第27話 潜入


 サロメを救出する。


 そんな目標を打ち立てたリザだったが、それがどれだけ難しいことかリザも理解していた。無策で突っこめば必ず返り討ちにあうだろう。理解はしていたがここでは退けない。


 まず、サロメがどこに連れていかれたのかを調べなければならなかった。初手でつまづいてたしまったリザに助言したのはジルだった。


「見張りがいなくなったって言っても、全員じゃないと思うんだよね。たぶんリザのことも探してるはずだよ。そいつを見つけ出して尾行すればいいんじゃないかな」

「なるほど! でも探してる相手に尾行されてたら絶対に気付きますよね?」

「ってことで、リザは見た目を変えるべきだ」


 ジルがテーブルに広げたのは、男性用の服一式だった。ブラウスにベスト、ズボン、帽子――今まで身に付けたこともない服ばかりである。


「男装しちゃえば気付きにくいでしょ。帽子で顔も隠せるしね」


 ジルに貸し出された服を身にまとい、肩甲骨までの髪はまとめて帽子の中に押し込んだ。帽子を目深にかぶれば街を歩く少年の完成だ。


 リザは堂々と街に繰り出した。喋らなければ案外分からないもので、すれ違う人には一瞥もされなかった。リザは自分と関係の深い場所を順番に巡った。


 元々住んでいたアパルトマン、その次に住んだ古いアパルトマン、公爵から譲られた邸宅、よく訪れていたカフェやレストラン、買い物をした場所、世話になっていた隣人たち。


 思い返せば、リザの世界はずいぶんと広くなっていた。今まで今日をどうやり過ごすかしか考えていなかったのに、明日はどうなるのかとか、サロメは何をしているのだろうとか、想いを馳せることが多くなっていた。


 リザは帽子のつばを少しだけ上げた。


 すべて彼女に出会ってからだ。サロメが、空白だった毎日を色鮮やかに塗りつぶしたのだ。


「……振り回されて迷惑なことばっかりだったけど。でも、それでも、楽しかったんですよ」


 リザは足を止めた。目の前にそびえたっている建物は、ずっとリザが働いていた劇場だ。


 日々をぼんやりと過ごしていた場所で、諦めを覚えた場所で、そしてサロメ・アントワーヌと出会った場所である。


 劇場はまだ開いていなかった。人は前を通り過ぎていくだけで、足を止めて眺める者はいてもそこに留まるわけではない。リザも大きな扉を見ただけで、ゆっくりと歩きだした。


 視線は自然に動かしながらあたりの人影を探る。歩みは止めず、テラス席に座って珈琲を楽しむ人々や、止まっている馬車の中をちらりと見た。特段おかしなところはなく、穏やかな昼下がりだった。


 リザは裏路地へと入った。わずかな下水のにおいが鼻について、居心地がいいとはとても言えない。リザは早足に通り抜けると、近くにあったカフェに避難した。

食事終えた頃には一時間くらいたっていた。


 時間を置いてから、リザは何気ない顔で同じ場所を通りがかった。劇場の前をゆったりとした足取りで進んだ。帽子の下で視線を這わせる。


「あ……」


 リザは口ごもりながら呟いた。


 カフェのテラス席で座っている一人の男に見覚えがあったのだ。リザは決して足を止めることなく、じろりと全身を眺めた。くたびれた茶色のジャケットと、黒いズボン、ふかしている煙草。ガラスの灰皿には大量の吸い殻が重なっていた。男はずっと劇場の方を向きながら、頬杖をついていた。


