21. 夢の中2

 久しぶりの詩織の訪問に気を良くした職人たちが、彼女をなじみの居酒屋に誘った。


 ボックス席には空きがなくカウンター席に並んで座った。年が近いからか、それとも跡取りの特権だろうか、俊彦には詩織の隣の席があてがわれた。


 酔った職人たちの口から頑固な父親佐橋と気弱な息子輝邦の親子コントのような話が次々に披露された。実の娘の前でそれはどうかと思うようなことも、「だって全部本当だから」と彼らはやめようとしない。


 詩織はアルコールも口にしていないのに、コロコロと転がるようによく笑った。あの二人の関係は家でも変わらないらしく、一緒に暮らす詩織には、いちいち思い当たる節があるようで、目に涙を浮かべて笑っている。


 詩織の脚がパタパタと動くと、ワンピースの薄い布越しに太股の輪郭がはっきりと見えた。写真で見た小さなビキニが頭から離れなくなり、俊彦は酔いが回る前から顔を赤くした。


 宴が一時間を過ぎた頃、先輩職人たちが一人ずつ帰りはじめた。最後の四人になったところで、俊彦と詩織以外の二人が帰ると言った。


「じゃあ僕たちも」俊彦が席を立とうとすると、先輩職人の瀬谷が俊彦の肩を掴んで少し強引に押しとどめた。後輩とはいえ俊彦は会社の跡取りなのに、瀬谷たちは少し多めの金をカウンターに置いて帰った。


 詩織と二人になったとたん俊彦は緊張した。若い女の子と二人きりで話すのは一年ぶりだ、上の世代からは”新人類”と呼ばれるような俊彦でも、時代の流れのほうが早すぎて、今の大学生の考える事なんて想像もつかない。


 まして詩織は今の見た目こそ清楚に見えるが、あんな大胆な水着を着る娘だ、中身はどんなに進んでいるかわからない。気の利いたジョークの一つも言えない男に、そんな娘の相手などできるものだろうか。


 他に何も思いつかなくて、月並みだが学生生活について訊いてみた。すると普段の詩織は職場やあの写真の印象とはずいぶん違うらしく、案外奥手で少しそそっかしい女のようだった。


 ギャップがある女に興味をそそられる男は多い、俊彦も例外ではなかった。話慣れてくると酒の後押しもあって、俊彦は普段より饒舌になっていた。


「沖縄の写真の水着がすごくちっちゃかったから、てっきり詩織さんてもっと”進んだ娘”なのかと思ってた」俊彦がそう言うと、詩織の頬が赤く色づいた。


「やっぱり、ちっちゃかったですか?」


「うん。でもグラビアのモデルさんみたいですごく似合ってたよ、びっくりするぐらい可愛かったし、凄かった」


 最後の一言が余計だ、いつものよく考えないで言ってしまうあれだが、酒のせいで余計に遠慮が無い。調子に乗ってしまったことが恥ずかしくて、俊彦が何も言えなくなっていると、詩織は赤い顔のまま照れ笑いを隠すように肩をすくめた。詩織が俊彦と視線を合わせないまま言った。


「実は写真で見るまであそこまでちっちゃいとは思ってなかったんですよ。私、学校の水着しか持ってなくて、行く前に先輩に相談したんです。そしたら一緒に選びに行ってくれて、『大学生なんだから、これぐらいは普通よ』って言われたら断れなくて。でも酷いんですよ、沖縄に行ったら、先輩たちはみんなフリフリの可愛い水着ばっかりで」


 詩織は不満そうに少し口を尖らせた。これとよく似た表情をする女を俊彦は知っている、胸に一瞬鈍い痛みが走る。


「それたぶん”いけにえ”だと思うよ」


 俊彦がグラスを置きながら言うと、詩織は不思議そうな顔をした。


「言い方は悪いけど、詩織さんは餌にされたんだと思う」


「餌?」


「男子を釣るための」


 俊彦は右手で釣り竿をあげるふりをして見せた。詩織は驚きを隠さなかった。


「え? それって先輩にメリットはあるんですか?」


「うん、あるんだ、”おこぼれ狙い”ってやつ」


 自分に自信のない女の子が、自分よりも可愛い娘を誘って男たちを集める。その娘がもし誰かとくっついたとしても、他の男たちは残る。初めからそっちを狙うのが”おこぼれ狙い”だ。


 誘蛾灯の周りに虫が群がるように、いい女の周りには勝手に男が集まってくる。男の方だって女の子目当てで来ているのだから、あぶれたらつまらないに決まっている。仕方なく手近な娘に目を向けるのは自然な成り行きで、大学生時代にハンバーガー屋で隣の席の女子高校生たちが話しているのを聞いて、俊彦はそんな狩りの方法がある事を知った。


「そんな……」


 信用していた先輩に利用されたと分かって、詩織はショックを受けたようだった。


「男子とのツーショット。あれも先輩に勧められたんじゃない?」


「え、あ、そうですけど。でもあれって男子の全員と撮ったんですよ、別に恋人とかじゃないんです」


「詩織さんだけ?」


「新入生だからって」


「それはたぶん残念賞、詩織さんをモノにできなかった連中への。悪い評判が広がったら次から男が集まらなくなるから、少しはいい目を見せないと」


「モノに」と言って言葉の下品さに気づいたが、酔いのおかげで顔には出さずに済んだ。


 写真をもらった男たちがそれを何に使うのかは詩織には言わないでおいた。彼らの仲間内も含めて、結局は何人の男が詩織の写真を使うのだろう。彼らの羨望の的の女とこうして二人きりで酒を飲んでいられることに、俊彦は優越感を感じずにはいられない。


