第3章 願い

第18話 疑念から確信へ

 夏の弾丸取材ツアーも三分の二が終了し、残すは合宿のみとなった。


 正直なところ、綾夏は合宿について詳しいことは一切話題にしていなかったし、ホテルや宿を取るとしたら、そろそろ行程なんかも考えないといけない時期になっているのは間違いないだろう。


 ということで、今日からは部室に活動のメインを置いて、海水浴や夏祭りの記録の整理をしたり、文集作りの構想を練ることにしたのだ。

 別にこの作業は家でもできなくはないけど、綾夏がどうしてもみんなで一緒に作業したいと聞かなかったため、時間をかけても僕はこの場所に来ている。


 しかし、おかしい……。

 僕は自分の時計が正しく動いていることを確認すると、部質のドアから廊下を覗く。


 なぜおかしいのか――それは、綾夏の姿が見えないかだ。

 時間にはあれほど厳しくて他人にまで注意をするほどの彼女が、今日は珍しく集合時間と決めた時間を過ぎても現れない。


 携帯電話を確認してみても、彼女からの連絡は一つも入ってきていない。

 もしかしたら集合日時を間違えていて、まだぐっすりと夢の中にいるのかもしれない。

 そう思った僕は、綾夏とのトークルームに「おはよう、お寝坊さん」と送ってみた。


 しかし、いくら時間がたっても一向に既読が立たない。

 一体どうしたものかと、今度は電話番号を入力してから通話ボタンをタップしてみる。


 ところが、僕の耳に聞こえて来た音は、コール音ではなく、「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません」という、無機質で感情のない機械音だった。


 明かに何かがおかしかった。

 しかし、それを確かめる方法すら今はなかった。


 それから数日間、綾夏とは完全に音信不通になってしまった。

 勉強の合間、ご飯を食べたりお風呂から上がったりしたりする度に確認するけど、綾夏からの返信は一切来ることはなく、開くたびにトークルームに浮かび上がる「おはよう、お寝坊さん」という言葉だけが重く残り続けている。


 既読の付かないその十文字は、まるでこちらの反応を覗いているような感覚がして、たまらなく不気味だった。


 僕の文集作りは順調に構想段階まで進んでいるが、一方の綾夏のそれは、まだ一文字も書かれておらず、まっさらな表面を見せていた。

 これでは文化祭までに完成に辿り着くことができず、彼女が目指していた『そこに存在していたという証』が単なる夢で終わってしまうかもしれない。


 僕は自分の作業と並行して彼女の分の文集を手伝うことにした。

 とはいっても、綾夏の分は綾夏自身が作り上げるべきだから、最低限のことしかすることはできなかった。

 それでも、少しでも彼女の役に立つことができるのであれば、僕は嬉しいと思っていた。


 そんなある日の帰り道、僕は夕立に遭ってしまった。

 予報では一日晴れのはずだったけど、ちょうど学校を出たところでいきなり降ってきたのだ。


 もちろん傘なんて持っていなかったから、びしょびしょのままクーラーが効きすぎている電車へ乗ることになる。

 そこで一気に身体を冷やしてしまったからだろう。帰宅したその晩から、僕は高熱を出してしまったのだ。


 おそらく、今まで勉強と文集作りを両立させようと無理をしていたところに、今日の出来事が最後の追い打ちをかけてしまったのだろう。

 普段からあまりアクティブではない僕が、文集作りのための活動と勉強という両輪をうまく回し続けることは、自分が思っていたよりも簡単なものではなかったらしい。


 寝込むこと数日。

 ただの夏風邪なのにここまで長引いてしまうのは僕自身初めてらしく、母さんに連れられて病院にやって来た。


 この病院は地域最大級と言われていて、内科から外科など、幅広く診てもらうことができるということで、毎日多くの人が様々な理由でここに足を運んでいる。


 予め予約をしていれば、その時間になればだいたいは順番が来るのだけど、僕のような一般外来の患者は、たとえすぐに診てほしくても、待ち時間は数時間に及んでしまうことも珍しくはないらしい。


 高熱の中、途中でうなされながらもなんとか耐え抜き、診察を受けきった。

 問診のときも何を聞かれて何をどのように答えたのかもあまりはっきりとは覚えていないけど、特に大事ではなく、解熱剤を飲んでしばらく静養するようにと言われたのだと、後で母さんから聞いた。


 診察が終わって母さんが会計に呼ばれて待つ間、僕は特に何をするでもなく、ただただソファに腰掛けて落ち着きなく全身で呼吸をしていた。


 そのときだった。

 何となく目を向けていた先から歩いてくる女の子に視線が向いた。

 その女の子は――入院をしているのだろうか。手首に何かバンドのようなものを巻いていて、腕からは点滴の管が数本伸びていた。


 「ん……?」


 僕はどこか見覚えのある特徴に、違和感を覚える。

 やや小柄な体格をしていて、年齢は僕と同じぐらいだろうか。それに、髪の毛は肩先まで伸びていて……。


 いやいやまさか。

 僕はその可能性を否定する。そんなことなんてあるわけないだろう。

 しかし、そう思う一方で、もしそうだとしたら、これまでの辻褄が全て合うことになる。


 それを確かめようとしたくなったけど、もし人違いだったら失礼だし、この状態で歩き回るのも自分の身体にとっても良くないだろう。

 そんなモヤモヤを抱えながらあれこれと思案していると、その女の子がふとこちらを向いた。


 その瞬間、僕の中で疑念が確信に変わった。

 いや、変わってしまった。


 その女の子は――涼野綾夏だったのだ。

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