第15話

「……よし、保存っと」

 ショートカットキーを叩いたあたしは、事務椅子の背もたれによりかかって背筋を伸ばす。

「はいお疲れさん。さすがは元風紀総番長、始末書書き慣れてるわね」

 元生徒会法務部書記委員長の紐緒結奈ひもお ゆなが、そういって元生徒会執行部風紀委員長のあたしをからかう。

「うっさい。大体今回あたしは被害者よ、なんで被害者が始末書書かなきゃならないのよ」

「ま、正式には事故報告書、って体裁だから」

 あたしが保存したwordファイルをpdfに変換してからプリンタに流しつつ、あたしの愚痴に結奈が答える。

「ケガが軽くて何よりよ。診断書が必要だと手間がこの倍じゃ利かないもの……ホントに大丈夫なの?」

「残念ながらかすり傷よ。ツバ付けときゃ治るわ」

 複合機が吐き出したプリントアウトをひらひらさせながら聞いた結奈に、あたしも苦笑して答える。色々めんどくさいから昨日の絆創膏はあと数日は貼ったままにしておくが、刺された傷なんて、日付が変わるより早く、きれいさっぱり消えてなくなってる。

「ならいいんだけど」

「制服に穴開いた方がダメージでかいわよ、もう着る機会、ほとんど無いけどさ」

 セーラー服の左脇腹に空いた穴に指を通して、あたしは言う。休日、正規の授業無し、とは言え登校は原則制服、というのがうちの学校の規則だ。

真籬城まがきちゃんにでも繕ってもらいなさいよ、同室でしょ、あの子そういうの上手そうだし」

 自慢じゃないけど、あたしは裁縫は苦手だ。炊事洗濯は、親が死んでからしばらくはあたしの担当だったから、それなりに出来るつもりだけど。

「そうするわ。あの子そういうの得意だから……」

 そう言ってあたしは肩をすくめ、立ち上がろうとした。

 立ち上がろうとして、ふと感じた微かな違和感と、同時に感じた胸元の熱さに気付いて、その違和感の元凶の方向を見た。

「……?」

 結奈が、首を傾げた。

 結奈は、気付かないだろう。あたしも、胸ポケットの生徒手帳の、その裏表紙に挟み込んだ、修行をかねて妹のかじかが作った護符アミュレットが反応しなかったら見過ごしたかも知れない。

 その違和感の元凶は、学校の正門の方向から感じられた。


 後で聞いた事だけど、その時、同じタイミングで学校のセキュリティシステムがダウンしたらしい。

 何で分かったかと言えば、寿三郎じゅざぶろうが学校のセキュリティシステムにバックドア仕込んで自分のパソコンに繋いでいて、それが突然切断されてアラートが立ったって言ってたけど、あたしはイマイチ言ってる事が良くわかってない。

 ただ、はっきり分かっているのは、あたしがその微かな違和感を感じた次の瞬間、学校の敷地全体が、広大で強力で悪意に満ちた結界、あたし達が「協会」の用語で言うところの「夢時空」って奴に包まれた、って事だった。


「……嘘だろ……」

 思わず、あたしは呟いた。

 誰が、いや何がこれをやったのかは分からない。

 ただ、こんな事が出来るのは、相当に強力な夢魔である事は、この頃既に「協会」の仕事を何度かこなしていたあたしには理解出来た。

 まずい、と思った。理由は大きく二つ。一つは、何がまずいって、今でもそうだけど、あたしは、純血の人狼ひとおおかみである妹のかおるもそうなんだけど、「協会」の仕事を受ける時は、それが夢魔相手の仕事である場合、必ずかじかか婆ちゃんと一緒に行動する。要するに、あたしや馨は、夢魔相手に戦う手段、相手の肉体ではなく精神を攻撃するのは苦手、という事だ。

 本当から言うと、こうやって夢時空に取り込まれてしまえば、実は戦える。夢時空の中では、夢の力、イメージの力がそのまま武器になる。簡単に言えば、握りしめたゲンコツが十万トンの打撃力だと信じ込めれば、その拳はそれだけの威力を持つ。要するに、気合い入れれば、あたし達の肉弾戦でも直接、相手の精神を叩ける。

 だけど、こうも簡単に、こうも巨大な夢時空を展開出来る相手となると、あたし一人では相当に荷が重い。そして何より、あたし自身は、この夢時空から脱出する力を持っていない。だから、普段なら、その力を持つ鰍や婆ちゃんと一緒に、力を合わせて戦うんだ。

「何?急に暗くなったけど、ゲリラ豪雨でも来た?」

 結奈が、元科学部部長らしく、外の様子の変かを天気の変化だと思い込んで、言った。実際、少し前から薄暗くなって雨も降り始めてたから、そう思うのも無理はない。

 まずい、と思ったもう一つの理由が、これだ。

 結奈を、一般人を巻き込むのは、非常にまずい。

 これを仕掛けたのがどんな奴で、何が目的であれ、ここに一般人がいて、いい結果が出る事は、万が一にも、ない。

 同時に、今日が試験休みで本当に良かった、とも思う。今、学校の中にはあたし達二人以外は、宿直当番の教師と、用務員兼警備員の警備会社スタッフが合せて数人居るだけのはずだが、もしこれが通常授業の日であったなら、学校内に生徒と教師職員合わせて千人以上の一般人が居たはずだったから。


 もし今、あたしが一人だけだったら。あるいは、一緒に居るのが妹達や婆ちゃんや、さもなきゃ「協会」の仲間のハンターだったら。あたしは間違いなく、この夢時空を展開した「原因」を探し出し、排除しようと走り出していたと思う。

 だけど、今のあたしは、そうしたい自分を抑えて、とにかく逃げる事、この夢時空から脱出する事を選んだ。理由は勿論、あたしのすぐ側に、一般人である結奈が居たから、結奈を無事に逃がすのがあたしにとって最優先だったからだ。

 じゃあ、どこに逃げるか。あたしはもう一度、邪な気配が強く感じられる方向、学校の正門の方を一瞥して、すぐに判断する。西の通用門、そこしかない、と。

 あたし達の学校は、おおざっぱに、歪んだ五角形というかホームベースみたいな敷地になっている。とんがってる方が南側で先っちょが正門、正門から並木道があってその左右はテニスコートと表のグラウンド、一番幅の広いところに東西に伸びる教室棟、教室棟の背後、北側には図書室と特別教室のある別棟。教室棟は三階建て、教室棟の延長上の東端には東通用門、同じく西側、端っこではなく、職員室のある西サイドの真ん中辺の近くの敷地端に西側通用門。

 駅から徒歩やバスで来る生徒は正門から登校してくるけれど、寮から歩いてくる場合は西通用門の方が近くて便利だ。そして、今あたし達の居る、別棟四階の生徒会室からは、距離的にも西通用門が一番近い。そして、正門に抜けて得体の知れないものと鉢合わせるより、絶対にこっちの方がいい。

「結奈、ここから出るよ!」

「え?ちょっと巴、急に何?」

「わけは後で説明する、とにかく西門から出るよ」

 出れれば。すんなりと、何事もなく出れればいいけど。あたしは、結奈をせかしながら、そう思った。

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