第20話
「あ、鈴木さん!」
「よぉ!圭ちゃん。島さんもやっぱり一緒だったかい。ちょうど寄ったら圭ちゃんのZ3が止まってたから」
微笑ましい顔で酔っ払いなど眼中にないとばかり鈴木さんは続ける。
「てっきり今日の話じゃ、来ないと思ってたんだけどな~」
「え・・ええ。そのつもりだったんですけど、鈴木さんの話し方が良かったからつい・・」
と、圭ちゃんはそれとなく目で知らせるものの、酔っ払いも鈴木さんを見てからは、さっきまでの勢いは消え失せ据わっていた目は泳ぎ気味だ。
「吉田さ~ん。酒は楽しく飲もうって、この間俺が教えたでしょ?」
ニメートル近い長身から見下ろす視線もただならないが、元格闘家と言うおまけまで付く、鈴木さんの笑顔の中に見える眼力は鋭い。
「あ~・・いや・・なに・・あ~今日は飲んで・・ねぇ~ちゅうか~」
「じゃ~これは前の人の残り物って?」
と、鈴木さんは男の肩をポンと叩く。その拍子に男の身体がビクッと反応した。
「いや・・・・残りもんちゅ~か・・・・」
「こっちの人は俺の知り合いでね。ここの常連でもある全日本夜叉連合のみんなも世話になってるショップの人だから、変な言い掛かりつけると二度と酒なんか飲めなくなるんだよ」
「言い掛かりだなんて・・・・俺っちは独り言言ってただけなんで・・・・」
「独り言?それにしちゃ威勢が良かったようにも聞こえたんだけど」
腰を屈めるようにして男の顔を覗き込んだ瞬間、男はガタガタと椅子の音を立てながらよろよろ立ちあがると、テーブルの上にポンと金を置き、そそくさ外へ出て行ってしまった。
「いや~鈴木さん助かったよ~。まったく癖が悪くってな~」
と、にこやかに親父が話し、また店内はざわめきを取り戻して行く。鈴木さんの知り合いなのか、手を叩く人の姿も見られた。
「それにしても鈴木さん良いタイミング」
「そうかい。虫の知らせって奴かな?あれでも飲まなきゃ悪い人でもねぇんだけどな。まぁ勘弁してやってくれ」
「いえ・・それはいいんですけど・・・・あれ!?これからですか?」
「ああ、夜行でな。それよりどう?結構いけるだろ?」
「本当!これうまいですよ」
「さっきもそんな話をしてたんだよな?」
「良かった。島さんにもそう言ってもらえると」
「こんなうまい店を紹介してもらったんじゃ、今度は値引きも頑張らなくっちゃな」
「いや、そんな・・・・じゃ、例のハシゴセットもう少し何とか・・・・」
「わかった。なんとかしましょう」
「さすが島さん。話せる~。ここに来たら何か良いことあるような気がしたんだよ」
「もう鈴木さんは調子が良いんだから」
和やかな笑いが響いた。
「あ、鈴木さん。ここ空きますから」
「そうかい。悪いね。そうそうまた近いうちに寄るから」
「気ぃ悪くしないで、また食べ寄って来てくださいね」
鈴木さんと店主の声に見送られ、店を出たものの心は顔ほど笑えずにいた。自分の車で来るべきだったと言い出せば、嫌な愚痴に聞こえるのではないかと、私は口を噤んだ。圭ちゃんも同様に黙り込んでいる。恐らく、とんだ酔っ払いがいる店だと言いたかったに違いない。だが、それを言えば誘った私に嫌な思いをさせてしまうだろうと、気遣っているのが感じとれる。互いに掛ける良い言葉が見出せなかったのだと思った。
先に口を開いたのは圭ちゃんだった。車に乗り込むなり、
「トップ開けましょうか?」
と、私に訊く。言い出せない心中を何かで紛らせたい気分だったので、
「そうだな!」
と、歓迎したように応じる。寒いなんて考えもしなかった。それどころか、雨でも首を縦に振っていたかもしれないと思った。
