手段その11 隠し味

「あー、つかれたー」

「お兄様お疲れ様です。はい、お飲み物」


 昼からの客の流れはすさまじかった。

 いつにも増して忙しかった気がしたが、それはきっと渚のせい。


 時々見慣れないお客さんが「かわいい子がいるって聞いたけどあの子だな」とか言ってたので、どこかで渚の評判を聞きつけた新規の客が大勢いたのだろう。


 洗い物にまで手が回らず、ぐちゃぐちゃのキッチンのままだと想像していたがそれも綺麗に片付けられている。

 渚は一人で涼しそうな顔で料理や飲み物を作りながら片付けもこなしていたようだ。


「渚、疲れただろ。今日は店片付けたら早めに」

「これからが本番です。お兄様、今からふたりでゆっくりお茶しましょう」


 店の看板を下げると内側から鍵をガチャリ。

 そして実に嬉しそうな顔の彼女が、疲れなど全くない様子でこっちに向かってくる。


「え、ええと。お茶したら戻るよな?」

「私としてもお義父さまのお店を汚すようなことはしたくありませんので、続きはベッドで」

「いや、お茶だよね!?」

「まずはお茶ですけど、その後ももちろん考えてます」

「か、考えなくていいよ。それよりまず座ろう」

「ええ。それではお茶とお菓子を用意しますね」


 渚がキッチンに向かう途中、ペロリと舌なめずりした後「夜は長いですものね」と呟いたのをはっきり聞いた。


 今日、親父と優子さんを休ませたのはやはりこれが目的。

 ただ、逃げるにもそもそも我が家もそこだし帰る場所も一緒だから、どうすることもできない。


 気持ちが焦っているところで渚が戻ってくる。


「あの、オリジナルメニューでフルーツサンドを作ってみたのですがいかがですか?」

「オリジナル?渚が考案したのか?」

「ええ、流行にのってみました」


 手元を見ると色鮮やかなフルーツサンドがたくさんお皿に乗っている。

 実にうまそうだと目を奪われていると、渚がその一つをもってあーん。


「お兄様、どうぞ」

「い、いただきます……う、うまい」

 

 もう渚の料理がうまいことに驚きはない。

 でも、このクオリティは店のメニューをはるかにしのぐレベルで高い。

 このまま明日からフルーツサンド専門店でもやった方が儲かるんじゃないかと思うくらいのものを、俺は次々と彼女の手で口に運ばれる。


「い、いやあほんとにうまいなあ」

「お兄様への愛情がたっぷりですから。隠し味もあるんですよ?」

「隠し味か。なんか気になるな」

「あら、それなら夜にお兄様のお部屋でゆっくりとお教えしますよ」

「べ、別にここで話してくれてもいいよ」

「そんな、恥ずかしいです」

「恥ずかしい?」

「お兄様のいじわる……」

「?」


 妙に恥じらう彼女の姿はとても艶めかしい。

 でも、隠し味を公表する時の反応にしては少々照れが過ぎる気も……


「ま、まさか」

「お兄様、お茶が済みましたらお買い物に行きましょう。スーパーで食材の買い出しをしないと」

「あ、ああ」


 一瞬、よからぬことを考えてしまったが、結局何が入ったフルーツサンドを食べさせられたのか、その真相は闇の中だった。


 片づけをする渚を手伝おうとすると「お兄様は座っていてください」と言われて追い返される。


「でも、渚の方が今日は働いてるし俺が片付けくらい」

「家事は女の仕事だと、古い考えかもしれませんが私はそう思っています。お兄様は雑用なんて私に任せてゆっくりしていてください」

「で、でも」

「では、洗い物は結構なのでひとつお願いをきいてくれますか?」

「お願い?」


 まあ、俺にできることならとうっかり答えたのがとんだ失敗だった。


「あの涼宮という女性と、仲良くするのをやめてもらえませんか?」


 彼女の願いとやらを言い終えると同時くらいに、強めにガシャンと食器が食洗器の上に置かれた。

 こっちを見ることもなく、蛇口から流れる水をじっと見つめながら彼女は俺の返事を待つように沈黙した。


「え、ええと。涼宮とはそういう仲じゃないって何回も」

「そんな保証はどこにもありません。それに、向こうからお兄様に言い寄ってくる可能性もあります」

「な、ないよ。仮にあったとしてもあいつと付き合うなんて」

「それにあの間抜けそうなご友人の男性、彼もどうにかしてください。私のことを名前で呼んでいいのはお兄様だけと警告したはずです。次に呼んだら私、ころし」

「わかったわかった!透にはしっかり注意しておくよ。でも、あいつらは本当に数少ない親友だからさ、仲良くするくらいは」

「では、もし私以外の誰かと恋に落ちたり男女の関係になったら、お兄様は一生私のいうことを訊くと誓いますか?」

「え、いやそんな極端な」

「できないのならやはりすぐに縁を切ってください」

「わ、わかった別にあいつらとは何もないから。それは大丈夫だ」


 渚の顔はよく見えなかった。

 でも、小さな背中から発せられるどす黒い何かが確実に俺の判断力を鈍らせていたのは確かだ。


 話を終えたところで彼女が水を止めて「じゃあ着替えてきますね」と家の方へ戻っていったあとで、とんでもない約束をしてしまったことに気づく。


 渚以外の誰かを好きになったら一生奴隷。

 だから渚以外の女性を好きにならないというのなら、もう既に一生奴隷のようなもの。


 なぜこんな簡単なひっかけ問題に気づかなかったのか。

 どちらを選択しても俺は結局彼女のいいなりだ。


 しかし今更さっきの約束はなかったことに、なんてできるはずもない。

 なぜなら。


「お兄様、もし約束を反故したら相手の女性はもずのはやにえのように、おうちのアンテナに突き刺してさしあげますわ」


 などと言いながら上機嫌で戻ってきた彼女に、そんなことは言えるはずもなかった。



 

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