恋積もる憧れでも

 実景みかげが綺麗に腰を折り、突き出された旋毛を、奇乃あやのがまじまじと見詰める。


 奇乃は実景の本棚から拝借して読んでいた白い冊子を、落とし掛けて、意識して手に力を入れた。


「弟がまたバカな真似をしてごめんなさい!」

「そのくだり、もう終わってますわー」


 景胤かげたねをデコピンした直後こそ、景胤が下がらされるだけだったが、稽古が終わるなり景隆と充雅から教育が間違っていたと二人揃って土下座された。

 さらに保護者達に責められて、景胤も奇乃に謝罪したが、これは謝る相手が違うと切り捨て、充雅に謝らせてある。


 むしろ、体罰をしたことについて、奇乃から景胤に謝った。


 と言う風に、実景が頭を下げた件については、全て後処理が終わっている。


「そんなことより、わたくし実景みかげちゃんに訊きたいことがありますの」

「な、なに?」


 弟が無礼を働いたのは事実であるから、これを機にどんな答えにくいことを問われるのかと、実景は身構える。


「明日はお暇ですの?」


 しかし、奇乃があっけからんと尋ねたのは明日の予定だけだった。


 ぽかんと口を開けた実景の前を、時間が通り過ぎていく。


「もしお暇でしたら、友達らしくどこかに遊びに行きますわよ」


 実景が黙っているのを、どうしてそんなことを訊くのか訝しんだからだと思って、奇乃は言葉を付け足した。


 しかし、それこそが実景を戸惑わせる。


「うえっ、わたしが、ともだちと、あそびに!? あ、でも、週末はいつも溜まった家事してるし、遊ぶっていっても、奇ちゃんはお金がないし、だから」


 遊びに誘われるのが初めてな実景は、気が動転して断る理由ばかりを並べ立てる。


 奇乃は溜め息を吐いて、呆れの眼差しを実景の背後へと投げた。


 そこには、この事態を予測してこっそり見守っていた景隆が、今がその時と姿を現していた。


「実景、実は家事は奇乃さんがやってくれたんだ。それで、わたしから彼女にお小遣いも少しばかり差し上げているから、何も心配しないで、言って来なさい」

「お父さん、いつの間に!? え、そんな、行っていいの!?」

「ふつーの女子高生なら、父親にダメだって言われても、罵倒を返して遊びに行く場面でしてよー」


 普通から程遠い奇乃が間延びしたツッコミを入れて、実景が臆病に駆られて逃げる先を潰す。


 実景は顔を赤くして、ふるふると震えている。


「実景ちゃんは、友達を遊びたいこととかなにか考えてませんのー?」

「友達と、遊びたいこと……」


 実景は息を飲んだ。

 飲みこんだ空気を喉からお腹に向けて落として、ぐるぐると巡らせる。


「定期もあるんだから、どうせなら博多に行ってきたらどうだい?」


 景隆が重く思い悩む娘に助け舟を出した。


 実景は景隆に光を奥に隠した瞳で振り返った。

 それから勢いよく首を振って、奇乃に視点を定める。


「カラオケ行って、クレープ食べて、それからゲームセンターとか」

「いいですわよ」


 実景は憧れと畏れを目一杯込めて行き先を並べて。


 奇乃はさらりと受け入れた。


「い、いいの! わたし、初めてだから、奇ちゃんのこと案内とかしてあげられないよ!」

「ざんねんながら、カラオケもクレープ食べ歩きもゲーセンも普通に行ったことありましてよ。そんなどこ行っても大差ない施設で戸惑えと言われる方が難しいですわー」

「奇ちゃん、全部行ったことあるの!?」


 格闘に一途で戦闘力ばかりが高いと思っていた奇乃が、自分よりも遊びに手慣れていると告げられて、実景は大いにショックを受けた。


「ちなみに、中学の同級生を行きましたわ」

「お友達と!?」

「なお、五人くらいで遊び歩きましたわ」

「複数人で!?」


 奇乃が事実を伝える度に、実景は胸を押さえて仰け反る。


 その様を可哀想な目で見てから、奇乃は景隆に視線を投げる。


「なにをどうしたら、ここまでぼっちになれますの? 普通、小学校が同じとか、そうでなくてもクラスで一人くらいは遊び相手できますでしょう?」


 心底不思議がる奇乃に、景隆は娘の前では何も言えなくて、乾いた笑いで誤魔化してきた。

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