第5話 会敵

「いたぁ! 元凶っ!」

 スニーカーが音を立ててアスファルトの上を滑る。捻じれたポニーテールが路地裏の風にはためく。服の背中から斧を引っ張り出し、少女はカバーを視界内の人影に向けてぶん投げた。革製の刃先保護ケースは、ありえないほど綺麗な放物線を描き――風切り音すら上げながら、人影の横っ面にクリティカルヒットした。


「へぶっ!」

「はぁっ、やったーヒット! ランナー二塁! ……二塁って何だろう?」

 首をひねりつつ、周囲に目を向けてみる。深い紅色の液体が点々と水たまりをつくり、それぞれに蓋のように人間が転がっていた。生々しい引っかき傷を差し引いても、見え隠れする傷跡や刺青からは、その人間たちが堅気ではないことがわかる。路地裏の濁った空気に、むせかえるような血の匂いが混じっていた。

(やば。お腹すいてきた。ここでお腹鳴ったらすっごい恥ずかしいなー……)

 場違いなことを考えながら、紅羽は片手でバトンのように斧を振り回す。それを一度放り投げ、両手でキャッチして真っ直ぐに構えた。メインディッシュは後でも楽しめる。先程カバーを投げつけた対象を見据え、堂々と口を開いた。

「――君だれ!?」


 あまりにも直球な声に、人影はゆらりと立ち上がった。路地裏の日陰に小柄な姿が仁王立ちする。異様に白い片手を掲げ、眼帯で隠れた右目に重ねる。ぬるい風に銀色の髪がはためき、季節外れの黒コートの裾が揺れる。見せつけるように突き出された黒い左目の下で、閉じた瞼の意匠のフェイスペイントが主張する。をわざとらしく見開き、声変わり前かと紛うほど高い声を上げた。

「だれ、とな……!? なんと不躾な! この我を知らぬとは、とんだ無知なる童女なるかな! 冷笑、失笑、苦笑を禁じ得ぬッ!」

「なんて?」

「しからば、この手で脳髄と脊髄に染み込ませてやろうぞッ! 我の名は――葬仇院そうきゅういん夢斬むざん! “茶会の君”に仕えし、忠実なるサーヴァントなり……ッ!」

 両腕を変な方向に広げ、夢斬と名乗った少年は決めポーズをとった。不自然に開かれた片目はらんらんと輝き、口元は今にもドヤァ……と擬音を吐き出しそうである。傍から見ればだいぶ痛々しい少年の御姿に、紅羽はすっと目を細めた。

「何言ってるか全然わかんなぁい」

「はぁ!? ……く、そなたのような下賤な民には、我の高尚な言語は到底理解に及ばぬかッ! くはは、なんと愉快、なんと滑稽! 翼竜の背にでも乗じたが如き気分よッ!」

 少年らしい高い声が魔王のような言葉を紡ぐ。底の厚いブーツがアスファルトを踏み、今にも転びそうに震える。その様からは、幼い子供が父の仕事着を無理やり着ているかのような印象を受けた。話に飽きたのか、紅羽は斧でバトントワリングして遊んでいる。

「……一応聞いとくけどさー、これやったの君?」

「何を当然のことを。我がやったに決まっていよう……!」

「そっか! おっけー!」

 光のない瞳を突然輝かせ、紅羽は魔法のステッキのように斧を掲げた。ビッ、と夢斬に刃先を向けると、口裂け女のような笑顔を浮かべた。

「それじゃあ結論は一択! 肉塊になってもらいまぁす!」

「はぁあ!? なんだこいつバカなるか!?」

「止まりやがれこのッ!」

 踏み込もうとした紅羽のブラウスの襟を、背後から伸びた手が掴んだ。じたばたと暴れる彼女をつまみ上げ、霧矢が苛立ち紛れに斧を奪い取った。

「ったく、面倒かけさせやがって。初っぱなから勝手すんな、このッ!」

「むー……だって楽しそうだったからぁ」

「離してやれ、霧矢。……どちらにしろ結果オーライだ」

 同時に追いついていた純姫が、刀に手をかけたまま夢斬を睨む。紫色の瞳が剣呑な光を宿し、低い声が重々しく響く。


「……葬仇院夢斬。中学二年生にして、とある犯罪組織の中堅構成員」

「ソウキュウイン……って、今度の一件で相手する助っ人ヤローか?」

「ああ。それで間違いない。……そして、生物召喚系の天賦ギフト持ち」

「ッ!」

 弾かれたように顔を上げ、紅羽は眼前の少年を凝視する。銀髪をなびかせ不敵に微笑む眼前の少年が、自分と似た系統の能力者。ならば――と、彼女はわたわたと暴れ出す。霧矢が止めようと動き出す前に、彼の脛を全力で蹴りつけた。

「だっ!?」

「よっし! だっしゅーつ!」

 はずみで霧矢が手を離した隙に、紅羽は無意味にバック宙をかまして着地した。斧を返せとばかりに霧矢に片手を突き出しつつ、もう片方の手で夢斬を指さす。ぴくりと反応を返す彼に、紅羽は名乗りを上げる武士のように宣言した。

「つまり、あたしと似た系統の天賦ギフト持ちってことだよね! そんでこれからのことに関わってくるんだったら、今ここで倒しちゃった方が吉な気がする!」

「言ってることは間違ってねェんだが……」

「というわけで! いざ尋常にしょ――」

「アホかテメェはッ!」

 たまらずツッコミを入れる霧矢。深くため息を吐き、純姫が二人に向き直りかけたとき。


「くっ、くははは……!」

 少年の声が不自然な哄笑を紡ぐ。エビか何かのごとく勢いよく反り返り、夢斬は見開いた瞳で三人を見据えた。

「成程! なんと面白い! この我に勝負を挑もうとは……ふはははっ! 愉快、滑稽これぞこの世の面白さ! いいだろう……受けて立とう!」

 不自然なほどの厚底ブーツで躍り狂う少年。自分より年下の彼を、霧矢は三白眼をさらに細めて眺める。油断なく刀に手をかけたままの純姫、そしてサーカスの開演を待つ子供のような笑顔の紅羽。三人の視線を一身に浴び、夢斬は舞台俳優のごとく両腕を広げた。

「その身に宿すは抑えがたき衝動! 爪は惨劇を、牙は絶望を生まん!」

 詠唱と同時に、彼の周囲に濁った黄色が渦巻く。それは竜巻のように収束し、やがて一体の豹の形をとった。


「我が召喚に応えよ――『暴虐の獣』!!」

 濁った黄色が花火のように弾ける。肉食獣らしいしなやかな体躯と、白々と輝く牙が顕現する。少年の声に応じ、豹……『暴虐の獣』は、空気を震わせるほどの咆哮を響かせた。

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