第6話 不二くんは、振り回される#完

 気付いたらもう昼休みだった。食堂に向かう少女らの群れが楽しそうに蠢いている。俺はそれを横目に見ながら、フランスパンを貪っていた。硬さは辛うじて感じるが、味はしない。ストレス性のものだろうか。味覚がなくなっているような気がする。

 世界に色がなくなって行くような気がした。視界がどんどん狭くなる。

「——この空の青さは、世界の終りを予見している」

「ん?奏太、何か言ったか?」

 日吉が当たり前の様に目の前に座っていた。いつものように大きな弁当箱を開いて、わんぱくな顔をしている。

 朝から授業に集中できず、前の席の黒木の背中ばかり見ていた。彼女は熱心に板書を写しており、昨日の少女とは別人のように物静かだった。目を逸らそうとしても、最前列の中央という嫌でも目に入る席に座っているので、できなかった。最終的には黒板を見るのをやめて、机に突っ伏して蹲っていた。先生には幸いながら注意されなかった。普段は真面目に受講しているからだと思う。多分、夜遅くまで勉強していたのだと思われている。ごめんなさい、先生。期待に沿える人間じゃなくて……。

 昼休みを迎え、刻一刻と放課後の時間に近づいていることに気が付いた。普段ならば、退屈で長く感じる古典の授業も、体感十分ぐらいで終わってしまった。

 ……もうこのまま失踪したい。不二奏太先生の次回作にご期待ください……。

「元気出せよ奏太!なんとかなるさ」

「日吉、少し黙れ」

「辛辣すぎる⁉心配してやってんのに!」

 こういう元気な奴と一緒にいると、大概は俺にも元気がもらえるのだが、今日は例外だ。腹が立って、ついつい辛辣になってしまった。

 辛辣?そういえば、優はどこにいるのだろうか。

「日吉、優は?」

「は?お前何言ってんだよ。優今日は学校休んでるだろ」

「え?なんだって?」

「お前ホントに朝から何も考えてなかったのかよ?体調不良で学校休むって連絡来たぞ」

「あぁ、だから今日は優の姿を見なかったのか」

 心底呆れた様子で日吉は飯を食っている。

 朝から何も考えずに生活していたため、優がいないことにも違和感を感じなかった。そう言えば今朝、日吉が俺に何かを言っていた気がする。優の欠席のことだったのだろうか。

「大丈夫なのか?優は」

「ん~?お前よりは元気なんじゃね?」

「……」

「元気出せよ奏太。別に大したことないじゃないだろ?もしかすれば告白されるかも」

「どうしてこの展開で告白されると思うんだ?」

「まぁ、そのなんだ?秘密をバラされたくないんだろ。というか黒木の秘密ってなんなんだ?」

 日吉には昨日相談のラインをした。その際にはBL本を買いに来ていたことは『秘密』としか書かなかった。黒木にバラすなと言われているからだ。そのため、俺の部屋を見られたこと、そして彼女に脅されるかもしれないことの相談をした。日吉からの返信は「なんだそれ」の一文だけであった。

「日吉、それは言えないんだ」

「なんだよそれ?とにかく元気出せって!事情は分からないが、なんとかなる」

「日吉、今日はやけにプラス思考だな」

「へへっ、実は昨日、大会のドローの抽選会があったんだけどよ、強豪校と決勝まで当たらないんだ。違う山に強豪校が固まってくれたんだ」

「そうなのか。甲子園も夢じゃないか?」

 そう聞いたとき、日吉の表情が明らかに曇るのが分かった。これまでの威勢がなくなった。

「それは、まぁ……。決勝は行けるかもしれないけど」

 俺たちが通う高校は公立高校だ。いくらドローの運が良くても、私立高校相手に勝ち上がるのは極めて難しいだろう。うちの高校も甲子園出場経験が何度かあるほどには強いらしいが、近年は県大会の準決勝が関の山だ。

