一夏の思い出

第10話 棘

　絢太君の落とした小さい棘は、私達の微妙な関係に影響を与えるには十分過ぎた。

私は、獅狼達が神使と聞いた時に、獅狼と同じ時を過ごせない事は覚悟していた。

いつか老いていく自分に気付き、彼に寄り添って生きる事を諦める日が来るだろう。

でもその『いつか』はもっと先だと思っていた。

しかし、私にはまだ先でも、獅狼にとっては僅（わず）かな時だろう。

現実は無残にも私にのしかかった。

　一人、町が見渡せる鐘つき堂の前に立っていた。

眼下にジオラマのように所狭しと並ぶ町並みを見ていた。

まるでおもちゃ箱の中のようで、私はここから見る景色が好きだった。

しばらくすると、絢太君が現れた。

「陽葵ちゃん、どうしたの？元気ないね。昨日言い過ぎちゃったかなぁ？」

真っ直ぐ私を見て

「でも、嘘は言ってないよ。」

「分かってる。絢太君に聞きたいの、貴方達の寿命は人間とは異なるわよね？

獅狼と私が同じ時を刻む事は、できないんだよね？」

「うん、そうだよ。だから、僕は反対したんだ。

愛しい者において逝かれる辛さ。愛しい者の前で一人時を刻む辛さ。

どちらも耐え難い辛さだよ。」

悲しそうな目で

「僕は陽葵ちゃんを大事な友人だと思っているし、獅狼は兄弟のように思っている。

どちらも大切だから敢えて厳しい事を言った。君たちが各々別の道を選べば、幸せになれると思うんだ。」

「ありがとう、絢太君。やっぱりそうなのね。

分かっていたけど、やっぱり突き付けられると、辛いなぁ。」

私は溢れてきそうな涙を見せたくなくて、

「しばらく一人にしてもらえるかな？」と頼んだ。

　どの位たっただろうか、ジオラマのような町並みが赤く染まり、山に添うように並ぶ家々に暗い影ができはじめていた。

気付けば遠く空が、赤から紫へと変わろうとしていた。

しまった！逢魔が時だ。周りを見回すと影の中で何かが蠢いていた。

私は慌てて境内を走り抜け、石段を下っていった。

その時階段で何かに足が引っかかった？いや、何かが私の足を引っ張った？

と思った時には転がり落ちていた。

幸い石畳から外れた場所に落ちたようで、土がクッションとなり大怪我には至っていない。しかし、恐怖は私の側へ一歩一歩と近づいていた。形を成さない大きな影。

恐怖で遠ざかる意識の中、私は木彫りのリンゴを握りしめて獅狼を呼んだ。

声にならない声で。

　次に気が付いた時は、獅狼が何かを塵に返した後だった。

獅狼は私に駆け寄ると抱き起こし、

「陽葵、大丈夫か？陽葵。」声が震えているのが分かった。

獅狼は震える手で私の顔の泥を拭い。

まるで壊れ物に触るかのように優しく私の頬を撫でた。

私は微笑んで「大丈夫よ、獅狼。ありがとう。」

微笑んだ私を見て安堵したのか、獅狼は私を強く抱きしめ震えていた。

「良かった。陽葵に何かあれば、俺は・・・」

私はこんなに怯えた獅狼を初めて見た。

こんな時なのに、獅狼に大切に思われている事を知り、私は満たされていた。

そして私は生まれて初めて、自分より大切な存在を見つけた。