第15話 ep2 . 「訳有り令嬢と秘密の花園」 捨てられた令嬢と婚約破棄

翌日。


俺はなんだか一日中落ち着かなかった。


今日は花園リセと一緒にジャムを作るのだ。


そう思うと何だかめちゃくちゃ緊張してくる。


放課後になるまで気が気ではなく、HRが終わると食い気味に急いで校門に向かう。


足早に通学路を急いだ。


商店街に差し掛かった所でふと俺は無意識に足を止めていた。


マサムネの事も俺のこともまるで家族のように親身になって面倒を見てくれる花園リセ。


その彼女に対してのお返しという訳では無いが、唯一俺に差し出せるアイテムが梨だった。


しかしその梨ですら彼女はジャムにして俺にも食べるように勧めてくれている。


挙句にジャム作りの共同作業まで提案してくれた。


じゃあ俺は彼女になにを差し出せばいいんだろう。


心ばかりの感謝の印。


何か気の利いたものはないだろうか。


俺はポケットの中の財布を確認する。


あいにく給料日前で手持ちは殆どなかった。


178円。


それが今の俺の全財産だった。


二学期の真ん中だから給食もあるし、花園リセが毎回持たせてくれる菓子類のお土産もある。


小泉が気を利かせてか毎回、学校全体の余った給食のパン(欠席者の物で個包装されている)をこっそりキープして横流ししてくれるという謎のアシストもあってか、有難いことに餓死はしない程度に生き延びることが出来ていた。


きちんと毎回3食にありつけるだけ幸運だった。


しかし、相変わらず所持金は限りなく心細かった。


今のこの所持金で何か買えるだろうか。


花園リセに渡すに足りるような物品がこの178円で買えるとは到底思えなかった。


女子にプレゼントするには定番のアイテム、クッキー?ケーキ?それともキャンディ?


しかし、もし買えたとしてもいつもハイレベルな手作り菓子を用意している花園リセにふさわしいクオリティのものではないだろう。


ではこの全財産で一体何が買えるというのか。


俺は目の前の店をチラリと見た。


ふわりとした軽やかな香りが漂う。


カラフルな色彩に囲まれていたのは花屋だった。


俺は店先の花を軽くざっと眺めてみた。


鉢植えやアレンジメントはかなりの値段だった。


とても手が届かない価格帯。


花も無理だよな…


諦めて引き返そうとした瞬間、レジのカウンターに数本挿してある花が目に飛び込んだ。


『プチプレゼントにいかがですか 一つ100円(税込)』


黄色の画用紙に書かれた手描きのポップが踊っている。


一輪の薔薇が透明なセロハンに包まれ、鮮やかなリボンが結んである。


100円。


所持金で買える金額だった。


この花屋は全体的に高そうなのになぜこれだけ安いのだろう。


俺が目の前の花を凝視していると店員が声を掛けてきた。


「いらっしゃいませ。贈り物でしょうか?」


あの、これ、と俺は目の前の花を指差す。


「ああ、一輪ブーケですね。イベント用で客注が入ってたから多めに用意したら数本余ってしまって……だからこれだけは特価の価格なんですよ」


20代半ばほどの女性店員が愛想良く微笑む。


一輪ブーケ。


そんなものがあるのか。


花って花束とかアレンジメントや鉢植えみたいにドーンとド派手にプレゼントするものだと思い込んでいた俺には新しい概念だった。


どゆこと?一輪でもブーケなのか。


じゃあプレゼントしてもいいんだな?


