鶴来城の戦い②

城下に並ぶ大軍は、攻めあぐねている様子であった。鶴来城は天然の要害であり、また手取川の扇状地によって大軍が布陣する裾野は狭い。高級な指揮官のいない一向一揆には、難しい状況になっていた。


 現在鶴来の町が広がる場所は舟岡山とそれに連なる丘陵に囲まれており、比較的町に入りやすい丘陵部分も鉄条柵で囲い、入りにくく工夫している。


 町に通ずる道を通って攻め入ろうとすれば隊列は必然的に細長くなり、大きな隙が生まれる。それは分かっているのか、無理に町へと兵を入れようとはしなかった。そのため、大軍が布陣できる場所は鶴来の旧市街地しかない。それを見越して、まずは手始めに撒菱を敷いておいた。順蔵が普段所持している撒菱を大量に生産したのだ。これには一定の効果があったようで、一向一揆は布陣したその日に鶴来城へと攻め寄せることはなかった。


「始まったか」


 天守から見下ろせる無数の軍勢を前に、無理やり平静さを保とうとする。隠せているだろうか。脇下を冷たい汗が伝った。不快だ。


「はい。ただこの城をあの兵数を無駄なく使って攻めるには、川から上陸し、崖を登るしかないでしょうな」


 舟岡山は周囲が崖になっており、城郭に到達するためにはそれをよじ登らなければならない。斜面には昔の名残か切り込みが作られており、それがより一層攻めづらくしていた。


 そして手取川は豊かな清流で沿岸に多大な恵みをもたらす反面、急勾配で度々洪水を起こす急流であるため、下流から舟を差し向けて上陸するのは事実上不可能と言って正しい。


「狙い通りだ。狭く隊列も長くなっている。手筈通りに事は進んでいるか?」

「無論にございまする。これでいつ朝倉がやってきても一網打尽にできましょう」

「そうか」


 順蔵は自信を持った様子で頷く。俺はここで胡座をかいていても落ち着かないので、天守から降りて守備隊を指揮する槻橋伯耆守や沓澤玄蕃助の下へ足を運ぶ。


「戦況はどうだ?」

「これは靖十郎様! わざわざ足をお運びくださるとは」


 玄蕃助は驚いたように目を見開き、ややぎこちない様子で背筋を伸ばした。


「どうだ、上手くいっているか?」

「はっ、靖十郎様の仰られた通り、崖上から石を投げ落とし、弓矢で追撃することで敵の一切を未だ侵入に至らしめておりませぬ。首尾は上々と言えましょう」


 崖という登るのに多大な労力を強いられる環境であればこそ、石を投げ落とす策は有効になると思った。先陣は本来の戦ならば名誉だが、一向一揆にそんな名誉は関係ない。全員が猪突猛進、よく言えば勇猛果敢、悪く言えば無味単調だ。


「素人考えではあったが、功を奏したようだな。敵も未熟であるが故、大きく効果を得たのだろう」


 謙遜というよりは、緩みかかった自らを引き締めるために、口元を真一文字に結んで応える。


「皆の者、ゆめゆめ油断はするでないぞ! 一向一揆の者どもは恐れを知らぬ。戦においてはこの上ない脅威だ。少しの隙が命取りになると心得よ!」

「応ッッッッ!!!」


 どの範囲まで聞こえたか分からないが、俺の声は山と山に挟まれた鶴来という場所だからか想像以上に響き渡る。それに呼応するように、兵士たちからは士気の高さを感じ取れる野太く力強い声が上がった。とても七倍以上の兵力を前にしているとは思えない。


 これが戦場か。俺は城内に浸透する圧倒的なまでの戦意に震え上がった。城下で攻撃を続ける一向一揆からも言葉にならない喚声が上がっている。大河ドラマで見るような臨場感とは桁が違う。俺は震えを抑えるように、拳を強く握った。







「敵襲! 敵襲ゥー!!」


 味方の後方から、悲鳴にも似た喚声と共にそんな報せが響き渡る。黒瀬掃部允基弘がなんの冗談かと視線を向けると、無情にも正しいと信じざるを得ない光景が広がっていた。


(あの旗は朝倉か!?)


