手段その17 転居

「お兄様、こちらです」

「結構広いな。ワンルームでもここなら二人で十分暮らせそうなのに」

「ええ。元々ここは私とお兄様が住むためにと、私が選んだ物件ですので」

「……なに?」

「私たちがマンションを借りたいといってもご両親は納得なさらないでしょう?なので二人に借りさせてから実家に戻るように促せば、必然的に空いたこの一室がもったいないからということで私たちに回ってくると思っていたんです。渚の機転を褒めてくださいお兄様」


 機転。

 これを機転というのか?


 ただの確信犯だろ。


「で、でも契約は一年とかだし来年には出ないといけないなあ、あはは」

「一年もあれば十分です。その間にお兄様とたくさん愛を育んで、共依存に陥ってしまうことでしょう」


 俺はこのマンションの一室で渚と一年間、ずっと二人で過ごすということらしい。

 今はまだ外も若干明るくて、引っ越しの荷物なんかも山積みだから実感がないが、この後風呂に入って飯食って一緒の部屋で彼女と寝ると想像すると、どうやって彼女から逃れたらいいのか見当もつかない。


 やはりさっき買ったコンドームはすぐに開封されてしまうことになるのだろうか……


「お兄様、私はお風呂の準備と夕食の支度をいたしますので荷解きをお願いできますか?」

「ああ。わかった」


 しかし四の五の言っていても事態は好転しない。

 まずは何も意識しないように、本当に妹と引っ越してきて同居するんだという気持ちになりきって、普通に生活することだけを考えろ。


 平然を装いながら部屋にある段ボールを開けていくと、ちょうど渚の私服が入っているものに当たった。


「あ、あの渚? 下着とかは自分で片づけてくれないか?」

「どうしてですか?お兄様は妹の下着をみて興奮なさるようなお方だと、そうおっしゃるのですか?」

「え、いやそれはだな」

「おかしいですね。兄妹だとおっしゃられるのであれば同じ洗濯機で下着を洗濯してもなんら問題はないでしょうし、妹の下着なんてその辺に落ちていても意識されるはずもないと思うのですが」

「……渚のことは女子として見てるから恥ずかしいんだよ」

「まあ。お引越し祝いにしても余りあるお言葉です。わかりました、素直なお兄様に免じていじわるは一旦取り下げます」


 そう言って彼女は自分の着替えとかを先にタンスにしまい込んでいた。

 

