使い捨てマスクを使い捨てられない


「あ、おかえりなさい」


 ゴォォォ~ッ!と、やかましい室内で。

 ネグリジェ姿の逢坂は、濡れたマスクを乾かしていた。

 どうやらマスクを洗濯していたらしい。

 マスク不足のご時世である。使い捨てマスクを使い捨てるのは贅沢なのだ。


「すまん。何も買えなかった」

「食べ物が買えない……ついに始まりましたか」

「なにが?」


 小早川が首を傾げると、逢坂は表情を暗くしながら呟いた。


「食糧危機です」

「あ?」

「食料の買い占めですよ。コロナのせいで世界の物流が止まったり、食糧生産国が輸出を止めるそうです。中国人が世界中で食料を買い占めてますし、イタリアのスーパーなんて空っぽらしくて……」


 深刻そうな表情で語りだした逢坂に、小早川は言葉を失った。

 こいつ、デマに踊らされてやがる。


「逢坂、それ誰に聞いたんだ?」

「お友達からLINEで回ってきましたし、Twitterと5ちゃんねるでも見ました」


 デマ確定である。

 逢坂を頭ごなしに否定するのも抵抗があったので、小早川は言いたいことをポイズンしながら、自分が遭遇した事実だけを伝えることにした。


「店に商品はあったが、マスクを付けないと入店できない新ルールができてな」

「マスクですか?」

「マスク難民の俺にはお手上げだ。朝飯はスーパーが開店するまで待ってくれ」

「…………」


 逢坂はしばし考えて、手元で乾かしていたマスクを差し出してくる。


「これを使って下さい」

「逢坂のマスクを? いいのか?」

「はい、この子を貸してあげます。3週間も洗濯して使いまわしている最後の一枚なので大事にしてくださいね」


 受け取ったマスクはボロボロで、繊維がささくれてゴム紐が伸びている。

 貴重なマスクを貸してくれたことで、どうやら自分が嫌われていないらしいと安堵する。


「こんな大事なもんを受け取ったら、最高のアイスを買ってくるしかないな」

「ふふっ。アイス、楽しみにしてますね」


 ニコッと笑ったノーマスクの逢坂は、言葉では表せないぐらい可愛かった。


 再び買い出しに出かける小早川は、玄関で逢坂のマスクを装着する。

 ほんのり香る洗剤の匂い。まだドライヤーの暖かさが残っていた。

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