日々

丸毛鈴

バカンス

「vacance(バカンス) 」フランス語。 長い休暇、保養のこと。語源はラテン語で“空”を意味する「vacans」 。

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「なんとなく後回し」な旅行先、それが沖縄。飛行機乗らなきゃだし、けっこう高いし、海はきれいそうだけど、台風心配じゃない? うーん、また今度でいいかな。

 

 だったのだが、結婚前のあるとき、当時の恋人(現在の夫)と、どこか非日常なところへ行きたいねとなって、えいやっと思い切って行くことにした。行き先は石垣島だ。


 空港からのバスで見たサトウキビ畑とやたら青い空に始まり、とにかく海、海、海。南国特有のエメラルドグリーンの海にも、その広がり方や浅さ深さ、空の色合いとの組み合わせで、さまざまなバリエーションがあると知った。


 最初に海に入ったのは、真栄里。人工ビーチのためか、カラッと明るい印象だった。波打ち際に入って遊んだら、小さな魚が逃げて、驚いた。


 遠浅の海と砂浜が、どこまでも続くかのような、竹富島のコンドイビーチ。沖に飛び地的な浅瀬があり、そこに立つと、世界に空と海しかないかのようだった。このビーチには猫がいて、のしのしと歩いてきたのも素晴らしい。


 藪に囲まれた小道を抜けると広がっていた、底地ビーチ。小ぢんまりした砂浜に、

海と青々とした松の取り合わせはちょっと懐かしい気持ちになるけれど、海の色は本土とは明らかに違う。不思議な気持ちになる。


 白みがかった紺色の海を、緑豊かな島が囲む川平湾は、静かで神秘的だった。


 と書くと、さぞや海を満喫したかのようだが、実はこれ、全部駆け足だった。台風を避けて七月初旬に日程を組んだものの、出発前日、「台風接近、沖縄直撃か!?」の報。

 予報は的中し、穏やかだったのは初日だけ。二日目は晴天ながらも風が強く、竹富島は午後から船が欠航する可能性が高いと言われ、猛スピードで自転車をこいだ。川平湾ではグラスボートは全撤収。おかげでまっさらな海を見ることができたが、砂浜では風にあおられた白い砂がびっしびし膝に当たり、とても歩けたものではなかった。

 その川平湾から帰る途中、航空券を手配したエイチ・アイ・エスから、「明日お帰りのご予定ですが、飛行機は全欠航決まりました。また連絡します」と携帯に連絡が来た。


 そして夕方から、本格的に天候が崩れた。お互い、職場や取引先に連絡を入れると、やれることはほかにない。何しろ明日は飛行機が全面欠航なのだ。雨と風はどんどんひどくなった。安いホテルはオーシャンビューではなく、民家が見えた。そこに山羊がいて、ひげを風に揺らしている。

 夜半、近く、遠く、地鳴りのような雷鳴が轟いた。それは、世界の腹の底から響くような音だった。さえぎるものが少ない視界のなか、土地に刺さるかのように、稲光が光るのが見えた。それらは私の知っている雷と、大きく異なっていた。


 自宅に戻ってから思い出すのは、海より砂浜より、風に揺れる山羊の髭であり、地に轟く雷鳴であり、何より足止めされ、なすすべもなく窓の外を見ていた時間だった。宙ぶらりんで、空っぽで、何もできなくて。それを思うたび、ああ、かの地で過ごした時間は、短いけれど、正しく「バカンス」だったのだなと思う。“空”が語源の、バカンス。


 ときどき、あの雷を思う。ハプニングがくれたあの時間を思う。見知らぬ場所で、思いもよらぬものに出会いたい。旅の醍醐味は、そんなところにあるのかもしれない。


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