第21話

「どうだ小僧?それがその娘の本性、よく見るが良い」

 背筋が、凍った。信仁に、この姿を見られている。言い訳できない。取り繕いようがない。

 この時のあたしは、打ちのめされたって言い方が、一番しっくりくる状態だった。

「実にあさましい、おぞましい姿だ。そうは思わんか?思うだろ?」

 嘲笑混じりにそう言う桐崎の言葉を聞きながら、あたしは振り向いた、ゆっくりと。

 信仁の顔を、目を見るのが怖かった。けど、振り向かずにもいられなかった。

 案の定、信仁は目を丸くしている。呆けてしまっている、と言っても良いように見えた。

「小僧、おまえ、その娘を好いていたのだろう?どうだ?お前の好いた娘は、おぞましいケダモノだぞ?どう……」

 桐崎の言葉を、銃声が遮った。割と顔の傍で――振り向いたあたしの顔と入れ替わるように伸ばした信仁の腕の先の銃は、あたしの頭の斜め後ろ三十センチちょいの所にあった――発砲されて、あたしは耳がキーンとする。

「だから、少し黙れって」

 桐崎の方を向かずに、あたしの目を見つめたまま信仁は発砲していた。

「……なんつーか、その、うん、やべぇな」

 桐崎に向けた銃口を動かさないまま、信仁は言った。何故か、嬉しそうな顔で。

「流石にちょっと予想外だったけど、うん。姐さん、惚れ直したぜ」


「な……何?」

 期せずして、あたしと桐崎の声が被った。

「え?信仁あんた、何?え?」

「……小僧おまえ、そのケダモノがおぞましく……」

 脇腹に一発食らっていた桐崎の言葉は、反対側の脇腹に着弾した銃声に再び遮られた。

「おぞましいのはお前だ、この最低のクソ下衆野郎が」

 弾倉を入れ替えながら、信仁が言う。

「おまえみたいなバケモンのやる事に、いちいち真に受けていられるかよ。大方あれだろ、姐さんのこんな姿見せて俺を絶望させて、その隙に俺の精気でも吸おうって魂胆だろう?そうは行かねぇよ、手の内は大体読めてんだバカが」

「なん……だと?」

 脇腹を押さえつつ、桐崎が聞き返す。

「おかげさまで姐さんのケガも治ってるし、大助かりだから撃ち殺さないどいてやるけどな。おまえ、夢魔だっつったな?やり方にひねりが無いんだよ。長生きしてるみたいな口ぶりだけど、人生無駄に過ごしてんじゃねぇよ」

 いつもの信仁の煽り文句。こういうの、何度も聞いている。小物ほど、載せられてペースにはめられる、とはいえ。この状況で普段通りにそれが出る信仁に、あたしもどう反応していいか混乱した。

「小僧……馬鹿にしおって!」

「あ、怒った?悪いな、ホントのバカにバカってホントのこと言っちまってよ」

「小僧!」

 二発ずつ二回、計四発の銃声がリズミカルに響く。二発は桐崎の股関節あたりに、二発は桐崎の頭上の槍のような物に。

「逃げるぞ姐さん!」

「え?ちょ!」

 姿勢を崩す桐崎と、バランスを崩して床に刺さる槍に目もくれず、信仁はあたしの手を掴むと、道場の裏口に向かって一目散に走り出した。


「やー、調子に乗ってちょーっと怒らせすぎたかな?」

 肩で息をしながら、北グラウンドを斜めに突っ切った対角線上にある講堂に逃げ込んだ信仁は、笑いながらそう言った。

「バカじゃないのあんたは!つかあんたこそバカだろ!何やってんのよ!」

 何から何まで、信仁の行動はあたしの理解の斜め上にあった。つか、どうして一般人がこの状況で、正体の分からない相手に対してあれだけ啖呵切って対抗出来るんだ?コイツ、よっぽどのバカか、さもなきゃ……

「だってよ、姐さんの親御さんの仇なんだろ?」

 唐突にまた思いがけない切り口から飛んできたその一言に、あたしも隙を突かれる。

「え?」

「自分で夢魔だって言ってたし、やり口も確かに下衆ゲス極まりねぇ。まあ、この程度で俺がビビると思ったら大間違いなんだがな。アニキさん達も、この調子じゃあどうせ利用されてるんだろうし、姐さんの親の仇ならなおさらだ、死なない程度にぶち殺さなきゃ腹の虫が治まらねぇ。姐さんのその姿も元に戻さにゃならないしな」

