第14話  超おせっかいな神様2

砂利を敷き詰めた地面の裏庭で、私は麒麟の瓶ビールと採れたばかりのアスパラガスをベーコンに巻いてお皿に盛り付けてランチにするところだった。このお年寄りしかいない限界集落で、めずらしくバイクのエンジン音が聞こえてきた。鬱蒼と茂る針葉樹林の向こう側から、爆発音を混ぜたような頼りない響きのエンジン音の正体は恐らくベスパによるものだ。私はこのところのささやかな生活のゆとりが取り壊されそうな気がして、自然と身を隠し、居ない振りを決め込んだ。バイクは玄関付近で停車して、呼び鈴が鳴らされたが、私は無視を決めこみ、ホカホカのホワイトアスパラベーコンに齧りついた。ベーコンは薄切りで燻した煙の残り香が強烈に漂っていて、食欲を増進させてくれた。大量に採れたばかりのホワイトアスパラガスにクルリと巻いて、爪楊枝を刺して食べる。肉自体の持つ脂肪の甘みと肉の塩味、アスパラガスのほのかな辛味がマッチしていて絶妙に美味い。アスパラガスの中の汁が果汁のように口内で弾けて味も凄く濃厚だ。最初はろくに芽も出なかったが、本やネットで調べて、貧相ながらもちゃんとしたグリーンアスパラが畑からにょっきりと伸びてきたときには本当に感動した。アスパラガスの栽培に慣れてきたときに、アスパラの芽が地面から頭の先だけを出したところに縦長の封筒のようなものを被せて陽の光を遮り、ホワイトアスパラのまで育てるようになったのだが、これが限界集落の農産物直売所でのウケが非常に良く、売れに売れたので私は気を良くして、今では畑全体の四分の一程をホワイトアスパラガスの生産に充てている。『なんだよ、カミさんいるんじゃねえか』癪に障るほど甲高い声が庭にこだまし、私の食事の楽しみを一瞬にして奪い取られた。『うかつにカミさんなんて大声出すんじゃないよ。近所に知られたらどうするんだバカヤロー』私は眼前に立つ甲高い声の主の青年に嫌味を言った。ドレッドヘアーで、ずば抜けて身長が高く、痩せている上に肩幅が狭く、顔の輪郭が細長く、人生で一度も陽に当たったことなどないような生白い肌の色をしている青年を見ると、思わず目の前にあるホワイトアスパラガスを連想してしまう。私は思わず苦笑してしまった。青年は不思議そうに、ひょろ長い両腕を組んで、私のことを覗き込んだ。『何がおかしいのさ?』と問われ、お前の容姿が食べているアスパラガスにそっくりだなんて言うわけにもいかず、『なんでもない』とはぐらかすように返答した。青年の名は山本太郎(仮名)神様試験に七回落ちている神様浪人中の神様見習いである。『此処ってさあ、人生の楽園とか、ポツンと一軒家に出てきそうな程ど田舎だよなあ。ナビ無かったらゼッテー来れないし、軽自動車でも嫌がるくらいの狭い県道に両脇からでっけえ樹の枝葉が覆いかぶさってて、この先に人がいるんか?っていつも思うんよ。まあ居ても仙人だろうなって思ってたら元神様だし』山本太郎(仮名)は気だるそうに冗談とも本気ともつかぬ嫌味を言ってきたが、私は黙ってアスパラベーコンを口に運んでいた。山本太郎(仮名)は、猫背のまま私を覗き込み、眼前で手を交互に開けたり閉じたりしてグーパーを繰り返した。『カミさん、オレのこと見えてる?』長身痩躯な山本太郎(仮名)は面長の顔に硬い表情を浮かべて、私に顔を近づけてきた。『なんのようだ?金の無心か?金は無いぞ』私は山本太郎(仮名)にそう尋ねたら、彼は大きく口を開けて、瞬きを何度も繰り返し、呆れた表情を浮かべた『あー、ヒデー、ヒデー、神様がそんな嫌味なこと言ってもいいのかよ?オレは傷ついた。もう立ち直れねーかんな』山本太郎は庭全体に響くほどに癪に障る甲高い声で喋り続けた。私は冷めたアスパラベーコンを前に、身じろぎ一つせずに黙って虚空を見つめていた。『助けて欲しい人がいるんだよ』山本太郎(仮名)が、ようやく自分の方から本題に入ってきた。私は深々と大きなため息をついた。『いいか、今の私に出来ることは何一つないぞ。私は神を辞めて、この土地で農作業を営み、下界の人たちともあまり関わらずに静かに暮らしているんだからな』山本太郎(仮名)は呆気にとられそうになり、やや腰が引けたあとにしかめっ面を浮かべた。『そんなことは先刻承知だって、自分の方じゃ何もチカラになれそうにないからアンタに頼みに来たんだ』神様試験に受かるには、一年で百名以上の人間を絶望感から救わなければならない。かなり難易度高めの与えられた試練なのだが、この青年は頻繁に私のところに助けを求めてやってくる。