・遊牧民のラトとツィー

 腫れた顔のままじゃ帰れないと、めんどくさいことを言うツィーにしばらく付き合った。

 ずいぶんと会っていなかったが、知らぬうちに女の子らしくなったもんだ。


「本当にホント……? 顔、まだ赤くない……?」

「大丈夫だって、もううっすらとしか残ってねぇよ」


「もっとちゃんと見てよ、バーニィ! 里のみんなに、腫れた顔なんて見せられないよ……」

「気丈に振る舞うより、素直に弱さを見せた方がいいんじゃねぇか?」


 見晴らしのいい丘地に腰掛けて、どこまでも続く草原を眺めていると、彼女には悪いが気持ちが軽くなった。

 別にここの出身じゃないんだが、やっと帰ってきたって感じがした。


「でも、ラトに見せられないよ……。ラトの前では、しっかり者のお姉ちゃんでいたいから、うち……」

「お前ら何歳になったんだ?」


「17……」

「じゃあ、ラトだって立派な大人だ。ほら、行くぞ。帰らねぇ方が心配させるだろ」


「でも……。本当に、赤いとこ薄くなってる……?」

「おう、カーチャンにそっくりの美人さんだ。行くぞ!」


 先に俺が馬にまたがって、彼女を背中に引っ張り上げた。

 それからツィーの誘導に従って馬を進めてゆけば、確かに山沿いの薄暗い窪地に、マグダ族の天幕がひしめいていた。


 ただ、記憶の中の風景よりもずいぶんと物寂しい。

 草は食い尽くされて荒れ放題で、羊も山羊も数を減らし、痩せ細っていた。


「ラトに会って……。あの子、落ち込んでるから……」

「おう、言われなくともわかってるよ」


「うち、みんなにバーニィが来たって伝えてくる。ラトに顔見られたくない……」

「わかった」


 正直、このまま見送るのも気がとがめた。

 そこでは力いっぱいツィーの背中を叩いてやると、落ち込んでいた顔が怒りに変わった。


「痛いっ! 女の子相手に何するの、バーニィッ!」

「おう、励ますつもりがちょいと加減間違えたわ。ま、ヘコんだ顔より怒った顔のがかわいいぜ」


「ぁ……っ、あっそ……。そういうのおっさんに言われても、嬉しくないから……」

「おっさんで悪かったな」


 多少の空元気が出たみたいなので小柄な背中を見送って、俺は族長一族の天幕に入った。

 すると薄暗いその内部に、ツィーと全く同じ長い亜麻色の髪を持った、双子の青年がいた。


 といってもマグダ族は小柄で若々しいので、少女と言われたら信じてしまいそうな可憐な姿をしている。


「よう、久しぶりだな、ラト」

「え……お客様ですか……?」


「なんだ、忘れちまったのか? 俺だよ、俺。自由になったんで顔を出すつもりが、葬式の参列になるとは思わなかったぜ……」

「ぁ……っ?!」


 きっと暗かったのもあるだろう。

 そこで俺はツィーそっくりのラトの顔に、おっさんフェイスを寄せた。


 覚えていてくれたみたいだ。

 再会の感動に瞳孔が大きく広がって、その瞳からさっき見たのと同じ涙が吹き出した。


「バーニィッ?! バーニィさんっっ!!」

「お、おとと……おう、俺だぜ。はは、ツィーよりも元気いいじゃねぇか」


 族長の息子、ツィーの双子の弟のラトを胸の中で抱き締めた。

 すると俺は、とあるどうでもいいことを思い出した。


 さっきツィーが尻を触ったと怒っていたが、それはラトと間違えてうっかり叩いちまったときのことだろう。

 親父のバドでさえ、こいつらは見分けがつかなかったくらいだ。俺にわかるわけがなかった。


 素直でかわいげのある方がラトで、すぐに怒る方がツィーだ。


「バーニィさん、実は、父さんが……。父さんが、あいつらに……っっ」

「その話は姉貴から聞いたぜ。うちのバカ騎士どもがとんでもねぇ迷惑をかけたな……」


 背中を叩いて慰めて、ラトのしたいようにしばらくさせた。


「でも……バーニィさん、どうしてここに……?」

「おう、騎士団を首になったんだわ」


「えっ……なんでっ!? そんなに強いのにどうしてっ!?」

「貴族の血が入っていない俺が気に入らないらしい。けど騎士は騎士だ、今の俺は自由騎士のバーニィだ」


「自由騎士、ですか……?」

「ま、準騎士の位だけ持った無職、って感じだけどな」


「そうなんですか……。自由騎士……なんだかそれ、カッコイイです……」

「おう、お前さんのそういう素直なところが好きだぜ」


 しかしなんか暑くなってきたな……。

 ラトはやさしく気弱な表情を持ったツィーなので、くっつかれてそんなに悪い気はしない。


 ただ、いつ離れてくれるのだろうかと、ガッチリと両腕を背中に回された自由騎士は、若干戸惑っていたと弁解しておこう……。


「会いたかった……。父が死んでから、ずっとバーニィさんのことばかり考えていました……。そしたら、バーニィさんが本当に助けに来てくれました! こんなの、夢みたいです!」

「そうか。しかし、ラトよ……これ、暑くはないか……?」


「平気です……。はぁ、バーニィさんに、会えてよかった……」


 ツィーにはあれだけ嫌われていたのに、こっちにはメチャクチャ慕われていた。

 ただ、男が男の胸に頬を擦り寄せるのは、深い葛藤を招くのでやめてくれ、ラト……。


 俺はお前のカーチャンに、惚れていた頃もあったんだからよ……?


「ラト、バーニィ……。これから父さんの遺言書開くから……一緒にきて……」

「へっ、俺も一緒なのか?」

「ま、待って、今出るから……」


 天幕のすぐ外からツィーの声が響くと、まるで乙女みたいにラトが飛び離れた。

 バド……お前さんの息子、久しぶりに会ったらなんか反応がどうも妙だぞ……。


「うん、バーニィも来てよ……。バーニィがいた方が、里のみんなもきっと、元気出るから……」

「ま、顔合わせにはちょうどいいか」


 俺たちはマグダ族の墓に向かい、里の連中と一緒に故人への祈りを済ませた。

 こんな戦乱の世だからって、遊牧民の長が不名誉な刑死だなんて、そんなのねぇよな……。


 気づけば俺としたことが、親友への祈りが長くなっていた。

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