 渚は俺より上手うわてだ。

 だから必ずといっていいほど俺が最後に言い負かされる。


 荷物の整理が終わり、余った段ボールを潰していると渚が「先にお食事にしますか?それともお風呂にしますか?」と質問してくる。


 まあなんとも古典的なセリフだ。

 お決まりなのはこの後で「それとも私?」なんて言う奴だろうが、渚は「それより私の方がいいですよね?」ともう一つスパイスの効いた迫り方をしてくる。


「い、いやお風呂」

「では私とお風呂に入れば一石二鳥ですね」

「か、兼ねないよそんなの」

「でも、お兄様と私は愛し合う家族なので。お風呂などご一緒になってもなんら問題はないはずでは?」

「だ、だから俺は渚のことを女の子としてだな」

「ならば、なお良いではありませんか。好きなだけ、気のすむまで見ていただいても触っていただいても構いませんよ」


 渚の目が据わっている。

 心なしか口角が上がって見える彼女の表情は、ただ微笑んでいるというより興奮を隠し切れない様子。


 ところどころ、はあはあと息を切らす彼女は我慢の限界なのだろうか。

 そんな彼女を見て、怖いと思いながらも少しだけ興奮してしまうのはきっと雄に生まれたものの宿命か。


 いや、しかしそれでも俺は人間だ。理性がある。

 だから……


「俺は親父を裏切れない。どうしてもというなら親父に相談するからな」

「まあ。でもそうすればお義父さまと母が」

「離婚したって知らない。俺は望まない形でお前に襲われるくらいならそうする」

「望まない……」


 しゅんとする渚を見ると、少し言い過ぎたかもと反省はした。

 しかしこうでも言わなければわからないというか、このまま押し倒されそうな勢いだったのも事実。


 やっぱりはっきりと今の気持ちを伝えてやる方が結果的には彼女のためだと割り切って、俺は逃げるように風呂へ向かった。


 風呂は実家ほどではないがそこそこ広く、また新築なのか綺麗なのでゆっくりと浸かり、さっきまでの疲れを洗い流す。


 渚のやつ、やっぱり怒ってるかな。

 それとも部屋で泣いてるのかな。


 心配になるのは兄として当然のことだ。

 彼女と俺は家族、兄妹なのだ。


 親が再婚するたびに連れ子同士が結婚してたんじゃ世も末だ。

 そんな展開なんてあり得ないからこそ、創作の世界で義理の兄弟姉妹での恋愛なんてシチュエーションがテーマになるわけで。


 風呂から出ても普通に振る舞おうと、気持ちを切り替えるべく顔を洗ってすりガラスの扉の方を見ると人影が。


「おにい、さま。ちょっといいですか?」

「あ、ああ。どうした?」

「先ほどのお言葉ですが。あれは本心ですか?」

「え?」


 何を今更そんなことを聞くんだと、追い打ちをかけてやろうかとも思ったけど少しだけ渚の悲しそうな顔を思い出して躊躇した。


 あれだけ言えば少しは反省しただろう。

 だからこれ以上傷つける必要もない。


「いや、少し言い過ぎたよごめん。でも、俺たちは兄妹でもあって男女でもあるしまだ高校生だからさ、何もかもいきなりっていうのは」

「そう、ですね。私、お兄様とお二人になれて少し興奮が過ぎました。先ほどはこちらこそ失礼を働き、申し訳ございませんでした」


 ペコリと頭を下げるシルエットを見て、俺は少し申し訳ない気持ちになる。

 でも、ようやくこれでわかってくれたかと、ほっと胸をなでおろしていると、渚が洗面所にカランと何かを捨てたような音がした。


「お兄様が本心から渚を拒絶されていないと知り安心しました。もしそうだったとしたら私、お兄様とここで心中しようと思っていました」

「し、心中?大袈裟だな……」

「死して尚、一緒にいられるようにと願いながらここで二人命を絶とうかと思っておりましたけど、そうする必要がなくて安心です。やはり現実の世界でもう少しお兄様のお顔を見たいですものね」


 死。命を絶つ。

 そんな物騒な言葉を可愛らしい声でサラリというものだから、俺は頭の中が混乱していた。

 

 それが冗談だとしてもなんと返したらよいかわからず、茫然と渚の影を見ていると脱衣所から出て行こうと渚の姿が消えかかる。


 その時に「洗面所のそれ、持ってきてくださいね」と渚がぽつり。


 慌てて外に出て洗面所を見ると、そこにはサバイバルナイフが。

 刃に指を沿わせるだけで切れそうな、そんな鋭い刃のそれを洗面所にゴミのように捨ててあった。


 渚のやつ、本気だ。

 俺が彼女を拒絶したら、本気で俺を殺そうと思ってたんだ……


「お兄様、ご飯の御支度ができましたよ」


 なのにまるで何事もなかったかのように俺を呼ぶその声に、恐怖は限界を迎えた。


「う、うわー」


 服を慌ててきた後、俺は外に飛び出そうと玄関に走り出した。

 財布も何も持ってないが何事も命あってのことだ。


 逃げようと玄関のノブに手をかけると、なぜか動かない。


「あ、あれ……?」


 何度かガチャガチャと試してみても、鍵がかかっているように微動だにしない。

 内側から鍵をかけているのかと、鍵の場所を探すとなぜか、ここは部屋の中だというのにドアにカギ穴が。


「な、なんだこれ?」

「お兄様。この扉は特別性で内側からもキーでロックする仕様になってるんです」

「な、渚?く、くるな」

「鍵は私しか持ってませんので、お出かけになる際は一緒に出ないといけませんよ」

「な、何のつもりだ」

「お兄様、早くご飯を食べないとせっかく作ったのに冷めてしまいます」

「か、鍵を俺にもくれない、か?」

「そんな必要はありません。私とお兄様は常に一緒なのですから、鍵は一つあれば十分です」

「……」

「それより、私の作った食事を食べたくない、のですか?」

「た、食べる!食べるから!」

「ふふっ。じゃあ行きましょう、お兄様」


 腰を抜かした俺の手を渚はそっと掴む。

 華奢で白くて非力そうなその手に引っ張り上げられて、俺は奥の部屋まで連れていかれる。


「いただきます、お兄様。あら、この言い方だとお兄様をいただくような言い方に聞こえますね。私ったらはしたない」

「あは、あはは」

「夜は長いので、お食事が終わったら一緒にテレビを見ましょう。野球、また教えてくださいねお兄様」

「あは、あははは」


 もう逃げることも許されなかった。

 それにさっきは衝動的に外にとびだそうとしたが、きっと逃げても彼女は俺の居場所なんて把握してるに違いない。


 そう思うと、抗うことの無力さを痛感する。


 今日の夕食はビーフシチューだ。

 俺の大好物だが、それを食べながら「お兄様は本当にビーフシチューがお好きなのですね」と、長年一緒に過ごしてきた家族のようなことを言ってくる。


 俺が彼女の前でそれを食べるのは、もちろん初めてのはずなのに。

 

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