其れこそが七回浪人している要因だということにも全く気づいてもいない。私はうまく話を切り出せない山本太郎(仮名)を放ったらかし、再び冷めたアスパラベーコンを無言で頬張り始めた。『麻衣ちゃんは苦学生で、両親が学費を払うお金が無いせいで、奨学金制度で大学出たらしいんだけどさ、新宿の旅行会社に派遣社員で勤めてるんだけどさ…旅行代理店の給料って恐ろしく安くてさ、東京郊外に一人暮らししている麻衣ちゃんの給料じゃあ家賃やら光熱費やら携帯代やら食費やら日用品を引くと手元に四万円くらいしか残らなくて、そんなかから奨学金の返済が三万円もあるんだよ。いい若い娘が、一ヶ月一万円のギリギリの生活なんて耐えられないだろチキショー!最悪、夜の仕事も考えているみたいだけど、会社にバレたらクビになるからリスクでけーしさ』山本太郎(仮名)は目に涙を浮かべて、オレじゃ無理なんだよ、オレのチカラじゃ麻衣ちゃんを救えないんだよという呟きを繰り返した。『オレは、オレは、何度も何度も何度もギリギリの生活にされて息抜きも出来ず塞ぎ込んでる麻衣ちゃんをいい加減立ち直らせてーのよ。今どきの若い娘が、マックに行ってもハンバーガー一つ買うのに考慮してる姿なんて可哀想すぎるじゃねーか』山本太郎(仮名)は悲鳴にも近い甲高い声で捲し立てるように言ったが、やはり他の神々が言う通りコイツはろくでもない。自分自身が救える人間も救えないから、こうして他人を頼る。まさに自分勝手極まりない。『バカを言え』私は軽く笑った。『そんなことで人に頼ってばかりの浪人生になるんだろうよ。いつになったら神様見習いから抜け出せるんだ?こっちはこっちで、食うのだって正直カツカツだし、天候にも左右されるし、現に貯金を切り崩すときだってあるくらいゆとりも余裕もないんだぞ』山本太郎(仮名)は納得のいかない表情を浮かべて返答の言葉を飲み込んだまま、束の間うつむいていた。私は再び大きくため息をついた。『今回限りだからな』山本太郎(仮名)は呆気にとられた表情で私を見つめた。『お前のために動くのは今回限りだ。次はない』私は視線を交える痩せたホワイトアスパラガスのような青年にピシャリと言い放つと、そのまま踵を返し奥の部屋から神様時代に愛用していたスーツを取り出した。『新宿まで案内しろ』納屋に置いてあるボロの軽トラックを引っ張り出し、山本太郎(仮名)を助手席に乗せた。実に二度目の出戻りではあるが、私は今回の件を解決させると再び夢の隠遁生活に戻るつもりなので、それほど悲壮感は無かったが、今回の依頼も中々根が深そうで、気詰まりな思いがした。寺島麻衣子の勤める旅行代理店『ジャパントラベルサービス JTS』は旅行代理店でも大手に関わらず、リーマンショックや世界的に流行した新型コロナウイルス感染症の影響により業績は激しく落ち込み、正社員登用を減らし、ほとんどを派遣の契約社員で補っている。なんとも世知辛くキツイ現状なのだが、麻衣子は憧れていた旅行代理店に勤めれるだけマシに思えているみたいで、生活費はもちろん青色吐息ではあるが、職場ではそういう顔を一切見せなかった。ただ自分でおにぎりをこしらえて持って行ったときに『寺島さんて、何でそんなに節約してまでお金貯めているの?』と言われたときはかなりのショックだったらしい。事実、彼女の貯金など一万円にも満たないのだ。神様に出来る能力としては、金品を個人に与えたりは出来ないが、夢やヤル気の能力を開花させて、その人の持つ何十倍もの充実感を与えることが出来る。ただしそれは本人の意思に反映することで、成り立つのであって、当然、野球なんて興味のない人をプロ野球選手にすることは神様でも不可能なのである。であるため、元来旅行が好きで、旅行代理店に勤める麻衣子は、金銭的には貧しくても心は充実しているともいえる。しかしながら、会社の飲み会などに一度でも参加してしまうと、食パンの耳だけで食べて過ごすような悲惨な生活が待っている。私は姿を消して一時彼女の生活の様子を覗き見た。会社では同僚は麻衣子以外は全員が親元から通っているようで、麻衣子のような安月給であっても、飲み会等に参加できるゆとりは十分にあった。たまに参加する会社の飲み会の二次会のカラオケでは、皆が皆、麻衣子の歌声を聴いて全身が総毛立ち、五感という五感が圧倒されて、打ちのめされ、涙まで浮かべる同期の女性もいた。以来、麻衣子は飲み会に行くと必ずカラオケに誘われるのだが、金銭的な余裕がないため、やんわり断っていた。