていた。


「うわあああああ!!!!」


 上空の冷たい空気が全身を切りつける。

 逃れられない絶対的な死という文字が、頭の中を支配する。

 スカイダイビングの経験など勿論ない。姿勢が保てず、ランドリーの中の洗濯物みたいに視界が回る。

 高度約千メートルからの自由落下は、ユリウスを完全にパニックにさせていた。

 その左手には縋るかのようにしっかりとマグライトが握られていて、LEDの強い光が点滅している。


(もうダメだ……!!!)


 眼前に、地上がはっきりと見えた。それがものすごい速度で迫ってきていて、無意識の防衛本能か、胎児のように身体を丸める。

 全身をこわばらせ、目を瞑る。その時が来るのが永遠にすら感じた。


 ドン、と体に衝撃を感じた。

 ああ、死んだのか。とぼんやりと思ったのも束の間だった。


「うおおお! やべやべやべやべ!!!」


 聞き覚えのある声が、頭のすぐ上から聞こえた。


「い、犬飼部長!!?」


 信じられないことに、ワーウルフの特徴である黒い獣毛に包まれた筋肉質な腕が、ユリウスの体をがっしりと捕まえていた。


「やべえ跳びすぎた!!!」


 犬飼が叫ぶ。下を見ると、まだユリウスの体は地上に到達していなかった。

 車両から弾丸のように跳躍した犬飼が、絶妙な体勢でユリウスをキャッチしたのだ。まさに神業である。

 だが、着地のことを考えていなかった。

 ユリウスも引き攣った顔で犬飼の体にしがみついた。


「うおおおお、マジで何とかなれぇええええ!!!」


 犬飼の叫びと共に、固い地面に叩きつけられる。

 はずだった。


 キュウウゥオオオオオオン!


 ユリウスの腹、厳密に言えば抱っこ紐の中から甲高い咆哮が響いた。

 その声に呼応するように、ぶわ、と風が何重もの空気の層になって二人の周りを包み込む。

 異変に気付いた犬飼も何事かと眼を見開いた。

 地面まで、あと数メートル。


「うおおぁあ!!」

「うわぁああ!!」


 地表に激突する直前で『二人の身体が見えないエアバッグに守られたかのように見えた』と後に近くにいた生活安全課員は語る。


 まるでゴムボールのようにバウンドし、すぐ傍の貯水池へ突っ込んだ。

 鏡のような貯水池の水面に、派手な水柱が二本立った。

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