第1章 「影踏」オルロ
第1話 赤髪のオルロ
――― アマイア暦1329年
<レイル共和国 ウルグニ山 大空洞>
「…くそ、ダメだ」
赤髪のヒューマンは手に持った愛剣「透明の剣」を構えて歯ぎしりする。
「シャケッ!シャケッ!シャケッ!」
開けた空間の中でなにかが
ウルグニ山の中腹で
このままでは修行の成果があがらないまま終了することになってしまう。
「シャケッ!シャケッ!シャケッ!」
突然ヌメヌメとした拳が赤髪のヒューマンの後頭部にべちり、とぶつかる。
「ぶつかる」と表現したのは、この生物の体液のせいで、ぬるぬると滑ってしまうので、殴られた痛みを全く感じないからだ。
しかし、次の瞬間、いつの間に前に回り込んだのか、今度は顔面を
「シャーケ、シャーーーーケ!」
やーい、やーい、と
…完全な挑発だ。
しかし、チャンスだ。
「~~~~~!!!」
赤髪のヒューマンは
しかし、それを
師匠の全力には到底かなわないが、相変わらずこの
1ヶ月以上見ている筈なのに、この
「シャケッ!」
「あっ!!」
凄まじいスピードでシャケが赤髪のヒューマンの脇をすり抜け、大空洞の出口目指して駆けていく。
両手の振りが凄まじく、指先が見えない。
高速回転している人間にそっくりのむき出しの太い両足も、太腿をしっかりと上げた
大空洞の出口で待ち構える師匠に向かって、「シャケケケケケケケッ!!!!」と叫びながら突っ込んでいく。
「…ふむ。相変わらず良い鮮度を保っているようだな。その持久力は良し!だが…
「!?」
気づくと、赤髪のヒューマンの目の前に師匠がシャケを片手に抱えて立っている。
ヌメリが凄いだろうに、この半熟卵の紳士にかかれば、シャケは捕獲も朝飯前だ。
『時渡り』同様、気合と根性でなんとかしているのだろうか?
「シャケシャケシャケシャケ…シャケケケッ!?」
シャケは捕まったことに気づかず手足をバタつかせていたが、しばらく経って例によってまた師匠に捕まったことに気づく。
「…」
「…」
シャケは師匠としばらく見つめ合った後、尾をだらん、と垂らす。
「…これを食べ
師匠はいつの間にか取り出したマグロジャーキーをシャケに手渡す。
「シャケッ!」
シャケは師匠の手からマグロジャーキーを引ったくると一心不乱に座り込んで食べ始めた。
最早マグロ以外なにも視界に入らない様子だ。
シャケがマグロを食う…。
何度見てもシュールな光景だ。
だが、シャケ―――「はぐれ
ガツガツ、とマグロジャーキーを
「…オルロ、今日まで
何度も繰り返し言われているものの、それがなかなか難しい。
「繰り返すが、吾輩の真似をしても意味はない。君には君の戦い方がある」
半熟卵の英雄―――ボイルは、弟子のオルロにそう告げるのだった。
――― アマイア暦1329年
<レイル共和国 カドマ村付近 ラフス川上流>
「偽の英雄」赤髪オルロは、大都市ネゴルの近くを流れる川―――ラフス川の上流でキャンプをしていた。
地図によれば、もう一息でカドマ村だ。
オルロたちのパーティ―――今では「女神のサイコロ」と呼ばれるらしい―――が解散してから、1年が経った。
オルロはこの1年、自分の記憶を求めてレイル共和国中を旅していた。
ボロドム大神殿、大都市テベロ、都市ルキニン、大都市レンス…。
主要な都市は順番に回ったが、いくら滞在しても記憶の扉が開かれることはなかった。
しかし、夢の通り、自分が魔神教の一員であるということは受け入れ
また、ロザリーなどの幹部と戦ったことは恐らく魔神教の知るところだろう。
こちらから接触すれば戦闘は必至だ。
夢が実際あった出来事であるならば、記憶がない今、魔神教との戦闘が増えれば増える程、気づかぬ内に昔の仲間と戦う可能性もある。
パーティの仲間に気兼ねしていることももちろんあるし、オルロの過去を知っているという魔神教徒が仮に今後出てきた時、どんな顔をして接すれば良いのかもわからなかった。
魔神教のことは詳しくはないが、ユージンの目を
それらの非道は決して許されるものではない。
しかし、一方で…。
オルロの脳裏にかつての仲間が浮かぶ。
自分の命を
彼女は本当に悪人なのだろうか?
同時にアルノルトの姿が浮かぶ。
「誰も死ななくて良い世界を作りたい」と彼は夢の中で言っていた。
あのユージンにそっくりなトントゥはどうも悪人には思えなかった。
キャンプの道具を片付けながらオルロは1年前に別れた仲間たちを思い出す。
仲間たちに会う以前の記憶が無いオルロにとって、彼らとの2ヶ月間の思い出が最も印象に残っている。
彼らといた日々は毎日が危険と隣合わせで、何度も死にかけたし、仲間も何人か失った。
オルロ自身も敵の攻撃を受け、両足を
だが…こんな考えは不適切かもしれないが…。
できるならば、またあの仲間たちとパーティを組み、旅をしたい、とオルロは本気でそう思っていた。
「…さて、そろそろ橋が見えてくる筈だが」
キャンプの後片付けが済んだオルロは出発する。
レイル共和国最長の川―――ラフス川はとても透明度の高い広く大きな川だ。
ウルグニ山から流れるこの川は大都市ネゴルを経由してマロフ海まで繋がっており、国土の1/4の長さを誇る。
水質も良く、様々な生き物が生息するので、時々珍しい魔物や魔獣が見つかることもあるという。
ここまで来ると北西にあるウルグニ山もはっきり見える。
ラフス川にウルグニ山、そして目の前には平原が続いており、しかも快晴だ。
気持ちが良い、とオルロは大きく伸びをする。
「あ、あれだあれだ」
そう口にしてから、1人旅を続けていると寂しくて、ついつい独り言が増えていかんな、とオルロは心の中で呟く。
オルロから見て左前方に巨大な木製の橋が見えた。
幅の広いラフス川で対岸に渡ることができる唯一の橋―――ロホ大橋だ。
これ以外で対岸に渡るには泳ぐか船でも無い限りは難しい。
オルロの義足は一応、防水だが、やはり積極的には水に入りたくない。
オハイ湖ではなにも考えずに連日湖に
あの時は通りすがりの親切なドワーフが義足を分解して油を差してくれたからなんとかなったが危うく行き倒れるところだった。
あれ以来、義足の分解を覚え、自分でも小まめにメンテナンスするようにしている。
流石に
オルロがロホ大橋の上を渡っていると、北西方向から大きななにかが飛んでくるのが見えた。
「!?」
鷲の翼と顔を持つ
「…あれはグリフォンか?まさかウルグニ山から降りてきたのか…?チッ、間に合えよ!!」
オルロはその場に荷物を降ろし、弓と矢、透明の剣と鋼の盾、他最低限の道具だけ手元に残してカドマ村へと走った。
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