第24話 地図


 リザたちはスカートの裾をなびかせながら全力で走った。二人は左右に伸びている廊下にさしかかった。一瞬だけ立ち止まるが、迷っているだけの時間はない。サロメは手近な部屋の扉を開けるとリザの身体を押し込んだ。それから自分も飛び込んで、勢いよく鍵をかけた。


 ガチャンっと響いた音は足音にかき消される。


 二人がどの部屋に入ったかまでは見えなかったのか、扉を開け放つ音が何度も聞こえた。どうやら片っ端から部屋を調べているようだった。


「……ひとまず籠ったはいいけれど」


 サロメは壁に背を付けながら窓から下を見下ろした。


「外も囲まれているわよねえ。いよいよ逃げ場がないわ」


 リザは壁際にあったチェストを押した。足で踏ん張りながら移動させ、扉の前に置いた。役に立つかどうかは分からないが、せめてもの時間稼ぎだった。


 サロメは腕を組みながら壁にもたれかかった。髪がくしゃりと広がった。


「一か八か飛び降りてもいいけれど、外にいる奴らに追いつかれるわ。だけどこのまま籠っていてもいつかこじ開けられる。この銃は役に立たないし……。何か行動を起こさなくちゃ」

「でも、出ていくか籠るかの二択しかないですよね……」

「だったら武器になりそうなものを探しましょう。迎え撃てるかも」


 そこまで言って二人は黙りこんだ。


 この部屋はリザの使用人室で、ろくな荷物がないのだ。


 固まっているわけにもいかず、二人は部屋中の引き出しを開け始めたが、出てくるのは服や掃除用具ばかりだった。とてもではないが軍刀に太刀打ちできるとは思えなかった。


「だって私の部屋ですもん! 何もないにきまっているじゃないですか!」

「……手持ちのものを確認しましょう。リザ、ポケットの中身を全部出しなさい」

「私、もう冷静さを失いそうです」


 リザは言われるがままに手を突っこんで、あるだけのものを引っ張り出した。机の上にぶちまけてみるが、ほとんどがゴミだ。十日前のメモや、髪をまとめるときに使うリボン、折りたたまれた紙、糸くず、埃、無くしたと思ったペンの蓋――サロメは目元を覆った。


「汚い! 整理くらいしてくれる?」

「だ、だって忙しいから、適当に突っ込んでそのままにしちゃうんです!」


 リザは糸くずをゴミ箱に放り投げた。


 そうこうしているうちにも、二人の居場所は突き止められていた。扉を破ろうとしているのか、体当たりする音が断続的に聞こえてくる。扉の真ん中には軍刀が突き刺さっていた。傍に立っていたら刺さっていただろう。リザは全身を震わせた。


「と、とにかくもう一度探しましょう。飛び降りるにしても、下に何か落としてからにしないと、足が折れてしまいます」

「ええ――」


 サロメからは生返事しかこなかった。彼女は汚いものに触るかのようにして、メモをひっくり返してた。よほど嫌なのか顔を歪めている。触ってほしいなんて言っていないのに、とリザは唇を曲げた。


 リザは背を向けるとベッドのシーツを剥がした。チェストから予備のシーツも引っ張り出してくると、丸めてクッションを作った。


 リザがせっせと動いている間も、サロメは机の前で立っているだけだった。文句でも言ってやろうかと振り返ったとき、サロメもまた振り返ってリザを見ていた。 


「ねえ、リザ。これ――」


 彼女の目は信じられないものを見るような目だった。


「この間取り図、どこで手に入れたの?」


 彼女がつまんでいるのは、かつて公爵の部屋から盗んできた地図だった。公爵が返さなくてもいいと言ったから、ポケットに放り込んだままになっていたのだ。リザは「ああ」と呟いた。


「公爵が持っていたものです。どこの間取り図かは私も知りません」

「そんなの見たら分かるでしょう!?」


 サロメは紙をぱんぱんと叩いた。


「この屋敷よ!」


 リザは素っ頓狂な声をあげた。


「ええ!? 見覚えがあるような気がすると思ったら、どうりで!」

「気づかずにいる方が難しいわよ!? 今住んでる場所なのに!」


 サロメは呆れたように首を振った。


「で、問題はここ。見覚えのない部屋があるのよね」


 サロメが指さした場所を凝視した。二階の一番端にある部屋だったが、リザは首を傾げた。


「……二階って、寝室が一番端でしたよね? でもこの間取り図じゃ、その小部屋が一番端ってことになってますよ」

「おかしいでしょ?」


 サロメの指先が円を描く。


「それで私、思うのよね。隠し部屋があるんじゃないかしら」


 サロメは口角を上げた。


「この隠し部屋、階段があるのよ。真下――つまり地下にも隠し部屋があって、そこには扉が描かれている。どこに繋がっているかは分からないけれど、恐らく外に出られるはずよ」

「そんな大掛かりな隠し部屋があるなんて……。信じられませんね」

「信じるしかないわ。どのみち、このままじゃ袋の鼠。甘んじて利用させてもらいましょう」


 覚悟は決まっている。二人は頷きあった。


 隠し部屋に繋がっているのは屋根裏だけだ。リザはチェストの上に乗って、天井の一部を外した。まずはリザが屋根裏に上がって、続いてサロメがチェストによじ登った。力のない彼女は自力で身体を上げられないので、リザは歯を食いしばりながら引っ張る羽目になった。


 二人は四つん這いになりながら、埃まみれの屋根裏を進んだ。再び天井を外して小部屋に下りた頃には、二人のドレスは灰色に薄汚れていた。


「本当にあったんですね……。階段も、下に続いています」


 リザはランプを掲げた。先は見えないが、造りはしっかりとしていた。


「行きましょう」


 リザを先頭に、頭や脛をぶつけそうなほど狭い階段を下りていく。


「……ねえ、リザ」

「はい?」

「さっき、広間で私のこと、サロメって呼び捨てにしたわよね」


 手元のランプが激しく揺れた。明かりがちらついて目に眩しい。身に覚えがあるから、リザは自然と早足になった。


「いや、その、何ですか。勢いってやつですよね。その場の勢い! あはは――実際それどころじゃなかったんです! 不敬ですみませんでした!」

「怒ってもないのに、勝手に謝らないでもらえる?」


 石の階段から漂ってくる空気は冷ややかだ。彼女は一つため息をついた。


 彼女の声は心なしか穏やかに聞こえた。


「サロメって、呼んで。あなたに呼ばれるのは存外心地いいわ」


 リザは思わず振り返っていた。手にしているランプを掲げると、サロメの顔がオレンジ色に照らされる。彼女はそっぽを向いていたけれど、まるで少女のような目をしていた。

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