第027話 ダークエルフとのにちじょう
8月5日。
「…………」
頬を撫でる風と、チリーンという優しい音色。
まだ朦朧としている意識の隙間に、その風と音が入り込んでくる。
「…………」
チリーン。
「…………」
これは……風鈴の音だ。金魚の絵が描かれた風鈴が窓の外で揺れている。
「…………」
チリーン。
「…………」
あれは夏休み前に寮から生徒へ配られた風鈴。貰ったことをすっかり忘れていたのだが、昨日思い出し、窓の外へ掛けたのだ。と、思考能力が戻った時、僕はようやく状況を理解した。
「ふわぁ……」
仰向けの状態でちらりと掛け時計を見る。時刻は午前11時。寝坊ではないが、早起きとは到底言えない時間だ。
「……よく寝た」
起き上がろうとしたのだが、身体が思うように動かない。それに腹の辺りに違和感というか圧迫感というか、重い。
「…………」
目線だけを下に送ると、そこにはダクタがいた。
「すぅ……すぅ……」
可愛らしい寝息を立てて寝ている。僕の腹を枕にして。
「……重っ」
絵面は微笑ましいのだが、いかんせん重い。かと言って、せっかく気持ちよさそうに寝ているのを起こすのも忍びない。
僕は視線を巡らせ、孤立していた枕を発見。手を伸ばしてそれを取る。そしてダクタが起きないように頭を持ち上げ、枕を差し込みつつ僕はそこから抜け出した。
「……ふぅ」
ようやく上体が起こせた。
「……一人用の布団だもんなぁ」
毎度のことなのだが、改めて僕は思う。
やはりこの布団を2人で使うのは、無理があると。昨日も僕らは六畳間に敷いた布団で寝たのだが、起きてみれば案の定、2人とも布団から盛大にはみ出していた。枕はあらぬところにすっ飛んでいるし、夏用の肌掛け布団も団子みたいになって転がっている。
「…………」
僕はダクタを見た。上はTシャツ、下はパンツ一枚という格好だった。
「風邪引くって」
とはいうものの、僕も同じ格好なので強くは言えない。
「えっと……あった」
丸まった肌掛けに巻き込まれていた、ハーフパンツを2枚救出する。
「よっと……ん、やりにくいな……」
1枚は僕が穿き、もう1枚はなんとかダクタに穿かせようとするのだが、これがなかなかに難しい。仰向けにこそなっているが、意識のない人間というのは動かしづらいったらない。しかも両足を通さないといけないので、さらに苦戦する。
「んー……」
なんとかハーフパンツを、ふくらはぎまで穿かせることができた。このまま平行に腰まで上げていくわけだが、ここからが難しい。
「よっと……」
僕はダクタの両足を持ち上げ、肩に掛けながらハーフパンツを平行にずらしていく。こうすることで最難関である
難点はやはりその重さだ。
「うぐぐ……っと」
そして、僕は任務を完遂した。ダクタにハーフパンツを完璧に穿かせ、なおかつダクタを起こさなかった。我ながらいい仕事だった。
別に布団を掛けとけばよかったのでは……? という言葉が脳内で聞こえるが、気のせいということにしておく。
「それにしても……よく寝てる」
起きないように注意こそしたが、それにしたってダクタは熟睡中だ。
「んにゃ……うむむ……」
気持ちよさそうな寝顔を見ると、つい頬が緩んでしまう。
ふと、そこでダクタのTシャツがめくれていることに気がついた。ハーフパンツを穿かせる際に持ち上げたりしたので、めくれてしまったのだろう。
「……すー、すー……」
ヘソが丸出しだった。
「…………」
綺麗なおへそだ。
「…………」
しかしこれでは、せっかくハーフパンツを穿かせた意味がない。
僕はTシャツを戻そうと手を伸ばしたのだが、
「…………」
つい手、というか指が伸びてしまった。
「…………」
ぴとっと人差し指でダクタのヘソに触れる。そっと指を乗せているだけだが、ダクタの呼吸に合わせてちょっとずつ中へ入っていく気がする。実際そんなことはないのだが、なんだか吸い込まれそうな不思議な感覚だ。
「…………」
僕は興味本位で、ヘソに指を当てたまま軽く下方向へ押してみた。
「……うにゃ、えへへ」
ダクタがにやけた。起きてはいない。
もう一度、下方向へ指を動かしてみる。
「うへへ……へへ」
またにやけた。どことなく楽しそうだ。
この辺で止めれば良いのに、そんな反応をされると検証魂が疼いてしまう。
「…………」
今度は指を左方向へ押してみた。
「……ぐぬぬ」
ダクタの眉間に皺が寄る。
「……うー」
続けると、今度は唸りだした。ちょっと不機嫌っぽい?
