軍師との出会い

 俺たちが駿府に向けて出立しようとすると、意外なことに武田晴信が気を使ってくれたのだろうか。俺たちに護衛役を付けて送り出してくれた。


「当家の大切なお客人でございます故、せめて国境まではお守りさせていただきまする」


 そう言って随行するのは板垣駿河守信方である。史実では五年後に信虎追放の首謀者の一人となるが、晴信の傅役を任されただけはあり、文武に優れた実直な性格の忠臣のようだ。おそらく苛烈な性格の信虎とは馬が合わなかったのだろうな。


「駿河守殿、ここまで護衛いただきありがとうございまする。大膳大夫殿とは義理の兄弟となったからには、もし何かお困りで私がお助けできることがあればお頼りくださいとお伝えくだされ。とは言え伊賀は甲斐から遠く離れておりますゆえ、戦の手伝いは出来ませぬがな」

「誠にかたじけのうございます。必ず大膳大夫様にお伝えいたしまする。では道中お気をつけてお帰りくだされ」


 駿河との国境に着くと、俺は信虎にクーデターを回避するための助言をしてしまった負い目もあり、晴信にも念のため外交辞令の伝言を頼んで信方と別れた。


 駿府の今川館は躑躅ヶ崎館のように防御機能のない平時の居館という形で佇んでいた。公頼を連れた冨樫家の一行が訪ねることは既に周知されており、到着するとすぐに義元との対面となる。


 義元との対面とは言ったものの、実際は三条公頼の存在もあるために寿桂尼も同席し、太原雪斎を加えて歓談する形となった。会談というよりは歓待の宴であり、稍や槻橋伯耆守も同席した宴の雰囲気は、適度な緊張感こそ帯びながらも明るいものであった。


 宴では公家出身である寿桂尼と公頼の話が弾み、京や畿内の近況であったり、伊賀や駿河での生活など専ら二人の会話が中心となり、結局義元とは最初に挨拶を交わした程度で会話はほとんどないまま終わってしまう。おそらく義元が無口な性格なので場が白けないように寿桂尼が気を利かせたのだろう。


 義元を傍目から見た印象は、公家装束で白粉化粧にお歯黒を染めた『まろ顔』のイメージとは全く違い、武家装束で無口ながらも冷静沈着な語り口調であり、まだ十八歳と若いながらも名門今川家の当主に相応しい威厳のある風格を身に纏っていた。この義元と太原雪斎、寿桂尼という三大巨頭が健在である限り、今川の勢威が翳りを見せることは決してなさそうだ。


 そして今川館に数日滞在し、伊賀への帰路へ就こうと館を出た矢先、がっくりと肩を落とし、悲壮な雰囲気を露わにした一人の男が視界に入る。


「如何なされた? 館の方から出てこられたようだが」


 ただの牢人ならば駿府の町でも見かけるので然程気にかけることはないが、その特徴的な容姿が目を惹いた。色黒で右眼に眼帯をつけ、顔や腕には無数の傷痕がある。外見を見る限りは相当に腕の立つ武辺者と思われた。


「いえ、何でもございませぬ。某のことはお気になさらず」

 

 男は咄嗟に顔を俯かせたが、俺はその男がなぜか無性に気になって話しかける。


「そうはいかぬ。如何なる用向きで来られたのかな? 吐き出すことで楽になるであろう」

「大したことはございませぬ。ただ今川家に仕官を願いに訪ねましたものの、このような醜悪な異形ゆえ、門前払いを食らいましてな。これからどうしようかと、ほとほと困っていたところにございまする」


 話を聞いたところ、この男の名は山本菅助というらしい。武者修行のため十年ほど諸国を旅して兵法を極めた後、故郷でいざ自らの力を示そうと駿河に帰還し、仕官の機会を伺っていたのだと言う。旅の途中では伊賀忍術の元となった山伏兵法を学ぶため、高野山で修行したこともあるらしい。


 そこまで話を聞くと、もしや武田信玄の軍師として有名な山本勘助ではないかと思い至る。かの軍略家がこの時期に牢人だったとは知らなかったが、容姿や経歴を聞く限りどうやら間違いなさそうだ。