トップ前方の両脇にあるレバーに、圭ちゃんの手が伸びるよりも早く、私の手が右のレバーを掴んでいたからだ。やり方だけは何度も見て知っていたにしろ、手伝ったのはその時が初めてで、いつもはトップが消えて行くのを、座って眺めているだけだった。もちろんそれにはちゃんとした理由があって、手を貸す前に開いてしまうのである。
とにかくトップを開ける圭ちゃんのスピードは早い。それほど気分を変えたかったのだろう。
調子が狂って戸惑う圭ちゃんは、手を止めたまま私の顔を見つめて、フッと笑みを浮かべた後、左前のレバーを握り直す。私も笑った。
合図は要らなかった。瞬時の間にトップが後方へ飲み込まれるように収まると、開ける前と変わり映えの無い色の空が二人の頭上に広がる。気持ちが解放される爽やかな黒だった。そして、布切れ一枚でこれほどの世界の違いを感じられる、オープンカーの魅力を垣間見たような気がしてならなかった。
「でも喧嘩にならなくて良かったですね~」
国道へと飛び出しオープン気分に浸り出した頃、風の音にかき消されない程度の声で圭ちゃん。
「ああ~まったくだ」
風の中を飛んでいるのではないかと浮かれながら声を返す。
「殴り合いでもなったら、島さん、明日凄い顔して行くようでしたよ」
「・・・・・・」
「・・・・!?どうしたんですか?」
「いや・・なに・・・・オープンって良いもんだな~って」
ふと頭に過ったことを言い出せなくて、つい答えをごまかしてしまった。もし圭ちゃんの言うように顔を腫らして行ったとしたら、彼女はどんな顔で私を見るだろうかと考えていたのである。
「けっこう気持ちいいでしょ~、だけどあの支那蕎麦はうまかったですね~」
「ああ、あれはうまかった~!今度また行こうな~」
「ええ~。またこいつで行きますよ~」
「よっしゃ~!次は最初から開けてくか!」
思い浮かべたことを振り払うようにおどけた。
───十四日、修検当日。
清々しい朝と言えど、やっぱり三月の朝はまだ寒い。それに慣れない時間のせいか日差しが眩しかったりもした。いい天気だった。
一時間早く家を出るということは、こんなにも違うものかと私はその朝を新鮮に眺めた。
普段行っている午前中の教習は、仕事に出る時間と一緒でちょうど良いのだが、それでも教習所が西に位置するため、十五分は暇を潰さなければならない。つまりは四十五分もあれば着くと言うことになる。朝の通勤時間と重なるとどうだろう。深夜、寝床の中であれこれ考えた。
五月橋が混んだとしても、十五分・・・・いや、三十分みればまず大丈夫と、出発時間を七時十五分に決める。ただ実際は支度などでそれよりも五分程度遅れてしまった。
道路に出ようとすると、まず頻繁に来る車に改めて通勤の時間帯を感じ、走っても小学生の登校する姿などが目に飛び込み、見慣れない光景があちらこちらで広がっている。
交通量の多さから走り辛いところがあっても、思ったより流れもスムーズだったため、また教習所で退屈な待ち時間を、どう過ごそうかなどと頭には余裕があった。
しかし、それは五月橋の遥か手前までの話だった。
突然、目を疑いたくなる場所に渋滞の最後尾が見えたものだから、呑気な思いは一転した。あまりに予想外の場所だったからだ。
時計を目にとりあえず後ろに着くものの、このまま並んでいたのでは、多分間に合わない。そう閃いた私は裏道へと入る。急がば回れと言うやつだ。入りながら数台特徴のある車を確認した。そうすることにより、渋滞の流れが把握出来るからである。
赤と白を基調としたタンクローリーと、その前を行く青のキャリアカーを目印にした。
何台か同じことを考えた車が、通りの少ない道を軽快に飛ばして行く。時々横目に映る渋滞の列。ほとんど進んでいないようだ。赤白と青は見えなかった。
