第30話 弥生の失態
「ごちそうさま。このアマゴという魚は、とても美味だね」
昼に続いて夜も、ビニール袋で保管していたアマゴの串焼きを食した。真夏じゃなかったので痛んではおらず、安心した。少し多めに釣っておいたのが功を奏して、椿さんも満足するまで食べられたようだ。
「ムッツ―も、お腹いっぱいになったかな?」
「は、はい! とても美味しく頂きました!」
食事中、少し作戦会議を行った他は雑談タイムとなっており、そこで椿と睦美はそれなりに打ち解けたようだ。もしかしたら、先程まで殆ど口を開かなかった睦美とより多く話すように、椿が意図していたのかもしれない。
それに、どうやら椿は心理学の知識もあるようなので、仲よくなるためにメンタリズム的なことを仕掛けていた可能性もありそうだ。
「ふぁあ~、むにゃ、わたひ、今日はもう電池切れぇ~」
なんの前触れもなく、睦美がオフモードに切り替わる。半目で頭がフラフラしていた。
「え、日が暮れたばっかりだよ? 多分7時とか、そこらだと思うけど……」
「うぅ~、今日はたくさん歩き過ぎましたぁ~」
……まぁ確かに、今日はたくさんの丘を超えて来たから、疲れたのかもしれないけど。それにしても眠くなるのが早い。
「あれれ、なんだかムッツ―の眠気が移ってしまったようだね。私も眠ろうかな」
睦美ほどではないが、椿も急に眠そうな顔になる。
「「おやすみなさい」」
二人の声が完全に一致し、同じような動きで地面に横たわった。それはさながら双子のように見えた。
……と。寝たはずの椿が上半身を起こした。
「これでいいかな」
謎の発言をする椿。
「? 眠いんじゃないの?」
「いやいや、あれは演技だよ。ムッツ―の動きを真似していただけ」
さも当然のことかのように言ってのける。……なんの説明にもなってない。
海斗が不思議そうな顔をしていると、
「類似性の法則。自分と同じ様な人間に好感を持ちやすいという心理学における法則だよ。ムッツ―はなかなか心を開いてくれないタイプの人間だから、少しでも打ち解け合えるように、ね」
しれっと噓を演じている! 恐い!
「そんな怯えた目をしてくれるな。これは人に好かれるための努力とも言えるんだよ?」
「そう言われれば……そうか」
「まぁ、人の心情を合理的に操る行為とも言えるのだけれども」
「やっぱ恐い!」
知らないうちにマインドコントロールされるかもしれないのか……。
「……それで、弥生ピョンは睦美さんとなにかあったのかな?」
弥生がビクッと震える。
「その様子じゃ図星みたいだね。……さしずめ、『ムッツ―の裏切りを疑っていたのは弥生ピョンだった』ってところかな?」
……椿は全てお見通しらしい。恐らく、弥生の反応から洞察したんだろう。
「……その通りよ。悪い?」
弥生は俯きながら、やさぐれたように吐き捨てた。
「いやいや、さっきも言ったのだけれども、疑いの目を持つことは間違っていないよ。それだけ危機管理能力が高いということだからね」
「……そうよね。私は悪くないわ。私は海斗の役に立とうとしただけだし……」
それは椿にというより、自分に言い聞かせるような口調だった。
しかし、それを聞いた椿の表情がこわばる。
「やっぱり前言撤回だね。弥生ピョンは目を覚ました方がいい」
突然、真反対のことを主張し始めた椿。どういうことだ?
「な、なによ! あんた、言ってることがめちゃくちゃじゃない!」
「いや、どうやら私は全体像を見誤っていたらしい。弥生ピョンは今、『役立つこと』に固執しすぎているように見受けられる」
「それがどうしたって言うのよ」
依然として強気の弥生だが、椿は全く怯まない。
「その口ぶりだと、固執していることは認めるみたいだね。だけれども、弥生ピョンには役立っているという実感がない。……いや、逆だね。役に立っているという実感がないから役立つことに固執している。違うかな?」
「……」
核心を突かれ、言葉が出てこない。ただただ、顔をしかめるのみだ。
しかし椿は、そんな弥生にお構いなしで続ける。
「話していて分かったのだけれども、弥生ピョンはプライドが高い人間だ。だからこそ、人より活躍の場が少ないことに強い劣等感を抱いているだろうね。先ほどの作戦会議でも、弥生ピョンの役割が極端に少なかったから、そこで確信できたよ」
一度そこで言葉を区切り、海斗、睦美、弥生の順に見た。もう一度全員の様子を観察しているらしい。
「……見たところ、皆の所持品にはゲームに関連する道具がない。つまり戦闘だけでなく、生活においても、大きな役割を任せられてはいない、という可能性も高いね」
推理を展開していくにつれて、弥生の表情が更に曇っていく。
「となれば、さっきのように『情報』という形での貢献となるのだろうけれども、弥生ピョンは『マップが最優先』と言いながらも、マップを購入していなかったね。つまり裏を返せば、それまで【攻略情報】を購入していなかったことになる」
「……私を責めてるの?」
震える声で、弥生が声を洩らす。
「いいや、責めているわけではないよ。ただ私は、きちんと現実に向き合ってほしいんだ」
「分かってるわよ! 私がどうせ役立たずだってことくらい!」
弥生が目を見開いて、鋭い声で叫んだ。しかしその声は、哀しさを孕んでいた。
