第31話 最後の終わり

 いつの間にか僕は砂浜に座ったまま眠っていたらしい。

 こんなところを早朝の散歩に来る人にでも見られてしまったら、恥ずかしい以外の何物でもない。


 慣れない姿勢で眠ってしまったせいか、痛む腰を擦りながら立ち上がろうとすると、脚に重みを感じる。

 視線を落とすと、そこには綾夏がすーすーと規則的な寝息を立てながら横たわっていたのだった。


 「っ……⁉」


 焦って立ち上がろうとしたけど、僕はその場に座り続け、綾夏が起きるのを待ることにした。


 改めて僕は彼女の寝顔を見る。

 美しく整った顔に、さらりと流れる髪の毛。

 脚にかかる綾夏の身体は柔らかく、少しでも気を緩めてしまったら、手を伸ばして触れてしまいそうになってしまう。


 でも、綾夏の頬にある涙の跡を見たとき、身体の内側から小さく湧き上がってくる感情は自然とすっと引いて行った。


 それからしばらくすると、寝返りを打とうとした綾夏が僕の脚から落ちて砂浜に頭を打つ。


 「――いったぁ……って、あれ……なんで私」


 砂の上で目を覚ましたことに戸惑いを隠せない様子で起き上がると、綾夏はあちこちを見回した後、僕と視線を合わせる。


 「えっと……蓮くん。お、おはよう」


 「あ、うん。おはよう、綾夏……」


 「あ、あれ……もしかして私、蓮くんの上で……」


 自分の身体が向いていた方向と、その先に座っていた僕を見て、綾夏はある程度察したとは思うけど、それを確認するように恐る恐る尋ねてくる。


 「ま、まぁ……そういうこと」


 「うそっ……私ってばなんでこんなところで……」


 「綾夏、昨日のことを覚えていないのか?」


 酔っ払いじゃあるまいし……と思いつつも確認してみる。


 「ちょっと恥ずかしいんだけど、昨日の夜は感情が高ぶり過ぎちゃって、最後の方はあんまりよく覚えていないの……」


 「なるほど、そういうことか……」


 昨日は僕の記憶がある限り、綾夏はずっと泣いていた。身体の中にある負の感情というデトックスを一つ残らず出すかのように。


 「でも、実は僕も途中で眠っちゃったみたいなんだ……おかげで腰が痛くて」


 腰に手を当て、少し大げさに痛む仕草をしてみると、綾夏は唇に手を当ててくすりと笑った。


 「私もこんなところで寝ちゃったのは初めてかも。でも不思議……布団だと全然寝付けなかったのに、蓮くんの上だとぐっすり眠ることができた……何でだろう」


 「そんなの僕は知らないし、何なら僕の方が知りたいよ。僕は動くセラピーマシーンでもなんでもない、ただの高校生なんだから」


 「そうだね……でも、眠ることができたのは本当なの。だから、いつか眠れないときがあったら、そのときは側にいて欲しい」


 「た、たまにだけだからね……」


 「やったぁ! これで私の安眠は保証された!」


 毎晩毎晩頼まれてしまったら、それは僕の睡眠が犠牲になるのであって、綾夏が良くても僕自身が良くないのだ。


 「やっぱり定番は膝枕よね……落ち着くというか、童心に帰るというか……あ、でもやっぱり腕枕! 腕枕は一度でいいからやってみたいな!」


 綾夏はぱぁっと表情を明るくすると、次々と言葉を重ねていく。


 「――そ、それよりもだ、綾夏」


 綾夏の言ったことをつい想像してしまうと、顔の温度が急激に上昇し始める。鼓動も高鳴り始め、全身の血液が勢いよく循環していくのを感じる。


 いつまでもこの話題を続けられようものなら、僕の身体は心身ともに持たないだろう。

 僕は慌てて彼女の話を遮る。


 「早く戻らないと永田が心配するんじゃないのか?」


 僕が部屋にいなくても何も思わないだろうけど、同じ部屋の、それも自分が責任を持って合宿をやり切ると約束した相手が、朝起きたら姿が見えないなんてことがあったら、きっと永田は血相を変えて館内中を探し始めることだろう。


 「そうだね。真澄ちゃんの必死な顔が想像できる……」


 綾夏のためにそうなるんだからな、と思いつつも僕と綾夏はそれぞれの部屋に向かって歩き出した。


 案の定永田は半分獣のような様相で館内を駆け回っていた。

 そして、入り口からのんびりと入って来た僕たちにチーターの如く駆け寄ると、綾夏の肩をがっしりと掴んで「怪我はないか、体調は大丈夫か」と捲くし立てるように質問の雨を降らせていた。


 でも、綾夏は屈託のない笑顔だったから、少しは永田を安心させることができたのかもしれない。


 そんな、狼狽する永田と、終始笑顔で落ち着いている綾夏の、普段見られないような様子がおかしくて、僕は思わず吹き出してしまった。

 でも、永田は真剣そのもので、今度は僕に視線を向けると、「連絡をしないでどこに連れだしていたんだ」とかいう説教が長々と続くことになってしまった。



 僕たち三人は最後に山の方で少し遊んだあと、帰りのバスに乗り込んだ。

 綾夏は乗り始めたときこそ元気な様子でこの合宿を振り返っていたけど、息と同じようにすぐに静かな寝息を立て始めた。


 綾夏が寝たのを見て、永田がそっと僕に話しかける。


 「最寄りに着いたら、綾夏ちゃんをお家まで送り届けてもらいないかしら?」


 「それは別に構わないけど……永田は?」


 「ごめんなさい、このあとすぐに予備校の授業が入ってるから、急いで行かないといけないの……」


 「そっか。それなら仕方ないね。任せてよ」


 「ありがとう、それじゃあよろしくね……」


 それだけ言うと、永田も電源を切ったかのように瞼を閉じた。


 最寄りのバス停に降りると、僕と綾夏、そして永田に分かれる。


 「――真澄ちゃん、本当に来てくれてありがとう! とっても楽しかった!」


 「そうね。最後の最後でかなり焦ってしまったけど、私も楽しむことができたわ」


 きりっとした鋭利な視線を感じるけど、見なかったことにしよう。

 僕は苦笑いを返すと、綾夏と並んで歩き始める。


 しかし、綾夏の様子がおかしいことに、歩き始めてからすぐに気付いた。


 「綾夏? 大丈夫か……?」


 進む足はよれよれとしていて、とても真っすぐに歩けているとは言えなかった。


 「ほら、荷物持つから貸して」


 「あ、ありがとう……」


 綾夏の荷物は思ったよりも軽かったけど、綾夏はそれでもなお少しばかりふらついていて、心なしか顔も赤いように見えた。


 そして、それからさらに歩くこと数分。僕は綾夏の自宅に到着した。


 「お疲れさま。この二日間で結構外にいる時間が長かったから、しばらくは家でしっかりと休養して、元気になってまた文集作ろうね」


 「う、うん……」


 僕が綾夏に荷物を渡そうとしたときだった。


 「あっ……ちょっとこれはやば――」


 最後まで言葉を言い切る前に、綾夏はその場に倒れ込んだ。


 「あ、綾夏……? 綾夏っ! 綾夏っっっ!」


 僕の必死の呼びかけにも、彼女は反応することはなかった。

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