混んでる国道とほぼ平行に走っている裏道は、数台の車が見えるだけで、どんどん橋へ向かって近付いて行く。裏道を知ってて良かったと思った。
順調に進む中、橋のすぐ手前まで行くべきか、途中国道へ出た方が良いか、出るとしたらどこでと考えを巡らせる。平行して走る道は途中までである。従って橋の手前まで行くとすれば、そこからは民家の路地をくねくねと走らなければならず、ほとんど走ったことがないルートはあまり気が進まない。
T字路に突き当たり右折し国道に向かえば、前方にはびっしりと繋がる車の列。目印を探すが見つからない。このまま直進して渋滞に潜り込むか迷い時計を見る。
まだ間に合う。
少しでも回避したい思いから途中で左折し、民家を摺り抜けるルートを選ぶと、ひたすら橋に出る信号を目指す。だが、くねった狭い道は思うように飛ばせない上、すれ違う対向車等でハンドル操作だけはせわしく、この道で良いのかとの不安も付きまとう。ようやく渋滞の列が間近に迫ろうとする場所に出れば、あとは曲がるだけの一本道であるとホッと胸を撫で下ろし、見切りの悪いT字路を慎重に進む。
直ぐさま裏道を来た車たちの後ろに並ぶことになるのだが、この狭い道もやはり渋滞がないわけではなかった。それでも今度はあとわずかな距離とじっと待った。国道も信号も見えなかったとは言え、三十台ほど連なっていただろうか。どのくらいの時間を稼げたかと時計を見た。まだ間に合いそうだ。
やがて、時間だけが進み車はほとんど進んでいないことに気付く。開始二十分前だった。少しだが車が進む。またしばらく動かない時間が続く。二、三分はあっと言う間だった。
車が動き信号が目に入る。十五分前を時計は表示している。じっと長い列を眺めていた。
青に変わる。赤に変わった。
だが、国道の渋滞のせいで、こちらからは一台も進むことが出来ない。これが進みの悪い原因かといらだつ。間に合わないかもしれない。無情にも刻み続ける時間に気ばかり焦っていた。
十分前だった。
最早、普通に走って間に合う時間だと思った。数台分前進して立ち止まる。
並ぶ車は十台程度まで減ったが、五分前の表示を見てとても無理だと思い、携帯を取り出した。
《はい。西教習所です》
女性の声が聞こえた。渋滞で十分ほど遅れると言う用件だけ伝えた。
《ちょっと、お待ちください》
と、言った後、
《あの、所長。島田さんなんですけど、ちょっと遅れるって電話が───》
聞き取り辛い携帯を耳に押し当てていると、そんなやり取りの会話が聞こえた。
《え!?誰!?》
と、所長らしき声。
《島田さんです》
そこからは何も聞こえなかった。
決められた時間に間に合わないのだから、仮に断られても仕方のないことだと思ったが、今朝のことがまるで無駄になると思うと、やるせない気がしてならなかった。
どんな答えが来るのだろうと、何げなく待っていれば、青色のキャリアカーと紅白のローリーが、目の前の信号を通過して行く。呆気に取られながらそれを見送った。
間違いなく早いと踏んで入った裏道が、悪い結果を招いたことに落胆の色を隠せなかった。
《もしもし》
「あ、はい」
《じゃあ、なるべく早く来るようにしてくださいとのことですから》
文明の利器に救われたと思った。大きなため息と一緒に張り詰めた焦りを吐き出した。
(まずは、良かった)
との安心感に笑みがこぼれ、ふと、先ほどの声の主を思い出す。
(あの声は彼女だったんだろうか・・・・)
ぼんやりと時が流れた。
その後、五分も経過しないうちに国道に出られ、何事も無かったように車は流れた。十分後、駐車場へ車を乗り入れ足早に建物へと向かった。
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