ファミリービジネス

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 ──ファミリービジネス



「お前はどうあろうと私の跡を継がなければならない。そうしなければ、お前自身に身の危険が及ぶ。私はそのようなことを望んではいない」


 それなら最初からドラッグビジネスになんて手を出さなければよかったじゃないかとアロイスは心の中で思った。


 車も、バイクも、留学も全部ダメになるかもしれないが、少なくとも自分は生き残れる。命より大事なものがあるというのか?


「お前には私のビジネスパートナーとなり、ドラッグビジネスの仕組みを理解してもらう。そうすることで将来的にお前がこの帝国を継ぐに相応しい人間になるだろう」


 アロイスは考えていた。どうやったらこの状況でその申し出を断れるだろうかと。


 ハインリヒは親の罪を子にも負わせようとしている。それは正しいことではない。だが、もはやアロイスはその罪を背負ってしまっている。


 アロイスが断固拒否しても、ハインリヒの死後にアロイスが狙われることになる。ドラッグビジネスに関わるような人間がどういう人間かはアロイスもよく知っている。


 自分の商品に手を出すどうしようもないヤク中。権力と富のためならば自分の家族すら犠牲にしても構わないという野心家。抗争にかこつけて暴力を振るうことに快楽を覚えている暴力的なサディスト。


 全部が全部狂ってる。正気の人間なんていやしない。アロイスは10年間、そういう人間たちと交渉し、争い、殺し合い、騙し合い、裏切り合って来たのだ。


 それをまた繰り返すのか?


 最後の方ではアロイス自身ですら自分が正気なのかどうか分からなくなっていた。金と暴力は常にセットで、それらが権力を構築する。権力がなければ、食い物にされ、殺され、野良犬のように打ち捨てられる。


 もはや戻れないとしたら……。


「分かりました。父さんの仕事を手伝いましょう。ただ、勉学は続けさせてください」


「構わない。しかし、“連邦”の大学に通ってもらうぞ」


「構いません」


 戻れないのならば絶対的な権力を手に入れ、他の人間たちを野良犬のように打ち捨ててやり、生き残るだけだ。


 生き残るためならば、悪魔とでも手を結んでやる。


 アロイスはそう決断した。


「まず、今のドラッグビジネス業界がどうなっているか説明しておこう」


 ハインリヒはそう言って、捜査資料らしきものを広げる。


「我々が支配するのは“連邦”西部一帯。ヴォルフ・カルテルというのが我々の帝国だ。西部における“国民連合”との国境も支配している。分かっていると思うが、我々がドラッグを売るのは“国民連合”の人間に対してだ。“国民連合”には富が満ちている。有力な市場だ」


 そう、カルテルはどこも“国民連合”にドラッグを売る。“国民連合”には確かに富が満ちている。この“連邦”などよりずっと。


 だから、市場としての価値がある。


 他の国が“国民連合”に車やバイク、電化製品を売るように“連邦”のドラッグカルテルも“国民連合”を市場にする。この“連邦”から“国民連合”に輸出できるものなど、ドラッグしかないとでもいうように。


「そして、シュヴァルツ・カルテル。これは“連邦”の中央を支配している。例外は首都だけだ。首都は我々の支配下にある。首都にコネがなければ、捜査対象となり、追われる身となる。常に首都を味方につけ、警察と軍を掌握しておかなければならない」


 この“連邦”には腐った警官や軍人が大勢いるのだとアロイスは思い出す。


 金のために公僕としても義務を捨て、私利私欲のために罪のない市民を殺す警官や軍人がいることをアロイスは知っている。そして、警察と軍を味方につけておけば、捜査からは免れられる。そのはずだった。


 これから先、その汚職警官や軍人が裏切って、ヴォルフ・カルテルを“国民連合”の麻薬取締局捜査官フェリクスとともに攻撃するだろうことをアロイスはまた知っていた。


 どうして連中が裏切ったのかアロイスには分からなかった。敵対するカルテルに鞍替えしたのか。正義の心に今さらになって目覚めたということはないだろう。それほどまでに“連邦”の警官と軍人は腐っているのだ。


 見るがいいとアロイスは思う。連邦検察官がドラッグビジネスの大物なんだぞと。


「最後にキュステ・カルテル。これは“連邦”東部を支配している。元は我々ヴォルフ・カルテルの一部だったが、海外事業が成功し、独立を認めてやった。西南大陸でもドラッグの原料となる植物の栽培が行われている」


 アロイスは知っている。


 西南大陸では資本主義陣営と共産主義陣営の代理戦争が繰り広げられており、資本主義陣営側についた軍事政権も、それに武力を以てして抵抗する共産ゲリラも、皆が揃って同じようにドラッグの原料を生産し、精製し、“国民連合”などの海外に売買していることを。そして、キュステ・カルテルの海外事業というのが、その製造されたドラッグの密輸にあるということも。


 資本主義陣営も共産主義陣営も、揃ってクソッタレだということだ。


「今はヴォルフ・カルテルが顔役だ。各カルテルを取りまとめている。それだけあってカルテルは巨大だ。だが、いいか。カルテルと名乗っていても我々は一枚岩ではない。ヴォルフ・カルテルに所属していながら、シュヴァルツ・カルテルやキュステ・カルテルの縄張りで商売をする馬鹿がいる。それは紛争の種になりかねない」


「殺してしまうしかありませんね」


 アロイスがそ言うのにハインリヒはまたやや驚いた眼をした。


「殺しに抵抗はないのか?」


「もちろん、あります。俺はずっと堅気だったんです。父さんみたいにドラッグビジネスにどっぷりつかっていたわけでも、ギャングを率いていたわけでもない。ただの薬学部に所属していた学生なんですから」


 嘘だ。


 アロイスは大勢を殺した。ライバルも、ライバルの家族も、無関係の民間人も、聖職者も、学生運動家も、教師も、ジャーナリストも。アロイスの手は真っ赤に染まっている。そのはずだった。


 だが、10年前のアロイスはそうではない。


 彼は人殺しなんて思いもつかないほどに純粋な青年だった。


 アロイスの血にまみれた10年間の経験はその純粋な青年を蝕み、再び殺戮のサーカスの中に引きずり込もうとしていた。


「ふむ。だが、そう即決するのはよくない。確かに殺せば他のカルテルと揉めずに済むだろう。だが、我々こそがドラッグビジネスを仕切っているのだ。あまり、他のカルテルの顔色を窺うようでは、舐められる。落とし前はつけさせるが、他のカルテルの圧力に屈したわけではないということにしなければならない」


 なるほど。ハインリヒは他のカルテルのことを恐れているのかとアロイスは思う。


 10年間の経験の中で、他のカルテルと揉めなかったことはなかった。特にハインリヒの死後は抗争が勃発し続けた。


 だが、アロイスは抗争を避けようというつもりはあまりない。戦争とはやりたくてやるものではない。否応なしに引きずり込まれるものなのだ。いくらアロイスが平和と調和を求めても、他のカルテルの野心家たちが台無しにするだろう。


 で、あるならば、だ。上手くカルテルどもを誘導して、自分にとって都合のいい形の抗争にすればいいのではないか?


 アロイスの10年間の記憶はそう囁く。殺される前に殺せ、と。そして、自分の手を汚さずに仕事を成し遂げろと。


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