藤林長門守の調略と伊賀攻略の進言

「藤林長門守と申しまする」


 目の前で仏頂面を浮かべる男は、感情の籠っていない平坦な口調で名乗った。


「冨樫伊賀守と申す。断わっておくが、伊賀守は僭称ではなく、正式な官位だぞ」

「まさか! ……よもや伊賀守を得るとは思いませなんだ。伊賀守様が本気だということは認めましょう。ただそれだけで長きにわたって独自の体制を維持してきた伊賀を崩すわけには参りませぬな」

「相変わらず頑固な男だ。意志が固いのはお主の取柄だが、融通が効かぬのは良くない所であるぞ」


 半蔵が呆れたように目を覆うが、長門守は僅かに眉を動かすのみである。


「半蔵よ、お主も大概だ。故郷を捨てたと思えば将軍さえも見限った。そして今度は六角ときた。状況を日和見して簡単に主を鞍替えするお主の言を信用するなど笑止よ」


 長門守も間違ったことは言っていない。半蔵が俺に臣従を決めたのは、運が良かったと言っていい。一方、長門守の方は頑固というより、簡単に言えば俺のことを信用していないのだ。だから一度目の要請は断った。今回も話だけは聞いてやる、そんな心持ちなのだろう。


「だが長門守よ。故郷を捨てたと言うがな、捨てざるを得ないほどに貧しく廃れた伊賀の現状を見てどう思う?」


 俺は険悪になりかけた空気を締めにかかる。伊賀の現状についてどう思っているのか、本心を引き出したかった。


「勿論このままでよいなどと思うはずはありませぬ。何かを変えるべきとは思っておりまする。されどただ変えるべきでない部分も多い、そう考えておりまする」


 統治体制を変えて中央勢力の介入を許したくはないが、この現状をどうにかして変えたいとは思っている。長門守は感情が高ぶったのか微かに冷静さを失い、震えを含んだ口調で口惜しげにそう答えた。


「私は帝に拝謁し伊賀守を授かり、『伊賀の民を安んじ、伊賀の地を豊かにせよ』との御言葉を直々に賜った」

「……!」


 長門守は言葉は発さないが、帝の御言葉に明らかに心が揺さぶられたように見えた。俺は畳み掛けるように告げる。


「このまま伊賀を貧しいまま治め続けて何の意味がある。仮にも伊賀を治める上忍として自覚があるのならば、民を蔑ろにすべきではなかろう。お主が選ぼうとしている道は民に貧しさを強いるだけの非道だ。帝から伊賀を託された私には到底認めるわけにはいかぬ!」

「……ッ」


 言葉にもならない呻くような声を発する。何を分かったように、という苛立ち、怒りを感じる。その気持ちを決意に昇華させるのだ。


「さ、されど、伊賀は米もロクに取れぬ痩せた土地にございます! 食う物にも恵まれぬ我らには息を潜め、貧しく生きる他ありませなんだ」

「国が貧しいからと言ってハナから豊かにする気もなく諦めるなど怠慢だと申しておるのだ。私は伊賀を治めるからには豊かにすることを諦めるつもりはない!」


 ようやく感情が表に出た長門守に対して、俺は冷静な思考はそのままに声を荒げた。


「だがな。私は外敵から身を守り、銭を稼ぐ、そのために培ったお主らの忍びの技をこのまま埋もれさせたいとは思わぬ。単刀直入に言おう。お主らの力が必要なのだ」

「わかりませぬ。我らは例えどのような汚れ仕事でも、生きるため断らずこなしてまいりました。その度に我らは卑しい素破と蔑まれ……」


 長門守は積もりに積もった悔しさに歯を食いしばっている。それ故に特定の大名家に属すことなく、伊賀衆は独力のみでどうにかしようと必死に生きてきた。俺は近寄って行き、それを包み込むように肩を叩く。


「お主らの力は本来ならば万の兵にも値すると褒め称えられるべきものだ。世が世ならばむしろ尊敬や憧れの的となっていたであろうよ」


 忍者という存在はクールジャパンの象徴だ。前世において忍者は日本のみならず世界中から認知される存在となっていた。


「……そのように仰ってくださった方は伊賀守様の他にはおりませぬ」

「これまで肩身の狭く辛い思いをしてきたのは想像に難くない。だがこれからは冨樫家が武士として召し抱える故、胸を張ってこの冨樫靖十郎に仕えてもらいたい」

「……承知致しました。この藤林長門守保豊、伊賀守様を信用し、伊賀の地をお任せ致しまする。必ずや、伊賀を豊かに導いてくだされ」

「うむ、承った。決して落胆させるような景色は見せぬと神明に誓おう」


 長門守の瞳は希望に満ちている。寡黙で頑固、人を簡単に懐へ入れようとしない。そんな印象が随分と変わったものだ。


 藤林長門守の調略が首尾よく終わったことで、本格的に伊賀攻略へ乗り出す準備が整った。俺はこの動きを定頼を始め六角家の人間には誰にも話していない。客将という実質的に切り離された存在だからこそ、こうして自由に行動できる。その分家中での信用もそこまで得られていないのが実情だが、そこは実績で塗り替えて行くしかない。





