第2話 不二くんは、振り回される#1

【一、不二くんは、振り回される】


 兵庫県の南部に位置する、白竜館高等学校。山の中を切り開いた場所に建てられた高校は、多くの生徒が通う私立高校である。私立高校ではあるが校舎は古く、良く言えば趣のある、悪く言えば古臭い雰囲気の外観をもつ。白竜なんて大層な名前を模しているが、至って普通の学校である。偏差値は低くはないが、難関という程ではない、それがこの高校の寸評である。

 土日明けの今日も、朝の陽射しを浴びて多くの生徒が登校している。


「というわけで、俺はラノベを書くことに決めたのだが……どうだ?面白そうだろ?」

「ゴミだと思うよ」

 騒がしい朝の教室で、着席している俺に罵声を浴びせてきたのは師道優だった。優は小学校からの同級生で、ロシアと日本のハーフ。色白で女性らしさを感じるが正真正銘の男子だ。金髪碧眼でいい匂いがするが男である。

「優、お前名前に『優しい』って付いているのに全く優しくないな」

「そうかな?はっきり言ってあげるのも優しさだと思うけど?」

「グサッ」

「その反応も気持ち悪いよ。なんでダメージを受けた効果音が口から出るのかな?バカなの?」

 辛辣過ぎるコメントを吐き捨てるように言った優は欠伸をしながら、軽く伸びをした。その姿がどこかセクシーであったが、こいつは男である。

「というか奏太。なんでそんなに百合が好きになったの?前までは普通のキモオタだったのに」

「一言多いぞ優。なぜ百合が好きになったかだって?それはな……とあるギャルゲーを通販で買ったんだ。イラストが好みだったから、あんまり内容を確認しないまま買ってしまい、いざプレイしてみたら、主人公は女の子だし、男性キャラもほとんど登場しない代物だった。吟味しなかった自分が悪いのだが、正直騙されたと思ったよ。でもせっかくだからプレイしてみるとだな、意外にも面白いんだ。百合モノなんて、初めてで———」

 優が白い目で見ていることに気が付いて、俺は話すのを中断し、軽く会釈した。

「早口、きもい」

「お前それは酷くないか?」

「朝から友人の性癖なんて聞きたくなよ」

「いや違うぞ!そういうことじゃない。あくまでプラトニックな関係の百合が好きなんだ」

「どっちでもいいけど。……それより自分を主人公にした小説を書こうとする方が理解不能なんだけど」

「うぅ……。分かった。もう一回設定を練り直すよ」

「僕の話聞いてた?」

 優は呆れた顔をして、俺の前の席に横向きに腰掛けた。その席は野球部の日吉海斗の席だった。野球部は一限目が始まるギリギリまで早朝練習に励んでおり、日吉もまだ姿を見せていなかった。

「でもいいよね、奏太はさ。好きなものを好きだって言えて」

「……な、なんだ?意味深な口ぶりだな」

「いや、そのままの意味だよ。自分に正直というか。恥も外聞もないというか」

「一言多くない?」

「ごめんごめん。でも本当にそう思うよ。素直に良いなぁって」

 消え入りそうな声でそう言った優は、虚ろな表情を浮かべていた。俺はそれを疑問に感じたが、問いただすようなことはしなかった。

 少し気まずい空気が流れたのを察知するように優は話を切り出した。

「じゃあさ、クラスの女子とかがイチャイチャしているのを見るのも、奏太的にはアリなの?」

「うーん、そうだな。気分が高揚する」

「えぇ……」

 ドン引きといった様子の優であった。冷ややかな視線をこっちに向けてくる。やめてくれ!俺をそんな目で見ないでくれ!

