最高の冒険者を目指す愛され少年の成り上がり

白銀

第1話旅立ち

「それではいってきます。アメリア先生」


 村はずれの小さな孤児院。それほど大きくはない建物の前に集まった子供たちと美しい女性の前で、まだ年齢幾許も無い少年、ルクスが深く頭を下げていた。

 目鼻立ちはくっきりとしており、どんぐりのように円い目は大きく、瞳は透き通るようなエメラルドグリーンとも浅葱色ともいえる。薄いがふっくらとした桜色の唇と、小さな愛らしい鼻が奇跡的なバランスで配置されたその相貌は、そこらの美術家が見れば泣いて頭を垂れるような見事な造形である。髪は美しい金髪だが、ブロンドと言うよりも金糸雀色。平民らしく雑に短く揃えられてはいるが、ふんわりとした癖のない髪は女性が見れば思わず羨んでしまうような輝きを放っている。

 一見すると少年とも少女ともとれる容姿であるが、彼はれっきとした男の子である。


「――どうか、元気で。あなたのこれからに神の導きがありますように」


 堪えきれず大きな雫を目端から流した女性はアメリア。今も肩を震わせながら少年の頭を胸に抱き、優しく背中を撫でている様は優しげで、彼女の子供たちに対する深い愛情がにじみ出ている。

 ルクスがこの孤児院に引き取られてから十二年。引き取られたというより、置き去りにされていたという方が正しくはあるが、まだ目もまともに見えていない時分からずっとこの孤児院で育ってきた。

 今日はそんな少年の旅立ちの日だ。

 優しいアメリア先生に抱かれたルクスは、つい先程まで固く誓っていた涙を流すまいという決意も忘れ、溢れる涙で頬を濡らしている。

 この孤児院はその規模の小ささもあり、保護されている児童の数は多くない。善良な村人たちの厚意によってよって飢える心配はないものの、数年に一人か二人ほど新たに引き取られてくる子供たちを養うため、十二歳という世間的にはまだまだ子供ではあるが、年長者となった者は孤児院を去らなければならないのだ。

 特にこの数年は引き取られてくる子供が多かった。ルクスがこの孤児院に来た時にはわずか四人しか他の子供はいなかったのだが、その二年後には三人。それから毎年のように一人、二人と新たに増えていき、現在では十四人の子供たちがこの孤児院で生活している。いくら飢えないとはいえ、子供たち全員を成人まで育てるには何もかもが足りていないのだ。


 ルクスの周りに集まった子供たちは、それぞれ色々な言葉を投げかけてはいるが、皆一様に涙を流し、別れを惜しんでいた。

 通常、孤児院を出ていくというのは里親に引き取られることが専らである。ルクスのように一人で旅立つというのは珍しいを通り越してほぼ無いに等しい。例えば商人の丁稚として、貴族家の使用人の子供として、子供に恵まれぬ夫婦と共に。その為の最低限の教育は行われているので、その時々によって相手は違うが、保護者として認められたものに引き取られていくのが当たり前なのだ。

 しかし、ほぼ無いとは言え、ルクスのような子供もいないわけではない。目的はそれぞれだが、就く職業はみな同じ。冒険者だ。


 十二歳という年齢で就くには無謀な職業であるが、その道を選ぶことが何を意味するか理解していない者はいないだろう。誰もが自分の腕と体と命で以て生きていく。才能と努力と運の全てを持ち合わせていてなお篩にかけられる残酷な場所。どんなに危険で、例え命を散らせたとしても自己責任の容赦無い世界。もちろん相応の夢を掴む可能性もあるが、それができるのは全体から見ればほんの数%の限られた者のみ。ルクスもそれは十分に理解し、覚悟したうえでそれを選び取ったのだが、周囲の人間はそう簡単に覚悟など決められるわけもなく。わんわんと泣き抱き合う塊が生まれたというわけである。

 その中心にいるルクスが思い浮かべているのはこれまでのたくさんの思い出たち。

 

――どうして僕は捨てられてしまったのだろう。


 幾度となく考えたがとうとう答えの出なかった疑問。内心『今更だなぁ』とは思いつつも、結局は今周りにいる皆が唯一の家族だと心から思えるようになった辺りからはしばらく考えていなかったものだ。

