第九章「僕が小説を書く理由」

ずっとずっと、胸の内で灯火が燻り続けていた。

創作に向き合わない日々は穏やかだ。

でもずっと、モヤモヤとしたものが晴れない。

理由は分かっている。自分が夢と決別できていないからだ。


夢っていうのは、諦めようとして諦められるものじゃない。


4月に入り、僕の中には「小説を書きたい」という欲求が芽生え始めていた。

だが、そんな欲求も「どうせ小説家になれないのに、また無駄に時間を浪費するのか?」ともう一人の僕が否定する。


自分でもどうしたらいいのかわからなくなっていた。


春休みが明けてから数日後。朝起きて、大学に行く途中。僕は急に身を翻し、大学とは反対側の駅へと向かった。そのまま電車を乗り継いで、気付けば海へと来ていた。


人は悩みがあると海を見たくなる、というのは度々言われてることだが、まさか自分も実践するとは思わなかった。


中途半端な時期に来たせいか、海岸に人はあまり居なかった。

僕は波際に腰を降ろして、ぼぅっと水平線を見つめる。

青い空と日差しを反射する海面。遠くにある離島。


目に映るもの全てに無駄がなく、ただこの景色を享受してればいいという安心感があった。


確かに、海を眺めてれば悩みなんてどうでもよくなるかもな。


今更サボった講義のことを考えても仕方がないので、僕はカバンに入れたままの小説を手に取った。


『イリヤの空、UFOの夏』


僕にとって、夢の起点ともいえる小説。

友人に貸してくれと言われ、本当なら大学で今日渡すハズだった。


1巻目からページを捲っていく。

そうそう、僕はこういう文章を書きたかったんだよな。

小説という媒体は、漫画に比べても表現の幅に制限がある。

ミステリーや文学なんかは小説でこそというジャンルではあるが、イラストありきなライトノベルにおいて、小説である強みというのは正直薄い。


しかし、イリヤの空は、秋山さんの文章は、漫画では表現出来ない。

文章にこれだけ情景を、キャラクターの造形と感情を篭められる作家は中々いないだろう。


数時間ほど読みふけり、1巻を読み終えてもまだ陽は高かった。

続けて2巻……ではなく4巻に手を伸ばす。

4巻には、僕がイリヤで一番好きなシーンがある。

イリヤを連れて逃げ出した浅羽が、逃避の果てに辿り着いた海岸。

そこで浅羽は、記憶の退行したイリヤから榎本として話しかけられる。

浅羽が知らないイリヤの秘密。

転校前日の、イリヤが転校してきた理由。


「すきなひとが、できたから」


ただそれだけ。その一文だけで、当時の僕はボロボロ泣いた。

そして今読み返した僕も同様に泣いた。

まだ名前も知らなかった頃から、イリヤは浅羽に恋をしていた。

想いは純粋であればあるほど、発露した時に強い。

僕も思わず砂浜を走りそうになった。

だが、立ち上がるだけに留めた。

少ないといっても、一応周りに人はいたから。


代わりに本を閉じて、涙を拭う。

胸の中のモヤモヤは流されていた。

やるべきことが、視えたから。


僕が小説家になろうと思ったのは、特別になれると思ったから。こんな僕でも、居てもいいと認められたかったから。


でも、特別になりたいなら、手段は小説でなくても良かったはずだ。


なぜ僕が小説を書きたいのか。書こうと思ったのか。


それは、自分にしか書けないモノを、人を感動させる文章を、物語を書きたいからだろ? 

僕が小説を書き始めたのは――小説を書くのが、好きだからだ。

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