麻衣子の部屋にはおおよそ今どきの若い娘に似つかわないミニマリストのような最低限必要な家具家電以外は無駄なものを排除した殺風景な部屋に、唯一の趣味であるMartin D-28スタンダードのアコースティックギターが飾られていた。ビートルズやボブ・ディラン、ニール・ヤングも愛用する定番モデルで、価格は決して安くはない。よほど無理をして買ったのであろう。彼女は仕事が終わると自分で作ったコード譜帳を広げてギターを奏でて弾き語りを始める。もちろん近所迷惑にならないように、ギターの音色も歌声も抑えている。彼女にとっては息抜きに等しい趣味の一環であるかも知れないが、正直言って人からもお金を貰ったとしてもおかしくないレベルであった。小学校の卒業文集には、将来の夢は『歌手』と書かれていた。私は彼女の魂の奥底に眠る夢を再認識させるために、活力エネルギーを注入することに決めた。まず私は麻衣子に対して、監獄のような何も無い部屋に閉じ込められている状態を想像させた。痛い目に遭うわけでもなく、労働を強いられるわけでもない。ただ何も無い一人で時間を過ごすだけの独居房のような空間である。おおよそほとんどの人は退屈すぎてノイローゼのような状態になるであろう。働かなくていいから独居房でもかまわないという人は極小だと思われる。その部屋で麻衣子はひたすら歌を歌っていた。喉がカラカラにかれるほどに歌い続けていた。そこらじゅうにある空気の分子がビリビリと震え始め、圧倒的な声量と声色と高音ヴォイスにその響き、そのリズム感が部屋の空気そのものを変えてゆく。部屋全体を覆い尽くす彼女の歌声は、壁にヒビを入れ、やがて部屋全体がガラガラと崩れ始めた。透き通るような歌唱力に、恥ずかしながら神様の私でさえも圧倒されてしまった。鳥肌が立ち暫し呆然とする羽目になった。そして目覚めた麻衣子は一つの決心をした。彼女は思い切って、休日も出勤させられる旅行代理店を退職することに決めた。都内に住む姉夫妻になけなしのお金を借りてアパートを借りるお金がないから、バイトをしながら友達の家を転々とする日々。パチンコ屋やコンビニ、さらにはアイスの仕分け工場で肉体労働を続け、稼いだ金は自身のライブハウスの運営費に消えていく。努力が実り彼女のライブ動員数が増えると、今度はバイトのシフトに入れずどんどんクビに。踏んだり蹴ったりの生活を送っていたようだ。だが、地道に路上ライブやらライブハウスの活動を繰り返すうちにファン層は次第に増えてきた。失うものが何も無い彼女は積極的に音楽活動に取り組んだ。 もはや私のチカラは必要ないようで、私は再び限界集落に戻り隠遁生活を送ることに決めた。数年後、いまだに神様見習いの山本太郎(仮名)が私の家に、ワインを手土産にやって来た。程よく冷えた白ワインを注がれたグラスが目の前に置かれ、山本太郎(仮名)は少しの間、ワインの香りを確かめたり、グラスを傾けたりしていた。『通ぶるなよ、どうせ安物のワインだろう?』私は真顔で皮肉を言った。『あー、ヒッデー、ヒッデー、カミさん俺の手土産を完全にディスってるじゃん』山本太郎(仮名)はおどけた態度で嘆いた。相変わらず甲高い声が静けさの残る田舎暮らしの長閑な風景にこだまする。『けどさあ、カミさん、本当にありがとう』ホカホカのアスパラベーコンを前にして、山本太郎(仮名)は私に頭を下げてきた。『何が?』私はあえてとぼけた。『またまた〜分かっているくせにさあ、寺島麻衣子さんのことだよ〜今や日本で、いや世界的に有名な女性シンガー この間も四大ドームツアー全て完売で、もう押しも押されぬスーパースター』山本太郎(仮名)は嬉しそうにアスパラベーコンを頬張りながら語っていた。『いいから、お前は早く神様になりなさい。一体何回試験を受けたら気がすむんだ』私は頂いた白ワインをぐいと飲み干して、手酌で残りのワインを注いだ。山本太郎(仮名)は口を尖らせて拗ねた表情を浮かべた。『ところでさあ、なんで俺が来る時っていつもホワイトアスパラベーコンなの?』山本太郎(仮名)の問いかけに思わず私は腹を抱えて笑った。山本太郎(仮名)は不思議そうな表情で白ワインを飲みながら私を覗き見た。テーブルに置いていた古いラジカセのラジオからは、寺島麻衣子の新曲が鳴り始めていた。

        完

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