 リザはぶるりと身を震わせる。両足が浮くような感覚だった。


「見つけた……かも」


 目を見開いたまま口元を歪めた。


 リザは一度仕立て屋に引き返した。ジルに報告し、出る準備を整えた。革鞄に必要なものを詰め込んで肩からかける。大して何もなかったので軽かった。


「準備終わりました。いつでも行けます!」


 にっと笑うリザを見て、ジルは一瞬だけ口を開いた。すぐに閉じて、言うか言わないか迷うように視線をさ迷わせる。リザが首を傾げると彼はため息を吐いた。


「……後さ、これ」


 ジルは机の引き出しを開けると、何かを取りだした。照明に照らされて艶やかに輝くそれを机の上に置く。


「あの女が置いて行ったものだと思うけど」

「……銃!」

「これは必要なの?」


 ますます傷の増えた銃は高価なアンティーク物だ。ジルの顔は暗かった。リザはくすくす笑うと銃を滑らせて返した。


「その銃、弾が入っていないんです。役に立たないって分かってるから、サロメも置いて行ったんですよ。今さら脅しにもならないですしね」


 ジルはゆるく頷く。


「だから、こっちで弾を入れておいた」

「…………え?」

「この銃には弾が入っている。用意できたのは二発だけ。たまたまあった古い弾だけど、ちゃんと使えるのは確かめた。……リザの役に立つかもしれない」


 ジルは銃口を向けないようにしながら銃身を握った。危なっかしい手つきだ。針をつまむための指は銃を触り慣れていなかった。彼は上ずった声でもう一度だけ尋ねた。


「どうする? これは必要になると思う?」


 リザは生唾を飲みこんだ。本当は分かっていたのだ、彼はリザに首を振ってほしいのだと。やっぱりここにいる、と言ってほしがっている。


 リザはジルの手元を凝視した。気づけば息を止めていて、リザは苦し気に喉を鳴らした。唇を固く結んだままで銃を見る。


 迷っているふりをしているだけで覚悟は決まっていたのだ。


「……動くのに遅すぎることなんてないんです」


 リザは真っ直ぐに手を伸ばした。


「奪われたなら、それ以上を奪い返すまでです」


 ささくれのある手が銃を求めて広げられた。指先はまだ力んでいた。それでも恐怖することなく伸ばされていた。


「なんかリザ、あの女みたいだね」


 ジルはふと目を伏せた。


「しぶとくて、何があっても折れそうにないところ。欲しいものに貪欲なところ。自分のしたいことをできるところ。……大丈夫だよ、リザ。なりたい自分にちゃんとなれてると思うから」

「ありがとうございます」

「でも帰ってこれなかったら台無しだからね。最後まで気を抜かないでよ」


 ジルは肩をすくめた。手のひらに銃が乗せられる。リザは握りしめると、空いている左手を咄嗟に伸ばしてジルの手を取った。


「当然です。サロメを引きずりながら帰ってきますから! 豪華な報酬とサロメの顔に期待して待っていてください」

「俄然楽しみになってきたな」


 もうすぐ日が落ちる。リザは目を細めた。






 日ごろから静かに動くからか、それともリザの影が薄いのか、男が振り返ることはなかった。


 リザは人混みにまぎれながら男を追った。男は人波をすいすいとかき分けながら歩いた。リザはちらつく茶色のジャケットを目印に突き進む。人通りがなくなると距離を取り、時々は先回りをしてみたりして、リザはいたって上手に後をつけた。


 男が足を止めた頃には、リザはどっと疲れてしまった。しかし歩いた距離はそう長くはない。閑静な川沿いにある古びた建物だった。


 男は素早くあたりを見回してから裏口へと回った。リザは向かいにある路地に隠れた。


「……こんなに上手くいくなんて」


 リザは手に浮かんでいた汗をズボンで拭う。落ちかけていた帽子もかぶりなおした。


 男が入っていった建物は軍の施設ではない。二階立ての何の変哲もない場所だ。昔は店を出していたのか、錆びた看板がぶら下がっていた。壁には蔦がまとわりついていて、廃墟というほどではないが人気はなかった。扉は固く閉まっている。


 リザは路地裏で息をひそめた。時間が立つのをただ待つ。夕日はもう見えなくて、あたりうっすらと明るいだけだった。


 そわそわとし始める手足を沈めてリザは空を仰ぎ見た。建物の隙間からわずかに見える空は黒かった。星はまだ出ていなかった。


 夜のにおい――遠くの市場から漂う夕食の匂いだとか、土埃の立っていない澄んだ空気だとかに身を預けた。


「よし……」


 どこかしこも暗くなったころを見計らう。リザは深く息をして肺を膨らませる。ゆっくりと吐き出せばもう冷静になっていた。両目は十分冴えていた。

リザは地面を蹴って駆けだした。


 人影はない。止まりはしない。向かいにある目的地へと走り寄る。もう目の前だ。扉を通り過ぎると、リザは建物の真横へと滑りこんだ。茂みを避ける。窓の下でしゃがんだ。欠けたガラスが足元にいくつも落ちていた。


「近づけたっ」


 小声で歓喜する。短い距離だったから息は保っているが、心臓がドクドクと激しく高鳴っていた。


 リザは窓に映らないように、壁に背を付けながらゆっくりと立ち上がった。そろりと顔を出して横目で中を伺う。中は暗くて何も見えないが、少なくとも人影はなさそうだ。


 リザは窓に耳を当てた。耳を澄ませる。


「……音がしない?」


 一人いることは確実だが、足音も話し声も聞こえない。リザは唇を強張らせた。侵入するなら今しかないと分かっているが、いざ実行するとなると身がすくむのだ。


 だがここまで来て帰れるほどリザの覚悟は甘くないし、プライドだってある。


 リザは窓に手をかけた。力を込めると窓枠が軋んだ。慌てて手を離す。しかし足音はしなかったのでもう一度、今度は慎重に引っ張った。


 鍵穴が錆びていて、鍵がかけられなかったのだろう。窓はあっさりと開いた。


「よっし」


 リザは窓枠の上を掴むと足をかけた。そのまま一気に乗り越えて侵入する。着地したときに靴音がわずかに響いたが、廊下は静かだった。


 ランプがところどころに取り付けられているが、明かりは消えていた。リザは手を当ててみて首を傾げた。ガラスがまだ熱を持っているから火がつけられていたのは確かだ。


 中は外から見るよりも広々としていた。廊下の端は暗闇に消えていて見渡すことができない。リザは恐る恐る歩きだした。


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