 あたしの目を見て、信仁は言う。

「姐さんの為、ってのもあるけど、とにかくああいうのは俺がどうにも許せねぇ。だから、精いっぱい力になりますぜ」

 顔が、近い。あたしは、思わず顔を引く。

「元に戻すって……え、ちょっと待って信仁」

 なんか、話が噛み合ってない気がする。

「あんた、あたしのこのカッコ見て、何とも思わないの?」

「いやだから、何とも思わないっつーか、ケモナーの俺としてはご褒美っつーか思うところはいっぱいあるけど、姐さん、アイツのせいでそういう風に変えられちゃったんだろ?」

 なんだよケモナーって。何それ知らないわよそんなの。確かに事実として、「奴」のせいだってのはそりゃそうなんだけど。間違いじゃないけど、多分、信仁の認識は、何か根本がズレてる。

 あたしは、結構頭がテンパっていたこともあって、信仁が事態をズレて認識している事に、あたしが凹んでる理由をわかってくれていないって事に、キレちゃった。

「違うわよ!気がつけよ!これがあたしの本性なんだよ!分かれよこの鈍感!バカ!」

 今思うと、全部「奴」のせいにしてごまかし通すっててもあったのかも知れないけど、その時のあたしは信仁の鈍感さというかズレっぷりに腹が立っていて、そんな冷静な判断はどっかに吹っ飛んでしまっていた。本性を見られた、知られたと思ったショックの八つ当たり、だったんだと思う。

「え?」

「あたしは人狼ひとおおかみなのよ!見りゃ分かるでしょ!」

「見りゃって、え?あ!」

「あたしは、あんたを騙してた、隠してたのよ!それを「奴」がバラして!そしたらあんたが絶望するかもって、そういう話よ!それを何よ!あんたわかってなかったの?もうホント最低!」

「いや待って姐さん、え?俺?俺が悪いの?」

「当たり前よ!あんたのせいよ鈍感!ほんっとにデリカシーがないんだから!」

「そう言う問題じゃ……」

「うるさいバカ!鈍感!」

「……すみません……」


「……すみません姐さん」

「何よ!」

「あの、ちょっと確認させて下さい。アイツが言ってたことなんだけど。半端者って、どういう……」

 あたしの罵詈雑言が一段落した後の、信仁のその一言は、キレてたあたしをある程度、冷静に引き戻した。

「……あたしが、人狼ひとおおかみとして不完全だって事よ」

 口に出すのも腹立たしいけど、勢いもあってあたしはそれを口に出していた。

「不完全?」

「あたしは混血だから、人狼ひとおおかみの力を半分も使えない、だから半端者、そういう事よ!」

「え?だって、悪い、今の姿は、それに、傷だって」

 一応信仁は気を使って聞いていたけど、その質問自体、あたしには酷だった。信仁が悪いわけじゃないんだけど。

「……「奴」に無理矢理変えられたのよ。あたしは、あたしの力じゃ獣の姿になれない半端者だから。あたしは、弱いから……」

「あ?あ……あー。なるほど、よくわからねぇけど、よくわかった」

 何かが腑に落ちたげに、信仁は言う。

「要するに、アイツは姐さんを舐めてるって事だ」


「……何言ってるの?どういう意味よ」

 その言い方がちょっと癪に障ったあたしのトゲのある返しに、信仁は苦笑して答える。

「だから、アイツは姐さんを弱いと思ってる、だから強くして、それでも圧倒出来る、どうだ、絶望しただろう、って言って姐さんをやっつけようと、こういう事だと」

「……そうよ」

 その指摘は、ほぼ間違い無い。

「あたしは、弱い。たまたま逃げ出せたけど、「奴」は本来ハンパない強いのよ。あたしじゃ、まるで歯が立たないくらい……」

「今までの姐さんなら、だろ?」

「……え?」

 その指摘も、あたしには斜め上だった。

「アイツが自分で言ったじゃんか。姐さんが弱いから、本来の力を出させた、みたいな事。その姿は、そういう事なんでしょ?」

「……そうだけど……」

 あたしは、改めて自分の姿を見下ろす。無意識に、信仁から一歩遠ざかろうとしてしまう。

 そのあたしの肩を、信仁の左手が抑えた。

「だったら、少なくともさっきまでより姐さんは強い、そういう事じゃないすか?さっきまではともかく、その姿でもまだ勝てない、とは限らないんじゃないか?」

「……」

 理屈は、あってる。現に、怪我が再生するスピードが段違いだった。今だって、今まで無かったくらい、力があふれてる感じはある。さっきだって、何ならあたしが信仁を抱えて倍の速度で走る事だって出来そうだった、つか多分、軽く出来た。

