第12話 Wilson女

その女は身長190センチ以上はあった。しかもヒールを履いていないテニスシューズである。背中にはWilsonのラケットを背負っていたので、私はWilson女と呼ぶことにした。Wilson女は、日焼けしてはいるが、茶髪のセミロングで、綺麗な顔立ちをしていた。常にマスクを着用していたので、口元まではわからないが、口裂け女でも無い限り、まずまずの顔に間違いはない。瞳はとても大きくて、鼻梁も高くて、身体はスラリとしていて服の上からでも均等がとれているのがわかる。化粧は薄くて、三十代前半か、二十代後半といったところか… 当初はWilson女のあまりの背の高さに驚いたものだが、今はすっかりと見慣れて、私の中では木立を行き来する小鳥のような存在にまで落ち着いた。彼女の履いている底の薄いアディダスのテニスシューズは、いつも赤土で薄汚れていた。この辺りにクレーコートでもあるのだろうか?退勤後にテニスを嗜んでの帰り道なのだろうか?しかし実に惜しいと思うのは、この身長にして何故にテニスなのだろう?バスケやバレーボールの方が活かせたし、きっとスカウトもあったと思われるが、テニスは上背があってもサービスくらいしか利点が思いつかない。余計なお世話かも知れないがもったいないとしか言いようがない。Wilson女はいつも女性専用車両に乗り込む。私はバレないように隣の車両に潜り込み、Wilson女の様子を扉越しに伺う。彼女は私の最寄り駅よりも更に先で降りるようで、私はホームからこっそりと女性専用車両に居座る彼女の様子を眺めて改札に向かう。私は大柄な女性に惹かれていた。何故ならば私の母は小柄で強烈な個性を持ち歩いている女であり、私が幼少の頃より恐ろしく毒のある言葉を平然と言い放ち、私のことを罵倒し続け、英才教育を徹底しようとしたからに他ならない。その頃より私は背の低い女に対して、そういった物差しでしか計れなくなっていて、小さい女性に言いようのない腹立ちと悪印象を抱いていたのだった。私はそんな母の遺伝子を受け継いだのか、男性にしてはあまり身長は高くなく小柄であり、だからこそWilson女に尊敬の念を抱いていたのだ。私はWilson女と共にテニスをしたあと、お互いに抱き合い、Wilson女の豊満な肉体にむしゃぶりつき顎も唇も歯も使い、まるで桃の果実を味わうかのように全身をすすることを夢想した。ヒリヒリするような期待が湧き上がり、私の身体は満たされる喜びでいっぱいで、いつの間にかWilson女のこと以外は何も考えられなくなり、荒い息を彼女の首筋に吹きかけ、そそり立つ乳房を揉みしごく強烈な快感に溺れて、完全な寝不足に陥っていた。私はWilson女の乳房を乱暴に掴んだり噛みつくように乳首にむしゃぶりつくさまを想像し、クッションを抱きしめて床の上で転げ回った。私の中から這い出た精液の生暖かな感触に、まるで身体の奥底で炎が揺らいでいるような興奮を感じ取っていた。しかしながら私は自分の身長とWilson女の身長の釣り合いのなさに密かに落胆し、コンプレックスを抱いていた。Wilson女が自分に好感を抱くという期待が虚しく感じられ、絶望感に覆われていた。ある日、Wilson女がいつもの女性専用車両でなく、私と同じ車両に乗っているのを発見したとき、私の性的妄想は爆発寸前に達していた。私は地下鉄の暗闇を吸い込んで鏡になっている窓ガラス越しにWilson女の美しい瞳を凝視していた。Wilson女の右目の下にある泣きぼくろが凄く魅力的に映り、さりげなく視線を逸らして薄いため息を漏らした。『おいで』唐突に声がして、私は飛び上がりそうになり、周りを見渡す。確かにWilson女から出された声だ。ラケットを背負いながら、私を見つめている。私はかーっと全身が熱くなるのを感じ、背中には冷たい汗をかいていた。『こちらにおいで』Wilson女がもう一度囁いた。何に誘われているのかすぐには理解出来なかったし返事のしようもなかったが、身体はフラフラとWilson女のそばに向かっていた。私の心臓は破裂しそうな程に鼓動が強くなり、息苦しさを感じていた。Wilson女は静かな目をはっきりと私に向けていた。心臓はバクバクして冷や汗は留まるところを知らない状態になっていた。Wilson女はクルリと踵を返し、私に背を向けてきた。その背中が尻が私を誘っているようにも見えた。私は躊躇うことなくWilson女の尻へ手を伸ばし、撫で回した。Wilson女は私に触られたくて、今日はこちらの車両へ乗ってきたのかも知れない。Wilson女の謎の行動に私の虚栄心は満たされつつあった。私はWilson女の尻に触りつつ、自分の唇を舐め回した。気がつくと私は背後からWilson女を服ごと抱き締めていた。不意に腕を捕まれ、停車した駅で吐き出された私は虚ろな表情でWilson女を見つめた。『この小男、この女装して女性専用車両に乗り込んできた変態は痴漢です。捕まえてください』Wilson女は私が想定していた以上に高い声で、近くにいる駅員に叫んだ。私は腕を掴まれたまま呆然とホームを見下ろしていた。

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