「…………」
こうなると右側も確かめたくなる。
「……うぅ」
右側に軽くヘソを押すと、ダクタの顔が少し歪む。悲しそうだ。
「うぅ……うっ」
今にも泣き出しそうになってしまったので、僕は指を離した。
「……すー、すー……」
気持ちよさそうな寝顔に戻った。
感情スイッチかな。これって起きている時も有効なんだろうか。……試してみたい。いやでも、その後の報復が……もう〝電気あんま〟は嫌だ……。
「……最後は上か……」
どうせなら四方向は確認したい。
〝楽〟〝怒〟〝悲〟と来たので、最後はなんだろう。
すごく興味が湧いてくる。
「…………」
僕はダクタのヘソに人差し指の腹をあて、そのまま上方向へ押してみた。
「――んっ」
いきなり艶っぽい声が聞こえてきたので、思わず僕は手を引っ込めてしまった。
「…………」
とりあえず、もう一度確認してみる。
「……んっ、んんー……ンッ、あんっ……」
……。
…………。
…………うん、やめておこう。
このまま続けるのはいろいろとまずい気がするし、起きた後が本当に怖い。
ダクタの弱点ぽいところを発見できただけでも、良しとしよう。
「…………」
僕はめくれていたTシャツを元に戻し、肌掛けを掛けた。
「……11時10分か」
時刻を確認。もうすぐ昼だ。なら昼食の準備でもしているか。今日は僕が楽しみにしている〝予定〟もこの後あるし。
僕は洗面所に行って顔を洗った後、台所に立った。
「……さて」
冷蔵庫の中から取り出したのは、冷やし中華の袋。それと卵、きゅうり、ハム。
鍋に水を入れて火に掛け、きゅうりとハムを細切れにする。もうひとつのコンロで卵を薄焼きにし、これも細切れにする。水が沸騰したら麺を入れて茹でる。
そんなことをしていると、
「……うーん」
居室から声が。どうやらダクタが起きたらしい。肩越しに後ろを見ると、ダクタは目を擦りながらあくびをしている。
「……あ、りゅうのすけじゃ」
「おはよう」
「おはよう……えへへ」
ダクタはまだ眠そうだ。
「えへへ……えへぇへへ……」
寝ぼけ
「寝る前も、起きた後も、そこにりゅうのすけがおる……えへへ、嬉しいんじゃ」
寝ぼけているからこそ、その純粋を極めたような表情が、僕の心を揺さぶった。
「……シャワー浴びてきなよ、メシ、作ってるから」
動揺を悟られぬよう、僕は料理に戻った。茹でた麺を流水にさらして締める。
「うむ、そうするんじゃ……」
ダクタは僕の様子には気づかなかったようだ。
浴室へはキッチンから行ける。なので台所に立っていれば、視界の端にダクタが映ることになる。それ自体はおかしいことではないのだが。
「……ん?」
その視界の隅っこに映り込んだもの、やけに褐色成分が多い。
僕はまさかと思って振り向くと、一糸纏わぬ姿となったダクタが洗面所に入っていくところだった。居室を見ると、布団の上には脱ぎ捨てられたTシャツ、ハーフパンツ、そして下着が。
「……まったく」
冷やした麺をざるにあげた僕は、布団を畳むついでにダクタが脱ぎ散らかしたそれも片付ける。そんなことをしていると、
「うぎゃあああああああ!? 冷たいんじゃあああああ!」
浴室の方からダクタの叫び声が聞こえてきた。おそらく、初っ端にシャワーから出てくるお湯、というか水を直で浴びてしまったんだろう。最初って冷たいし。
まぁでもあれで目も覚めただろう。
料理――冷やし中華は完成し、後はダクタが出てくるのを待つだけだ。
「――あっついんじゃぁぁああ……」
ダクタは5分ほどで出てきた。バスタオルこそ身体に巻いているが、
「……髪、びしょびしょ」
歩くたびに、ぽたぽたと水滴を床に落としている。
「使い方教えたよね? ドライヤー」
「あれ熱いんじゃよぉ……余計に暑くなるんじゃよぉ……」
気持ちはわからないでもないが、だからって髪を乾かさないのはいただけない。
「……持ってくるから、ちょっと待ってて」
そう言って洗面所からドライヤーを取ってくると、