「……認知的不協和」
「な、なによ」
「弥生ピョンは今、心理学でいうところの『認知的不協和』に陥っている。認知的不協和というのは、二つの不整合な認知が心を不安定にしている状態のこと。今の弥生ピョンの中には『役に立ちたい』という願望と、『役に立っていない』という現実の、二つの相反する認知が存在していて、それが冷静な判断を阻害しているんだ」
「私は冷静よ! だから……役立たずだって、自分で言ってるんじゃない……」
弥生は歯を食いしばり、拳を強く握りしめた。
「違う。人間は認知的不協和に陥った時、どちらかの認知を否定しようとするんだ。そして弥生ピョンは『役に立っていない』という現実を曲解しようとしたんだよ」
「だから何度も言ってるでしょ! 私は役立たずなの!」
弥生の目には大粒の涙が浮かんでいた。
「いいから、落ち着いて聞いて。……単刀直入に言うけど、弥生ピョンは自分のためにムッツ―を裏切り者だと思い込んだんだ」
「……っ」
弥生が一瞬、息を飲む。
「弥生ピョンは『自分が裏切り者を見破って仲間を助けた』という功績が欲しかったから、ムッツ―を敵だということにしたんだ」
「違う! そんなことない!」
「認知的不協和に陥っていることを認めることができないと、これからも誤った判断をしてしまうかもしれない。辛いのは分かるけれども──」
「違う違う違う違う違う違う!」
弥生の声は、ヒステリックなものになっていた。それを認めることは、自分が醜い人間であることを認めるのと、同義なのだ。
「弥生ピョンは『ポイントがゼロになった』『ムッツ―のリュックサックに大量の原稿用紙が入っていた』という二つだけで、ムッツ―を犯人扱いしたんだ。充分な証拠もないのに疑ったのならば、それは弥生ピョンの希望的観測に他ならないよ」
「……はっ…………はっ……」
弥生の呼吸が浅くなる。それはどこか、弥生が魚を目の前にした時と同じ様な反応にも思えた。
「違うの……私はあいつらとは違うの……私は……仲間を見捨てたりはしないの……」
弥生は見えないなにかから逃げるように、一歩、また一歩と後ずさりをする。
「──っ!」
弥生は身を翻して、岩の外へと逃げ出した。
「あっ、弥生! 外は危ないぞ!」
海斗は咄嗟に引き留めようとしたが、弥生は夜の闇に消えていった。
「多分大丈夫だと思うよ。弥生ピョンは賢いから、危険な夜道を遠くまで行くようなことはないはず」
そう、なのか? でも、椿さんが言うのなら、そんな気もする。
「……サバイバルをする上で、冷静な判断をすることはとても大切だからね。少し厳しいのだけれども、きちんと言っておいた方がいいと思ったんだ」
そう言って、椿は肩をすくめた。弥生のことを思って忠告していたのだ。
「なんか、ごめんな。俺もなにか言うべきだったのかな」
「いやいや、君はコミュニケーション能力がそこまで高くないようだし、心理学を嗜んでいる私が言った方がいいよ」
「そ、そっか」
なんかディスられたけど、否定できないので苦笑いで流しておく。
「でも弥生、大丈夫かな。すごい勢いで飛び出していったけど」
「うーん、敢えて強く言ったから、傷つけてしまったかもしれないね。ただ、認知的不協和は、言わば『心の防衛反応』みたいなもので、人間なら誰しも起こりうること。都合のいい解釈をすることで、自分の精神を保とうとする自然な反応だから、自分だけが酷い人間なんだとか、そこまで落ち込む必要もないと、私は思うね」
やっぱり少し言い過ぎたかな、と付け加えた。
「……まぁ、そういうことで、海斗クンに弥生ピョンを励ましてきてもらいたい」
「え、俺が? そういうのは椿さんの方がいいんじゃ……?」
ちょうどコミュニケーション能力をディスられたばっかなんですが。
「いやいや、海斗クンが励ましてくれた方が、弥生ピョンは喜ぶからに決まっているよ」
「? なんで?」
わけが分からん。俺はカウンセリング的な能力が皆無の自信がある。
「……海斗クンは本当に人の心が微塵も読めないんだね」
呆れた顔をされる。人の心が読めて当然みたいなノリで言われても。
「私が傍から見ているだけでも気付くのに……当の本人に自覚はない、か」
「どういうこと?」
海斗は必死に理解しようとするが、当然の如く察することができない。
「それを私の口から言うのは野暮というものだよ。……ただ、これからは弥生ピョンの一挙手一投足をじっくりと観察してみるといいかもしれない」
「と言いますと?」
海斗が具体例を求めると、そんな返しが来るとは思っていなかったのか、椿が面食らう。
「え、いや、まぁ、『熱っぽい視線を感じないか』とか……?」
「それは……弥生が風邪をひいているかを見極めろと?」
「う、嘘だ。私は今、結構大胆なヒントを提示したつもりだったのだけれども!?」
流石にここまで鈍感だとは思わなかったのか、冷静な椿も少し声のボリュームが大きくなった。
「???」
海斗は疑問符にまみれている。
「……もういいから、早く弥生を励まして来たらどうだい?」
椿はさじを投げた。
「う、うん。行ってくる……?」
海斗は護身用の竿を持って、岩の外へと足を踏み出した。
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