「だったら、アイツこそこっち舐めてんだ、後悔させてやりましょうや」

 弾倉を交換し、半端に残った弾丸を一つの弾倉にまとめながら信仁が軽く言う。

「そんな簡単な話じゃないのよ!だって……」

「したら、知ってる事全部、教えてくれ」

 事情を知らないから、あたしが決め手を欠いている事も、「奴」がどれだけ古強者かも知らないから、信仁は軽く考えているんだ。そう思って食ってかかろうとしたあたしを遮って、信仁が聞いた。

「絶対に何か手はある。希望は捨てるべきじゃない、違うか?」

「そりゃ……」

 護符タリスマンが反応した事は、多分かじかには伝わっている。そうなると、あの子がこっちの様子を見に来ないわけがない。携帯がつながらないとなればなおさらだ。そう言う意味では、時間稼ぎすりゃ援軍も期待出来ないこともない。あるいは、こいつが同意するかどうかはわからないけど、もう一度信仁に結界の外に出てもらって助けを呼んでもらう、という手も無くはない。確かに、手はない事はないとは思う。けど、素人の信仁にそんな事を指摘されると、ちょっと腹が立つ。

「それと、もう一つ」

「きゃ!」

 そんな事を考えていたあたしは、突然、信仁に抱きしめられていた。

「な、何!」

 思わず悲鳴を上げてしまい、悲鳴を上げてしまったこと自体にあたしはうろたえてしまう。

「言ったろ?俺は姐さんを嫁にもらうって決めてんだ。だから、姐さんの親の敵なら、俺の仇も同じだ」

「そうじゃなくて!ふざけないで!あたしは!」

 あたしは、てっきり、信仁がいつもの調子で言っているんだと思っていた。体の間に左腕をねじ込んで、信仁を振りほどこうとする。

「そんでもって、姐さんは姐さんだ!何も違わねぇよ。姿形は関係ねぇ」

 でも、あたしの左腕は、二人の間に割り込めない。力なら、はるかに今のあたしの方が上のはずなのに。

「それとも、ここに居るのは別の誰かなんスか?え?」

「そうじゃ……ないけど……」

 あたしの左腕は、割り込むのを諦める。木刀ゆぐどらしるを握る右手ともども、だらんと垂れ下がる。

「じゃあ、そういう事だ」

「……駄目よ。絶対に、駄目」

 あたしは、二人の間に割り込むのではなく、違う動きをしようとする両腕を、必至に押しとどめる。

「あたしは人じゃないのよ、あんたとは違う、だから……」

 受け入れては駄目。認めては駄目。認めてしまったら、きっともっと辛くなるから。辛い事が起きるのが、わかりきっているから。

 唐突に、信仁が体を離した。

「……クソ、残念だけど続きは後だ、時間がない。畜生、何が何でもアイツぶっちめて続きの時間つくらにゃ……ああそうだ、一つだけ言っとくわ、姐さん」

「……何よ」

 急に抱きしめられて、勝手に離されて、どういう顔していいかわからなかったあたしは、ぶっきらぼうに答えた。それでも、何か重要なヒントでも思いついたのかと、内心あたしはちょっとだけ期待してたんだけど。

 信仁は、完璧な笑顔で、言った。

「その格好の姐さんも、大好きだぜ」

「……何バカ言ってんのよこんな時に!」


「小僧はどこに隠れた?」

 正面から講堂に入ってきた桐崎は、舞台の上、演台の前のあたしに聞いた。

「さあて、とっくに逃げ出したんじゃないの?」

 あたしは、木刀ゆぐどらしるを中段に構えたまま、答える。木刀が纏う光が、強い。確かに、今の半獣の姿のあたしは、人の姿の時より、全てにおいて、強い。これが、妹達が手に入れていた、力。

――「奴」に、感謝すべきなのかしらね――

 あたしは、桐崎と対峙しながら、頭のほんの片隅で、思う。誰かがかけた封印ではなく、あたしが自分で課した制約、それを、「奴」はあたしの心に手を突っ込んで、悪意で捩じ切った。あたしのこの姿を信仁に見せ、信仁を絶望させ、そして信仁が絶望した姿をあたしに見せて、あたしを絶望させるために。

 でも、そうはならなかった。

――ああ、感謝するなら、信仁の方か――

 あたしは、思い直す。図太いのか単にバカなのか、信仁はあたしのこの姿を見ても退かなかった、受け入れた。それだけでも、あたしは救われた。自信を持って、この姿で闘える。

――ありがとう、信仁。それと、ごめんね――

 でも、どう転んでも、結局、必ず、あたしは信仁と別れなければならない。その事を意識し、意識した上で今は意識から追い出そうとしながら、あたしは木刀ゆぐどらしるを握り直した。

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