俺はレジ前で考えを巡らせた。


「あら、彼女へのプレゼントかしら?」


女店員はニコニコと笑う。


違います違います、と俺は首を横に振る。


お世話になってる人にあげたいんだけどいいのだろうか、意を決して俺は店員に訊ねた。


花を貰って喜ばない女の子はいませんよ、と女店員はまたニコニコと笑った。


なんで女の子って思うんだよ。いや実際そうなんだけどさ。


「アタシだったら一輪でもすっごく嬉しいけどなぁ」


ふわふわした明るい髪色の女店員はそう言うとまた笑った。


マジだろうか。


その言葉、信じていいのか。


じゃあひとつ下さい、と結局俺はこの一輪ブーケとやらを勢いで買ってしまった。


花屋を出て、一輪の花を持ったまま商店街を抜けて歩く俺はふと気がついた。


あれ。花園邸の庭園って年がら年中、色とりどりの花が咲き乱れてないだろうか。


花園家ご自慢の広大な庭園は常に1ミリの隙もなく丁寧に手入れがなされ、常にきらびやかな花で溢れていた。


一般人が足を踏み入れることが滅多にない、まるで別世界の植物園か何かのような空間。


そんな場所に住んでいる花園リセに100円の花を手渡す?


なんだか俺は急に恥ずかしくなってしまった。


いつも通りに花園邸の正門を抜けて庭園の東屋に差し掛かる頃にはすっかり俺は自信を無くしていた。


なんでこんなもの買ってしまったんだろう。


ジュースか何かの方がマシだったまである。


貴婦人の御令嬢は下々の者が飲むジャンクな炭酸飲料なんか口にしたことは無いだろうしな。


椅子に座った花園リセと目が合った俺は咄嗟に花を後ろに隠した。


「こんにちは。佐藤さん」


よう、と俺は何事も無かったように返事を返す。


花園リセは穏やかな微笑みを浮かべている。


ところで佐藤さん、さっき後ろに何か持ってらっしゃいましたか、と彼女はその微笑みを浮かべたまま俺に問いかける。


バレていた。


どうしよう。


俺は咄嗟に誤魔化そうと何か気の利いた事を言うべく思考を巡らせる。


しかし。


何も思い浮かばない。


沈黙がゆっくりと流れる。


どうしよう。どうする?


今更隠すことも学生鞄に押し込むことも出来ない。


観念した俺はさっき買ってきた花を彼女の前に差し出した。


「あの……」


何て説明したらいいかわからない。


花って人にあげるときに何て言えばいい?


どうしよう、なんかやべーやつみたいじゃん俺。勘違いした変な挙動不審な奴みたいじゃんか俺。


俺は気ばかり焦って何も言えなくなった。


まあ、と花園リセが鈴のような声で笑う。


「これをわたくしに?」


俺は黙って頷いた。


なんとも説明が難しかった。


彼女はその白魚のような手で俺から花を受け取る。


嬉しいですわ、と花園リセはその花を愛おしそうに抱きしめるかのようにして微笑んだ。


なんか知らんけど喜んでくれてるみたいだしまあいいか、と俺は少しホッとした。


御令嬢の喜ぶ物なんて俺には想像もつかなかったから悪くないリアクションで本当に助かったと思った。


ふふ、と彼女は微笑みながら俺の顔を見た。


「殿方からお花を頂けるなんて思ってもみませんでしたから……」


意外な言葉だった。


彼女ほどの御令嬢ならたくさんの上流階級の男から花束や宝石を山のようにプレゼントされるのが日常茶飯事、といったイメージだったからだ。


いやいや、リセさんほどの人の所にだったら沢山の男から色んな花でもプレゼントでも山のように届くんだろ?と俺は感じたままに聞いてみた。


いいえ、と花園リセはゆっくりと首を横に振る。


「佐藤さんだけですわ」


わたくしのような人間を気にかけてくださる方は、と彼女は伏目がちに答えた。


「は?そんなハズ無ぇだろ。リセさんほどの容姿端麗で知性も教養もある女をほっとく男なんか居ねぇだろ?」


冗談めかして言ったのは失敗した。


彼女は黙って俯いてしまった。


え、嘘だろ。


ガチなのか?


え。俺、地雷踏んだ?


マジか?


「ねえ、佐藤さん」


花園リセは俺の目を真っ直ぐに見た。





「わたくし……以前に婚約破棄されてしまったことがありますの……」





予想外の斜め上に行く方向性の事実に俺は困惑した。


これほどまでに非の打ちどころの無い御令嬢が婚約破棄された?


嘘だろ?する側でなくてされた側?

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