 そんな下賤なさがを自分の中に見つけた事は悲しかったが、それ以上に詩織の意外なさが心配になる。


「それにその先輩は、もしかしたら詩織さんに嫉妬してたのかもしれないよ。だから男の前でわざと一人だけきわどい水着を着せて、詩織さんを恥ずかしがらせようとしたのかもしれない。あの中では詩織さんが一番可愛いから」


 詩織がそれまで以上に顔を赤くした、自分の水着を「きわどい」と言われて喜ぶ女はあまりいないだろう、どうしてこうもよく考えずに言葉にしてしまうのか。恥ずかしそうに俯く詩織を見ていると、俊彦の中で何かが疼いた。


 それから詩織は、アルバイトの無い時期もときどき工場に顔を見せるようになった。はじめは父親と祖父への差し入れを持ってきたが、二度目からは俊彦と事務の先輩たちの分も持ってくるようになった。


 居合わせた職人が「俺には?」とジョークを飛ばすと、詩織は「毎回全員分は無理ですって」と、はっきり言ってから「たまにならいいですけど」と小声でつぶやいた。


 そのとき聞いたが、詩織をアルバイトに誘ったのは、やはり佐橋だった。薄々気づいてはいたが、彼女との出会いが先代と佐橋の策略である事は、これで疑いの余地が無くなった。癪に障るが俊彦も詩織が気にならないわけではなかった。


 簡単な仕事を一人で任されるようになると、少しだけ時間に余裕が出来てきた、だがその余裕は秋子を失った悲しみを思い出す引き金にもなった。


 詩織の細い肩は秋子を連想させた、アルバイトではない時の詩織はいつもひざ下丈のかわいらしいワンピースを着ていたが、明るく清楚な印象のそれと、あの写真でみた”きわどい”ビキニのギャップが、俊彦の中に眠っていた獣を刺激した。


 年末に手伝いに来た後、年明けから詩織は毎日のように工場に顔を出すようになった。歳が近い俊彦と詩織は日に日に親しくなっていった。俊彦は詩織が工場に顔を出す時間を心待ちにするようになった、秋子を失った虚無感を、少しづつだが詩織が埋めてくれている事にも気が付いた。


 詩織への親しみが増して行くと、彼女のほんの些細なしぐさにさえ俊彦は刺激を感じるようになった。俊彦はその頃「秋子はもう他の男のものになっている」と考えることにしていた。あれほど美しい娘を周りの男たちが放っておくはずがないと。


 今ごろ彼女は僕が必死に守ったものを他の誰かに差し出して、幸せになっている――。


 そう思い込む事で秋子を忘れようとした。今更遅いのだ、どんなに恋しくても、会いたくても、もう一度アトランティスに行って秋子の姿を確かめることは出来ない。もし行って、他の誰かのものになってしまった秋子を見てしまったら、俊彦にはそのまま生きてゆける自信がまだ無かった。


 その頃はまだ毎日のように秋子の夢を見ていた。夢の中の秋子はいつも知らない男に抱かれていた。あの柔らかい舌が他の男の舌と絡む姿を、他の男の胸であの豊かな肉まんがひしゃげる光景をどうしても見たくなくて、アダルトビデオをレンタルして寝ずに過ごす晩もあった。


 そんなある晩、苦しみに耐えかねて目を覚まそうとしたとき、俊彦は自分がまだ夢の中にいる事に気が付いた。


 目を開けずにもう一度眠ろうとすると、夢はそのまま何事も無く続いた。自分で夢だと分かる夢の事を”明晰夢”と言うらしい、それを何度か経験すると、少しずつだが自分の意志で夢の内容を変えられるようになった。


 俊彦は夢の中の秋子の顔を詩織に替えようとした、それができるようになると、今度は相手の男の顔を自分の顔に挿げ替えた。そうして避けられない悪夢を少しづつ快楽夢に変えていった。


 だがそれでも夢のはじめには必ず秋子が現れる。詩織に頼んで、渋る彼女から沖縄の写真を一枚貰った。


 寝る前にしばらくそれを眺めてからベッドに入ると、夢の中にはきわどいビキニを着た秋子とも詩織とも言い切れない女が現れた。その顔を意識して詩織に替えて裸にする。


 裸にするのは顔を替えるよりずっと簡単で、小さなビキニを一枚剥がせば良い。その後は浜辺で詩織を好きなだけ抱いた、少しでも休むと顔がまた秋子に近づいてしまうから、眠りにつくまで夢の中でただひたすら詩織を抱いた。


 初めて最後まで詩織のまま抱き続けた日、朝起きると下着の異変に気がついた、夢精なんて中学生以来のことだった。


 夢の中の詩織に激しい行為を要求すると、徐々に秋子は現れなくなった。本物のセックスを知らないからこそ思いつく奇抜で奇妙な行為を、俊彦は詩織の幻影に次々と試した。


 昼間本物の詩織を脳裏に焼き付けて、夜になると夢の中で犯す。やっと夢の中に秋子が現れなくなった頃、俊彦は詩織が仕事場に姿を見せるだけで、強い衝動を憶えるようになっていた。


 日に日に強くなる衝動に恐怖を感じた俊彦は、生まれて初めて風俗店に足を向けた。

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