 三つ盛木瓜の家紋が旗めくのをただ呆然と見つめる。あまりの衝撃に無音になっていた基弘の周囲であったが、徐々にその姿が鮮明になるにつれ、現実に引き戻されていった。


「くっ、やられたわ!」


 基弘は歯噛みする。背後から迫る軍勢を避けるには、東にしか退路がない。手取川中流の山間部に追い詰めていた気になっていた基弘は、逆に追い詰められつつある現状を自覚する。


 前方の部隊を指揮する洲崎兵庫はその存在にまだ気付けずにいた。細く布陣せざるを得なかったために後方と距離が離れすぎているのだ。三万という大軍を率いることの難しさを基弘は嫌というほど感じた。


「後方から朝倉の軍勢が迫っておると兵庫殿に伝えよ!」

「はっ、承知いたしました!」


 配下の兵が馬を叩いて前方へと駆けていく。大量の汗が滲む自分の状態にすら気づけない基弘は、経験不足を痛感していた。


「掃部允様、如何いたしますか」

「退路を断たれた以上、手取川を渡河するしかあるまい!」


 焦りを露わにする基弘は、自ら槍を掲げながら手取川を渡り始めた。しかし基弘は手取川の急流に重い甲冑を携えた状態で踏み入れており、思うように進まない。一向一揆の軍勢にそのような甲冑を抱えた兵は少なかったため、そこまで気が回らなかった。


「前方に火の手が上がっておりますぞ!」


 配下の誰かが悲痛な様子で叫ぶが、視線を下に向けて足を一歩ずつ踏ん張りながら進めることにしか意識がいっておらず、なんの冗談かと二度目の問答に興じかけたが、足を止めてみた先には土手から勢いよく火の手が上がる様子が目に映った。


 これによって前方も塞がれた恰好になり、一向一揆は四面楚歌の状況に陥る。前方には火の手、東には手取川の上流、北には舟岡山、西からは朝倉軍と、もはや経験の浅い基弘では手に余る状況であった。


「皆の者、落ち着くのだ! 兵数は我らが有利であるぞ! まずは陸に上がり朝倉軍の対処にあたるのだ!」


 さすがは一向一揆というべきか、動揺は戦場にさほど広がっていなかったが、兵の三割がすでに川に浸かっている状況で、再び態勢を立て直すのは至難の技である。


 そしてその動揺に乗じて、舟岡山の軍勢が城から打って出て槍を振るう。水に浸かった事で身体が重くなる者もいる中で朝倉の軍勢も総攻撃を仕掛けており、こうなればもはや一向一揆に勝ち目はなかった。黒瀬掃部允基弘は弓矢の集中放火の餌食となり、大軍の中で静かにその命の灯火を消した。








「我らの勝ちだ! 勝鬨をあげよ!えいッ、えいッ、応ッッ!!」

「えいッ、えいッ、応ッッ!!」


 俺の宣言に将兵は地響きのような勝鬨が上がる。勝鬨には朝倉軍も加わり、しばらくの間続いた。


 手取川の対岸から火の手が上がった瞬間、俺は勝利を確信した。背後から朝倉軍が迫ってくれば、退路は河を渡って上流へと向かうしかない。それを見越し、川岸に油の染み込んだ廃材を置いておき、それに遠くから火矢を放ったのだ。当然ながら大炎上だ。いくら死を恐れない一向一揆とは言え、燃え盛る火の中に猛然と突っ込む事はありえない。炎とは人が根底では確かに恐れているものなのだ。どんな人間でも、一度火に飲み込まれれば生きては還れない。炎を直近で見た者は洗脳が解けたかもしれない。


 一向一揆勢は総崩れとなり、瞬く間に瓦解した。中陣にいた大将格の一人であった黒瀬掃部允基弘は弓矢による集中砲火で命を散らし、先陣で槍を振るっていたもう一人の大将格の洲崎兵庫景勝を討ち取ったのは、沓澤玄蕃助恒長であった。息子の彌四郎は戦いよりも文官寄りの人間であるが、玄蕃助は武骨な見た目に合わせるように槍働きが得意なようであった。名目上の大将である超勝寺実顕を討ち取ったのは朝倉勢の一兵卒だったという。


 俺は一度天守から下りてから主郭より城下の戦況を見つめていたが、最期の瞬間が目に焼き付いて離れない。兵が次々と死んでいく様を見るのは精神的に来るものがあったが、目を背けてはいけないと気丈に心を保ち、最後まで戦場を目に焼きつけた。これは俺が背負うべき業なのだ。戦いを用いて多大な犠牲を出しながら平穏な世を目指す自分への戒めだ。一向一揆も元は善良な市民だったのだろう。俺はその死を無駄にしてはいけない。日本中の人々を救うなど、詭弁である。ならば犠牲を糧にしてでも、自分の両手に収まる範囲で、やれる事を全てやらねばならぬのだ。これは俺の責務であり、叶えるべき未来である。拳を作った掌はいつの間にか赤く染まっていた。

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