 四月を迎え、観音寺城の山桜が徐々に花を咲かしつつある頃。その観音寺城の一室には、定頼と義賢、そして六宿老に俺を加えた面々が集まっていた。六角家の評定である。


「長島願証寺の蓮淳が大坂に向かったとの由にございまする。本願寺も余程追い詰められておるようですな」


 三雲対馬守定持が神妙な面持ちで告げる。蓮淳は蓮如の子で加賀での大小一揆を引き起こすきっかけを作った人間だ。堅田の称徳寺や河内顕証寺の住持を兼務し、本願寺内でも有数の実力者であった。しかし山科本願寺の戦いでは証如の後見人を任されていたにも関わらず、危機にあった証如を置き去りにして願証寺に逃げ戻ったらしい。強欲で自分のことしか考えない、民を救済すべき僧侶としてはあまりに不適格な男だ。近江光応寺を拠点として布教を進めていたことから、近江での勢力拡大にも多大に貢献しており、六角家中では最も敵視される存在であった。


「左様か。近々細川も本願寺を仕留めにかかるであろう。その後は法華一揆と袂を分かつ。見えていることよ」


 定頼が鬱屈そうに溜息を吐いた。史実では来年に起きる天文法華の乱を既に予想しているのか。さすがだな。だが沈黙が重い。冷や汗が背中を伝った。緊張しているのだ。俺は静かに沈黙を破る。


「弾正少弼様、一つよろしいでしょうか?」

「ふむ、靖十郎殿か。構わぬぞ」


 意外だったからか左眉を僅かに上げて見せる。他の宿老たちも同じようだ。義賢は額の皺を寄せて不快そうに睨んでいるが。


「本願寺は細川の猛攻に耐えかねて遅くとも秋には降伏致しましょう。しかしそれを座して待っていても徒に時が過ぎゆくばかりにございます。そこで私に伊賀の攻略をお任せ頂きたく存じます」

「伊賀だと?」


 六宿老の面々も同じように怪訝そうな表情を浮かべている。義賢は呆れ返った様子だ。


「はい。伊賀にございまする」

「伊賀は毒饅頭だ。伊賀衆は戦い方が特殊故、一歩間違えれば六角の勢威にヒビが入りかねん。それに伊賀はどこの勢力にも属さぬ。銭を持たせればどこにでも味方するのだ。そんな伊賀を相手取るとなれば、相応の策が必要であるぞ」


 史実の天正伊賀の乱のように伊賀衆がまとまってゲリラ戦で応戦してくれば、必要以上に力を削られ苦戦を強いられるだろう。他の大名家が伊賀を狙わないのは得られる利に対してリスクが大きすぎて見合わないからだ。


「無論、無策ではございませぬ。五百の兵をお預け頂ければ、必ずや名張郡を除く伊賀全域を掌握してご覧に入れましょう。そして掌握した暁には伊賀を私の所領と認めていただきたく存じます」


「五百!?」「いくらなんでも無謀だ」と声が上がる。当然の反応だろう。それを前にして、俺は真顔を保って見せる。


「五百で伊賀を攻略できるとは正直思えぬ。靖十郎殿、正気か?」

「無論、正気にございまする。弾正少弼様、博打だと思い私に賭けてみませぬか? 兵五百ならばたとえ失敗しても大きな痛手とはならぬでしょう。勿論私も勝算あっての提案にて失敗するつもりはございませぬ」


 服部と藤林という上忍の二家を味方につけた以上、伊賀に残る抵抗勢力は少ない。伊賀の体制を梃子でも崩したくない土着の国人や土豪が抵抗姿勢を明らかにしているだけだ。そうなってしまえば五百の軍でも十分だ。だが俺はこのことを定頼を含め誰にも一切伝えていない。周りからは『何もない状態でわずか五百の兵で伊賀を攻略しようとしている身の程知らず』に見えていることだろう。しかし裏を返せば、たった五百で伊賀を攻略できたならば俺の力を大きく誇示できるわけだ。たとえ下国とはいえ一国は一国だ。六角家での存在感は格段に増すのは間違いない。


「……ふっ。面白い。ならば五百の兵で靖十郎殿に賭けてみよう。成功すれば大儲け、失敗しても大して痛くはない。婿殿の才覚が本物かどうか、しかと見届けさせて頂こう」


 定頼は愉快そうに笑った。宿老も大半は半信半疑といった様子だ。


「弾正少弼様、誠に忝く存じまする」 

「ふん、大言壮語しおって。出来るわけがなかろう。伊賀を五百だと? 笑わせるな」


 両手をついて定頼に礼を述べる俺に向かって、義賢が悪態をつく。本当に俺のことが気に入らないようだ。表情には侮蔑や憎悪にも似た感情が浮かんでいる。


「四郎様。そう仰るのならば、私がもし伊賀を手に入れたとしたらいかがされますかな?」


 義賢を見上げた俺は好戦的に眉を寄せる。一度このガキには焼きを入れないといけないようだ。


「ふっ、そうだな。城下で裸になって逆立ちしながら歩いてやろう。もし出来たらの話だがな。その代わり、出来なければ土下座して詫びてもらうぞ」


 歯を出して嘲笑うようにこちらを見下ろす義賢に、俺は微笑んで見せる。


「その言葉、取り消せませぬぞ?」


 定頼はやれやれといったように頭を抱えている。六宿老も同様に苦笑いを浮かべていた。六角四郎義賢、後で悔やんでも遅いぞ。


 俺は不敵に微笑み、勝ち誇ったように腕を組む義賢を睨みつけた。

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