「あ~~~あ~~~~あ~~~~~」
ダクタは扇風機の前であぐらをかき、風に当たっていた。
「あ~~……おぉ、りゅうのすけ見てくれ、これなら涼しいし髪も乾くしで、一石二鳥だと思わんかー? やっぱ、余、天才じゃな~~~」
僕は溜め息を吐き、ダクタの後ろで膝立ちになる。
「んー? お、なんじゃなんじゃー?」
僕は一緒に持ってきたタオルで、未だずぶ濡れのダクタの髪を拭いていく。ドライヤーで乾かすにも、これではあまりにもびしょびしょだ。
「わはは、あまりゴシゴシするでないぞー」
いちおう僕もそれには気をつけている。自分の髪ならそれでいいが、この綺麗な黒髪を力任せに擦るのは躊躇する。
「……っと」
水気を取っていると、気づけばタオルがずいぶんと水を吸っていた。なので僕はもう1枚のタオルを取ってきて交換する。髪が長いと大変だな。
ある程度水気が取れたらドライヤーで乾かす。根本から丁寧にしっかり乾かし、それから毛先に向かう。さすがにこの時は扇風機は止めた。ダクタはぶーぶー言っていたがしょうがない。
「…………」
しかしこうしてみると、女の人って大変だな。
ダクタの気持ちもわかる気がする。
と、そこで僕はあることに気づいたので、ドライヤーのスイッチを切った。
「というか、なら向こうで乾かしてくればよかったのでは? ダクタなら魔法で一瞬でしょ?」
スライム洗浄なんてことができるのだ、髪を乾かすくらい朝飯前だろう。
「……嫌じゃ」
「なにゆえに?」
「……あっちで乾かしてきたら、りゅうのすけにやってもらえん」
「…………」
僕は無言でドライヤーのスイッチを入れ、作業を再開する。
髪を乾かすにはダクタは前を向き、僕は後ろにいないといけない。
でも、だからこそ、僕は頬が緩んでしまっているのを、見られないでいる。
ダクタの髪をしっかりと乾かした後、僕らは昼食を摂った。
「しかしのぉ、こっちの世界の料理はどれも味が濃いのぉ」
「あ、濃いのは苦手だった?」
「いんや。最初は驚いたがもう慣れた。これはこれで気に入っておる」
ダクタはそう言ったが、味付けについては一考の余地がありそうだ。
それから僕とダクタは、他愛ない話をしながらまったりと昼食を食べる。
「そうじゃ。のぉ、りゅうのすけ」
「……ん?」
「これなんじゃがな」
ダクタがテーブルの下から取り出したのは、1枚のパンフレット。
「あぁ、学割のやつか」
それは生徒向けに学校から配られたもので、各娯楽施設などの割引券付きのパンフレットだ。もっとも、割引と言っても100円とか200円くらいだが。
「この〝ゆうえんち〟というとこは、遊ぶやつがたくさんあるのか?」
「あるね」
「この〝すいぞくかん〟というとこは、いろんな魚がたくさんおるのか? 喰ってもええのか?」
「いるけど、食べたらダメだね」
「この〝どうぶつえん〟というとこは、獣を飼っておるのか? 戦力にするのか?」
「戦力にはしないな。眺めるだけ」
パンフレットには多くの施設が掲載されている故に、ひとつひとつの紹介写真は少ないし小さい。ダクタはそれを食い入るように見て、興味を示している。
「……いつか、行こう」
「――ッ!! ほ、ほんとか!?」
ガタッと、ダクタの膝がテーブルにぶつかった。僕らは慌てて机を押さえる。
「ほら、押入れもどんどん強くなってるし、そのうちダクタも外に出られるかもしれない。そしたら、一緒に行こう」
「うむ!!」
満面の笑みでダクタは頷いた。
ダクタと遊園地。
とても楽しみだ。
想像するだけで胸が高鳴る。
「……だけど、」
だけど、
「今日の〝予定〟はもう決まっているだろう?」
心待ちにしていた、行き先がある。
ダクタにちらっと話を聞いたときから、絶対に行きたいと思っていた場所。
「――行こう、ダンジョンへ!」
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