 俺は日吉に無理なプレッシャーを与えてしまったことに自責の念に駆られる。部外者が分かったような口を叩くべきではない。

「簡単に言ってしまってすまない。口で言うのは簡単だよな。悪かった。……とにかく俺は少しでもいい結果を期待しているからな」

「いやいや、謝るなよ!応援してくれてるのは十分分かってるからさ。期待に応えられるようにするよ」

 それに、と日吉は続ける。

「公立高校が甲子園に出たら漫画みたいだよな。不可能ではないと思うし。何より双葉先輩を甲子園に連れていきたい」

「双葉先輩というのは?」

「……実は、キャプテンの双葉先輩が靱帯断裂で最後の試合に出られなくなったんだ」

「……そういうことか」

 一瞬、後輩が先輩を連れていくなんて、偉そうだなと思ったことを反省した。

「その先輩の背番号を俺が引き継いだんだよ。断ったのにさ。『レギュラーが着けるべきだ』って言いながら」

「まさか双葉先輩はショートなのか?」

「そう。——俺はレギュラーなんかじゃないんだよ。双葉先輩の代役さ」

 日吉は俯いた。眉間に皺が刻まれる。勇敢な兵士のような精悍な顔つきで、大きな弁当箱を睨むように下を向いている。

 日吉がこんなことを言うことは珍しくない。謙遜して驕らない性格だから、これまでもそんな旨の発言はあった。

 しかし、今日の日吉は謙遜して「レギュラーなんかじゃない」と言ったのではない。双葉先輩の代役が自分であるということに納得できず、不安で仕方がないのだと思う。

 俺はこんなときになんと言えばいいのだろう。そんな言葉もすぐに出てこない自分に嫌気がさす。いくら勉強ができても、友人を労う言葉の一つや二つも出てこないならば、俺の存在なんて何の価値もないではないか。


「——そんなことないわ」


 俯いた俺と日吉はその言葉に驚いて顔を上げた。


「あなたは実力でレギュラーになったのよ。違うかしら?」

 

そこに現れたのは黒木だった。

「怪我をしないというのも実力の内よ。双葉先輩にどんな理由があろうと、試合に出られないなら実力不足ということなるわ」

「おい黒木、そんな言い方はないだろ」

 俺の忠告も眼中にないのか、黒木はただ一点、日吉の瞳を見つめていた。

「それに双葉先輩という方以外に、あなたに実力で及ぶ選手はいないのでしょ?だから監督はあなたを選んだのよ。必要だから使っているの」

「……」

「だから代役という考え方はやめた方がいいわ。レギュラーになれなかった選手に失礼だし、何より双葉先輩という方に失礼だわ」

 言葉だけを切り取れば厳しいものだったが、優しい表情で話す黒木には日吉を思いやる気持ちが簡単に見て取れた。

「だから胸を張って試合に臨みなさい。応援しているから」

「……おう、サンキュ」

 俺は唖然としてしまった。日吉とほとんど交流がないであろう黒木が、ここまで彼のことを考えたことを言えるなんて。近くにいる俺は一言も声を掛けられずにいたのに。自分の不甲斐なさに思わず嘲笑してしまいそうだ。しかし彼女の「そんなことないわ」という一言は、俺の自己否定すらも打ち消してしまいそうなほどの強さがあった。

「ええと、黒木、さん?なんか用か?奏太に」

 日吉は動揺を隠すように、俺の方を横目で見て言った。

「そうだったわ!不二君、あなた昨日の約束を忘れてないでしょうね?放課後に第一資料室で待っているから」

「へ?あ、はい」

「じゃあね、日吉君、不二君」

「「……あ、あぁ」」

 疾風迅雷。彼女はまたすぐに姿を消した。



「(あいつ何者なんだ……)」

 黒木が去ったあと、俺と日吉の間には沈黙が流れていた。

 硬いフランスパンをかじると、薄い味を感じた。先程までは味を感じなかったのだが、香ばしい味がする。

「よく考えればなんで俺はフランスパンだけしか持って来ていないんだ?」

「今更かよ!」

 日吉の声に明るさが戻っていた。

「奏太、ホントに黒木ってすごい奴だな」

「そうだろ?滅茶苦茶ごういn——」

「めっちゃいい奴じゃん!」

 そうか日吉にとってはそうなるのか。

「うわ、なんか頑張ろ。いやー肩の力が抜けてくるわ」

 日吉は黒木のお説法に感銘を受けたらしく、目を輝かせていた。

「奏太!なんか事情があるらしいけど、あんないい奴が脅すとかそんなことするわけないだろ。きっと頼み事かお願い事だと思うぜ」

「確かに……。悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなってきた」

 よく考えれば、邪推し過ぎていたかもしれない。話があると言われただけで、過剰に反応していた。黒木は関わりのない日吉にさえ思いやりの言葉を投げかけてくれた。そんなに優しい人が、俺を脅すなんてことするはずがない。

「そうだぜ奏太!きっとなんでもないさ」

 日吉はでかいフラグを立てて、にこっと笑った。


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