 ルクスは両親のことを何も知らない。何の情報もなく、ただ『ルクス』と名前が縫い付けられた布で包まれ、この孤児院の前に置き去りにされていたのだから仕様がない。

 成長していく中で目にする村の“普通の家族”というやつが、どうにも羨ましく感じることもあったようだが、普通じゃないから不幸だなどと捻くれることもなく真っ直ぐ育ってきた。そうでもなければ今日のこの涙もなかったはずである。


 涙を止めることはできていないが、なんとか笑みを浮かべアメリアはルクスの肩をそっと押して体を離す。名残惜しそうにルクスの頭を撫で、一度目を瞑ってから口を開いた。


「――別れを惜しむのはここまでにしましょう。これが今生の別れではないのですから、みんなでルクス君の背中を押してあげましょうね」


 一人、また一人とルクスから離れ、アメリアの傍に集まっていく。

 ここから先、歩み始めれば止まることは許されない。少しでも緩んだり、妥協を許してしまえば簡単に命を失うのだ。

 寂しさも不安も、期待も夢も全てを一先ず飲み込んで、袖を使ってぐっと目元を拭ったルクスは、今できる最高の笑顔を浮かべ、目の前の家族に頭を下げた。


「僕は必ず夢を叶えてここにまた帰ってきます!アメリア先生……いえ、母さんとここにいる大切な家族が自慢できるような立派な男になってみせます!だからどうか元気で!きっと、いつまで、も……元気で、いて、ね……!」


 最後の方は声が震えてしまっていたが、なんとか涙を零さずに頭を上げ、もう一度笑って振り返った。

 孤児院を出て真っ直ぐ村の出口へと向かう。背後から家族の応援する声が聞こえているはずだが、ルクスが振り向いてそれに応えることはなかった。

 村の外れから伸びる街道は手入れがされているわけでもなく、大小さまざまな石が転がっている。足裏にその感触を感じながら、ルクスは一歩一歩しっかりと踏みしめ、歩みを止めずに育った村を旅立ったのであった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 厳しい冬が終わり春を迎え、足元を擽る草花も固く踏み均された地面に負けじと顔を出している。

 そんな街道を歩くルクスは目的地である『迷宮都市メイザニア』に向けて快調に進んでいた。


「朝晩はまだ冷えるけど、だいぶ春らしくなってきたなぁ」


 草原をまっすぐ抜ける街道の向こうには、青々とした木々が鬱蒼と茂る森が見える。この森を抜けた先にあるのが目的地である迷宮都市だ。

 ルクスの目指している『迷宮都市メイザニア』とは、都市内にダンジョンと呼ばれる遺跡があり、そこに隠された財宝秘宝を目当てに集まった冒険者たちを抱える大規模な都市だ。もちろん都市に所属しているのは冒険者だけではなく、その冒険者達が所属するギルドにはじまり、数多集まった冒険者相手に商売をする商人やそのギルド、鍛冶師や魔道具師や薬師など、とにかくこの大陸に於いて最も技術や人材が集まる場所である。

 日夜大勢の冒険者たちがダンジョンに挑み、成り上がるもの、実力及ばず夢半ばに屍を晒すもの、悲喜交々入り交じり、一瞬の夢の輝きに命を賭ける者達ばかりが面白可笑しく暮らしている。


 とは言え、ルクスは育った村から出た事は無く、メイザニアについては人伝に聞いた話以外の情報は持ち合わせていなかった。

 ルクスがまだ幼かった頃、村にあった小さな酒場で冒険者たちが楽しく騒がしく話す冒険譚を聞いて強く憧れたのだ。

 初めのうちは体も大きく、粗野に見える冒険者たちを怖がっていたものだが、村の畑を荒らす魔物を軽々と蹴散らす強い冒険者の男たちを見た純朴な少年が、その背中に憧れるのも無理はないだろう。


「バンさんやゲイルさんのパーティーもメイザニアにいるのかな」


 日の出からそれなりに時間も経ち、気温も上がってきたことで気が抜けたのか、ルクスはのほほんとした顔で一人呟いた。


 冒険者とは憧れたからといってそう簡単になれる程甘い職業ではない。

 いや、なるだけであれば門の広い職業ではあるが、成功を掴むために最低限の能力というのが必要なのだ。


『なんだ坊主!お前冒険者になりてぇのか!』


 師である四人の冒険者達の顔を思い浮かべ、ルクスの顔には自然と笑みが浮かぶ。


 強くて豪快な冒険者に憧れ、どうしてもその道に進みたかったルクスは、まず真っ先に育ての親であるアメリアに相談した。その時に教えられた厳しい現実に頭を抱えたものだが、一度夢見た少年はその程度で簡単に諦められるほど、お利口ではなかった。