 義元は雪斎の教育を受けただけあって優れた教養の持ち主だが、まだ若年であるが故の経験不足から先入観がやや先走っているのだろう。足利一門の名門という体裁を気にする余り、菅助の容姿を見た時点で召し抱えることを嫌悪したのだろうな。


 菅助は義元に謁見するために色々と根回しもしたらしいが、家臣たちには菅助の経歴を法螺話だと胡散臭がられ、真面に取り合ってもらえなかったらしい。長年の苦労が水泡に帰した脱力感は相当なものだったのだろう。周囲が怖気立つほどの悲壮感を漂わせていたのも頷けるが、俺にとっては万馬券か宝くじにでも当たったくらいの喜びだ。


「仕官先を探しているのだな?」

「はい、左様にございます」

「ならば私に仕える気はないか?」

「……失礼致しますが、お名前をお伺いしても? 今川館から出てこられたあたり、やんごとなき御方であろうことは想像に難くはありませぬが」

「これは失礼した。私は冨樫左近衛権中将と申す」

「なんと、伊賀の冨樫様にございますか!? しかし如何なる事情で駿河に?」

「元々甲斐に用があってな。こちらの三条亜相様のご息女が武田家に嫁がれるため甲斐に赴いた帰りに駿府に立ち寄ったのだ」

「ご、権中納言様にございますか? 数々の御無礼をお許しくだされ」

「気にするでない。少なくとも麿は人を容姿で判断することなどせぬぞよ」


 青ざめて地に膝を付けようとする菅助を宥めると、気まずそうな表情で視線を彷徨わせた。


「しかし有難い話にございますが、某のような男を召し抱えてよろしいのですか?」


 やや控えめなくぐもった声で、申し訳なさそうに告げてくる。俺は鷹揚に頷いた。


「光から闇の暗影は見えぬのだ」

「はっ?」


 突然意味の掴めない言葉が発せられ、菅助は怪訝そうに眉を寄せる。


「逆に闇から光は良く見える。お主が自分の才に自負を抱えていようと、それを今川の者は見えぬのだ」

「某が闇の暗影だと?」

「左様だ。気を害して欲しくはないが、お主は光にとって得体の知れぬ暗影なのだ。故に遠ざけることを優先し、本質を知ろうとはせぬ」

「……」


 多くの優秀な人間は暗影に隠れている。それを見出すのが為政者であり、存分に引き出して扱うことができる人間が、優れた大名となり得るのだ。逆にそれを怠り、自分に地位を脅かし得る存在を積極的に排除しようとする者は、やがて報いを受けることになる。


「私もかつては闇の中でもがいていた。だからこそ苦労して光を求める者、闇に燻る者、そのどちらも蔑ろにせぬ理解者でありたいのだ。お主を見つけることができたのは、そのおかげなのやも知れぬ」


 かつては一向一揆に領国を簒奪されて他国に逃れていた頃の俺は、間違いなく闇の中にいた。俺が嬌然と微笑むと、菅助は肩の力を抜いて目尻を下げる。


「左近衛権中将様の御言葉、大変心に響き申した。喜んで仕えさせて頂きまする」

「うむ、私は身分など気にせず才ある者を高く評価する故、働きに期待しておる」

「はっ、粉骨砕身仕えさせて頂きまする」


 菅助の瞳には忠義が帯び、俺の役に立とうという気概がひしひしと伝わってくる。


「仕官早々で誠に厚かましいお願いでございまするが、実は剣の腕が立つことは確かな牢人者で某と同じく仕官できずにいる者がおりまする。かつて甲斐の武田家に仕えていたとの話ゆえ、ぜひ一度お目通りいただきたくお頼み申しまする」

「ふむ、承知した。一度会ってみようではないか」


 俺の諾了の言葉に、菅助は感激したように何度も頭を垂れた。菅助が剣の腕が立つと言うのならば、その目に狂いはないだろう。俺はどのような人物なのか期待に胸を膨らませつつ、そして思わぬ幸運の連続を神に感謝しつつ今川館を後にするのだった。

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