無口なハサミは感化される、初対面の客人の話に。

 公園の中で、誇らしげにおすわりをしている犬の銅像。




 その犬の銅像は、いかなる時があっても動こうとはしない。




 たとえ、雨が降ろうと、風が吹こうと、雷が落ちようと。




 銅像だから動かないのか、動かないために銅像になったのか、




 犬はまるで、誰かを待っているように待ち構えていた。




 そう、誰かを、待っているように……






「銅像前ノマンホールッテ……ココ?」


 犬の鼻の下にあるマンホールを指さして、タビアゲハは確認する。

「ああ、この下にある。少し待て」

 そう言って信士はビジネスバッグの中から鉄の棒のようなものを取り出す。

「ソレッテ?」

「マンホールオープナーと呼ぶ。マンホールを人力で開けるのには無理があるから、これを使って開けるのである」


 マンホールオープナーを使い、信士はマンホールのふたを開けた。





 下水道に続きそうなはしごを、3人は足を踏み外さないように降りていく。


 降りた3人の目の前には、白い扉が現れた。


 看板のようなものは、ひとつもなかった。


「この扉自体、下水道にしては怪しいものだが」

 白い扉に触れながら、坂春が心配するようにつぶやく。

「坂春、貴様はまた見た目だけで判断しているだろう」

「み……見た目?」

 ゴーグルのようなものを付けながら語る信士の言葉に眉をひそめる坂春。その隣でタビアゲハは首をかしげていたが、すぐに理解したように眉を上げた。

「モシカシテ、下水道トハ違ウ?」

「正解である。ここはもともと防災用の倉庫として使われようとした。ここの設計者が変わったデザインにしようと、わざわざマンホールを使って下水道に似せて設計し、さっさと工事を始めてしまったのである。無論、工事は中止となったが、ほぼ完成状態となっていた。撤去するにも莫大ばくだいな資金がかかるため、放置されているのだ」


 そう言いながら、信士は扉を3回ノックする。


「信士だ。客人をふたり連れている」


 しばらくして、ガチャリと鍵の開いた音が聞こえた。






 扉の先は、3つのイスに3つの鏡、そして散髪用の道具が入ったワゴンだけがある殺風景な部屋。



 足を踏み入れた3人を待っていたのは、190cmの高さの巨大なハサミだった。




 刃の部分で床に立っており、持ち手の部分から黒髪を足元まで伸ばしている。




 ハサミの変異体は3人を見ると、受け入れるように深くお辞儀した。






「どんな髪形にするか、決めたか?」


 肩に白いシーツのようなもの……カットクロスを巻かれた坂春は、隣で雑誌を眺めているタビアゲハにたずねる。

「ウン、モウ決メタ」

 同じようにカットクロスを巻かれ、頭のフードを下ろしているタビアゲハ。


 タビアゲハには眼球と呼ばれるものはなく、代わりに目の中から触覚を生やしている。


 彼女は坂春に向かってうなずいた後、ハサミの変異体に見せるように雑誌の写真を指さした。

 ハサミの変異体は何も言わずにうなずくと、長い髪の毛の一部を動かし、ワゴンから道具を取り出し始める。


「坂春はもう決めたのか?」

 反対側の信士はゴーグルをつけた顔を坂春に向けていた。

「ああ、ちょっとイメチェンも考えたが、やっぱりこのままがいい」

「結局はそうなるのであるか……まあ、我輩も少しだけ切ってほしいのだが」






 ちょきん


 ちょきん


 ちょきん


 ちょきん




 ハサミの変異体は、長い髪の毛ではさみを3つ持ち、イスに座っている3人の髪の毛を同時に切っていく。




「……」

 タビアゲハは、触覚を仕舞いまぶたを閉じて、首を動かしていた。

 それをハサミの変異体は残った髪の毛で、タビアゲハの首を固定する。


「今日は疲れていたのか……ゆっくりおやすみ」

 その様子を横目で見ていた坂春は微笑ましそうに唇を上げる。

 さらにその様子を横目で見ていた信士は、大笑いするのを必死にこらえ、前方の鏡を見て深呼吸をした後、口を開いた。




「しかし、坂春も変わった」


「ん? そうか?」

 坂春も目線を鏡に戻し、答える。


「我輩が貴様と初めてあった場所を覚えているか?」


「ああ……海の近くのホテルだったか?」


「ホテルのロビー近くのトイレで、確か貴様は腹を壊して個室に閉じこもっていた」


 坂春はしばらく黙っていたが、「ああ」と大声を出しながら数回うなずいた。


 そして、すぐにハサミの変異体の髪の毛に首を固定された。


「……思い出してきたぞ、確かあの時、紙が切れていたんだ。頭の髪ではなく、トイレで使う紙をな」


「貴様はたまたま隣にいた我輩に、紙をくれと頼んだ」


「窮地を脱出した俺は、礼を言うためにおまえを追いかけてロビーに向かった」


「最初は無合いそうな顔だった。しかし、我輩の商品に興味をもった瞬間、貴様は笑顔になった……」


「あの時は久しぶりに笑ったなって心で感じていたな」


「今日、バスで再会した時、貴様は常に笑顔だった。この世界に価値はないとほざいていた、貴様がな」


「あの時は同じ場所から見ていたんだ。まったく動かずにな」


 信士は首を動かさずに、もう一度横目でタビアゲハを見る。


「タビアゲハ……といったか? 彼女とはどこで出会ったんだ?」


「あの時、おまえが知り合いの発明家を紹介しただろう。あいつからローブのモニターを頼まれて、モニターをしてもらえる化け物を探していたんだ。最初は1日で別れるつもりだったんだがな」


「彼女の影響を受けたんだな?」


「ああ、この子は自分の触覚で世界を見せてくれと頼んできた。だが俺は、この子に期待しているんだ。この世界の価値を見せてくれ……とな」


「……それで、貴様の言う価値は見つけられたのか?」


「いや……だけど、俺はこの子のおかげで、盲点も見られるようになったんだ」




 ハサミの変異体の動きが、一瞬だけ止まって、すぐに作業を再開した。







「坂春サン……ドウカナ?」


 散髪を終え、タビアゲハは自分の髪形をふたりに見せていた。


 顔を覆い被さっていた前髪は眉までの長さまで切られており、上半身まで伸びていた髪は肩までに落ち着いている。

 髪の先は少しだけカーブをしており、まるでオオカミの毛先のようだった。


「長めのウルフカットか? セットとかは大変じゃないのか?」

「ダイジョウブ。モトモト髪ノ毛ノ先、クルクルシテイルカラ」

 人差し指で髪の毛の先をなでるタビアゲハ。

「さて、我輩たちはこれで失礼する。また客人を見つけたらここに連れてくるから、ここで待っていろ」


 信士はハサミの変異体に告げると、イスの側に置いたビジネスバッグを手に、扉から部屋を出て行った。


 続いて、バックパックを背負った坂春が、


 最後に、タビアゲハがはさみの変異体に手を振って部屋を出て行った。






 ハサミの変異体は、奥のイスの隣に置かれた、古めのバックパックを目にした。


 変異体は入り口の扉をちらりと見ると、しゃがんでバックパックを眺め始める。


 しばらくすると、何かを決心したようにうなずき、


 髪の毛を腕のように、肩ベルトに通し始めた……




「ア……ゴメンナサイ」


 タビアゲハの声を聞いて、ハサミの変異体は髪の毛をバックパックから引っ込めた。


「忘レ物……シチャッテ」




 タビアゲハはバックパックを手に取ると、すぐに部屋から立ち去っていった。

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