 幸いなことにルクスの暮らす村は辺境からメイザニアに向かう道中にある宿場だった。

 自分一人の力では憧れた冒険者になるのは難しいと考えたルクスは、すぐに村に寄った冒険者たちに師事できないかと頼み込んだのだ。もちろん小さな子供の言うわがままに耳を貸すようなお人好しは少ない。真剣に話を聞いて検討してくれるような冒険者ですら一握りで、ほとんどは無視されていた。当然ではあるのだが。


 そんな中、ルクスがバンと呼ぶ冒険者だけは違った。

 まだ十歳になるかならないか程の子供が、その小さな体を更に小さくして必死に「弟子にしてください!」と頭を下げるのを見て、一瞬呆けてはいたものの、その大きな体を揺らして笑ったあと、『俺は優しく教えてやれねぇが、それでもいいなら一端の冒険者にしてやらぁ!』と弟子入りを快諾したのだ。

 まあ、その後彼のパーティーメンバーにルクスの弟子入りについて話に行った時には、『メンバーに相談もなく勝手に決めるな!』と、一瞬でバンが袋叩きにされ、それを見たルクスが暫くバン以外には怯えて近づけなかったという一幕もあったのだが、それはまた別の話。

 結局メイザニア行きを一度取りやめたバン達パーティーは、メンバー全員でルクスに色々な知識を教え込むことになった。

 パーティーの盾役であるゲイルからは、戦闘における盾持ちのメリットとデメリット。体の作り方や、絶対に仲間を守るんだという堅固な意志を。

 強力な魔法を操るレイナからは、戦いの中で常に冷静であることの重要性と、何事にも頭を使いしっかりと考える思考を。

 回復魔法や支援魔法でパーティーを支えるミシャからは、支援職という一見地味で目立たない職でも、それがパーティーに齎す大きな力の重要性と、どんな小さなことでも忘れず労わる優しさを。

 そしてバンからは豪快な剣捌きと、例え死の間際になっても絶対に諦めない強い心を。

 そのどれもがルクスにとっては憧れの冒険者像そのもので、厳しい修行であったのは間違いないが、駆け抜けるように過ぎ去った毎日はただただ楽しいものだった。


 すでに草原は抜け、森に差し掛かった頃には太陽も中天に浮かび、街道を挟むように生える木々から漏れる木漏れ日は明るく地面を照らしている。

 メイザニアに向かう馬車や行商人等、ちらほらと人を見かけるようになってきた街道の途中で休憩を挟みながら進んでいく。

 村から旅立って今日で七日。道中幾度か野営も経験し、昨日寄った村の宿屋で聞いた話ではあともう数刻歩けば目的地に辿り着けるようだ。

 本来徒歩で七日も掛けてメイザニアに向かうのは珍しいのだが、ルクスにはそれ程資金はなく、乗合馬車を利用することができずに結局最後まで徒歩でここまで来た。本人は野営の経験も積めるし、魔物との戦闘経験も積めるしと良いことづくめなんて思っていたりするのだが、普通は危険だし、夜間満足に休むこともできないし、デメリットばかりでやろうとするのはそれこそ腕に覚えのある冒険者くらいのものなのだ。それもしっかりとパーティーを組んでいる者達に限られる。


「楽しみだなぁ!」


 そう言って満面の笑みをこぼすルクス。彼にとって生まれて初めての旅はどうやら良いものとなったようだ。

 内心のワクワクを抑えられないのか、一歩踏み出すたびに歩幅は大きくなり、速度も上がっている。森の出口が小さく見えるようになった頃には既に駆け足になっており、背負った背嚢が騒がしく音を立てるのも気にならない程に夢中なのか、ひたすらに足を前へと動かしている。

 腰に下げたショートソードの柄を握りしめ、左腕に括られている鈍色のバックラーを腕と共に前後に振りつづける。どちらもルクスにとっては大切なものだ。ショートソードは師匠であるバン達パーティーからの餞別として、バックラーは旅立ちの前日に孤児院の大切な家族から贈られた。


「絶対に最高の冒険者になるぞっ!」


 そう声に出して自身の夢を再確認し、ルクスは街道を駆け抜けていく。

 周りにちらほらといた通行人達はその声を聞いてギョッとしていたが、ルクスの笑顔と体全体から放たれている幸せオーラに当てられたのか、皆その頬を緩ませて微笑ましく見送るのだった。


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