「でもさ奏太、露骨に女子たちのこと見るのはよくないと思うよ」

「あぁ、それは気を付ける」

「よろしい」

 優は何故か満足な顔をしてそう言った。

 その後も優と他愛もない話をしていたら、一限目の授業の開始五分前のチャイムが鳴った。クラスメイトたちはほとんど着席しており、部活動の早朝練習があった人は慌ただしく授業の用意をしていた。しかし、日吉海斗を含む野球部の面々はまだ姿を見せていない。

「それにしても、海斗遅くない?」

 優が少し心配そうに言った。そして日吉の席から立ち上がり、その隣の自席にちょこんと座った。俺から見て右斜め前が優の席であり、彼は日吉が席を外しているときはよく日吉の席に座っている。普段はこの時間帯になると、日吉が制汗剤の柑橘系の匂いを纏って現れるのだが、今日はいまだに現れない。何かがあったのだろう。

「なんだろうな。野球部が全員来ていないな」

「汗臭い匂いを嗅がなくて済むからいいけど」

「(本人が聞いたらとても傷つきそうだな……)」

 梅雨が明けて、段々と暑さが増してきているため、運動部員たちは制汗剤を使う。しかし結果として、様々な匂いが交じり合い、教室内を混沌とした香りが充満している。日吉もかなり強い香りの制汗剤を使うため、優にとっては嫌な臭いなのだろうか。

「海斗って一年中汗臭そうだよね」

「言ってくれんじゃねぇか優くんよぉ」

 ビクッと優が身震いした。後ろから声の主が優にガバっと抱き着いた。

「ちょっ、やめてよ。汗臭さい~」

「おい!本人の前でそんなこと言うんじゃねぇ!傷つくだろ」

 海斗はそう言いながら、優のサラサラとした髪を手でぐしゃぐしゃにした。海斗はすごく楽しそうな表情を見せている。

「もう!海斗に触られたらハゲちゃうじゃん」

「うるせぇ!俺はハゲてねぇ!」

「お、おい。お二人さん。イチャついてないで授業の用意をしろよ」

 俺は軽く注意したが、二人はまだ小突き合っている。ん?何この二人。付き合ってるの?距離感がカップルの『それ』なんだけど。

 海斗は気が済んだのか、座っている優の後ろを通って、自分の席にどかっと座った。

俺はそのときあることに気が付いた。俺のクラスの委員長の黒木美麗が恍惚としてこちらを見ていた。うっとりとした表情に思わずどきりとしてしまう。そして最前列の真ん中に座っている黒木は、俺が見ているのに気が付いたのか、おもむろに目線を逸らして、背筋を伸ばして前を向いた。

「日吉」

「あ?なんだ」

「お前黒木に惚れられているのか?」

「なっ、なにが⁉何を根拠にそんなこと」

「黒木が今お前の方を見て、見たことないほどだらしない顔していたぞ」

「マジ?」

 日吉は息を殺して、そっと黒木の方を見た。彼女は相変わらず背筋を伸ばして着席していた。正に座れば牡丹だ。彼女の腰まで届くロングヘアがサラサラと風に靡く様は、とても絵になっている。

「いやいや、それはないだろ」

 日吉は渋い顔をしてこちら向き直した。そして、カバンから端の折れた教科書を取り出した。

「そうだね。それはないよ」

「優、お前さっきからあたりが強くないか?」

「ごめんごめん。でも黒木さんが海斗に気があるなんて考えられないな。天変地異が起きてもないと思うよ」

「だから言いすぎだろっ!」

 それもそうか。黒木は真面目な奴だろうし、日吉みたいなタイプは好きではないかもしれない。黒木とほとんど接点がないので、どういう奴だと断言することはできないが、多分こっちを見ていただけであろう。

「……まあ、日吉はないよな。うん」

「奏太?お前考えていることが口から漏れてないか?」

「いや、わざとだ」

「もっとタチが悪い⁉」

「奏太いいね!」

「何に対しての賞賛だよ⁉」

 また優と日吉が言い争いを始めかけたとき、数学の教師が扉を開けて入って来た。一気に静まり返る教室の雰囲気に、俺は少し笑いそうになる。数学の吉見先生は既に半袖のポロシャツを着ていた。背中に汗がにじんでいる。

 間もなく授業開始のチャイムが鳴った。開いた窓から爽やかな風が吹き込み、俺の頬を撫でる。七月一日の朝は快晴だった。まだ東に位置する太陽は穏やかな光を放っている。もうすぐ気温が上がってくるのだろう。太陽の光を浴びたアスファルトが熱くなり、その熱がじわじわと辺りの温度を上げる。夏が始まる。そんなに大袈裟なことではないけれど、高揚感に駆られる。

 俺は黒木がなぜこちらを向いていたのかということが気掛かりだった。しかし、始業の挨拶が終わると、黒木のことなど蜃気楼の様に俺の記憶から消え去った。


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